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第97話 戦い終わって ── 命名『鋼牙』 ──

 品川操車場の戦闘から数週間が経ち、実験中隊に平穏が戻りつつあった。

 それまでは、事情聴取、現場検証、戦闘報告、第七三軍司令部研究会、戦技研究、そして試製一〇式歩機の改良と業務は多岐に渡り、中隊各員はその作業に忙殺された。

 だが、実験中隊が命令不徹底というか、戦線参加が著しく遅れたことは不問とされた。


 “偶然”にも敵本隊へ攻撃を仕掛け、それで軍全体の崩壊を防いだのだから当然ではある。

 ただし正式な感状は何もなかった。

 それでも一部参謀や高官が個人的に部隊を訪れ、労をねぎらうことはあった。


 そして戦闘直後にあれだけ居た戦傷者は、次第に回復してその数を減らし、やがて職務へと戻れるようになっていた。

 重傷者も戸山の陸軍病院に入院し、順調な回復を見せている。


 田実大尉は相変わらず無能ぶりを発揮して見せてはいるものの、戦闘からしばらくの間は中隊長室に篭り、戦死した遺族へのお悔やみの手紙を書き続けてその姿をあまり見せない日々が続いた。


 当初、その姿を見て、「中助の奴、楽な仕事に逃げやがって」と不平をもらす兵も居たが、遺族から厚い感謝の返信が届くようになると、やがてその声も聞かれなくなっていった。


 ある日。

 梶山少尉は、病院で重傷者を見舞ってから中隊に戻り、その足で中隊長室へと向かった。

 今でも彼らの奇妙な関係は続き、休みの日には連れ立って出歩くことが多くなっているが、それは中隊の面々には秘密でもある。


「お呼びだそうで」

 室内には田実大尉一人しか居なかった。

 彼は書類の束を机に置き、忙しく手を動かして書き物に余念がない。


「戻ってきたか」

 そう言って田実大尉が顔を上げた。

 その後、万年筆を置きながら言った。

「見舞いご苦労だったな。本来なら俺が頻繁に足を運ぶ所なんだが、中々そうも出来なくて」


「それは構わんです。入院者も中隊長の見舞いには驚いてましたよ」

 田実大尉も時間の飽きを見つけては、入院兵士を見舞っていた。

 幾ら無能中隊長であろうとも、人情が全く無いわけでもないと部隊の面々は思い始めていたのだ。


「あの馬鹿にも以外な一面があったって驚きだろ」

「まあ、正直それもありますが、純粋に感謝している者ばかりでした」

 田実大尉はその言葉を聞いて苦笑したが、やがて別の笑みを浮かべていった。


「それで優子には会ってきたのか」

「え?」

 梶山少尉はその言葉にうろたえた。

 見舞いの度に、田実大尉の妹である優子に会っているのは事実だった。


「隠すな。見舞いには別の目的もあったんだろうが。それで、優子は元気か」

「え、ええ、まあ」

 図星を突かれて、梶山少尉は言葉をにごす。


「お前が頻繁に見舞いに行っているのは、本当はそっちが目的じゃないのか」

 田実大尉が、そう意地悪く言う。


「違います。まあ、優子さんに会っているのは本当ですが、それだけではありませんよ」

 それも事実だった。

 もちろん、中隊の面々の心配もある。

 だが、優子に会うのは、それなりの訳もあった。


 ──あんたと手島さんのことを相談しているんだよ。

 そう思ったが、それは黙っていた。


 手島さんとは、優子の入院している病院に勤める事務の女性だった。

 かつては田実大尉の戦死した戦友の許婚だったが、田実は心の底で手島を想っているのは間違いなかった。

 だが端で見ていると、それ以上進展する気配もない。

 そのことを梶山は優子と相談しているのだった。


「まあいいよ、まあいい」

 田実大尉は、そのことに気が付かない様子で、そう返した。

「それでお呼びになったのは何用です。まさか、今の話だけではないでしょう」

 梶山少尉は話の矛先を変えることにした。


「幾つか要件があるが、まず始めは例の名称に関することだ。先ほど通達があってな、試製一〇式歩機の名称が『鋼牙(こうが)』に、七式歩機は『鋼鬼(こうき)』になるそうだ……ん、どうした、不服か」

「ええ、まあ」

 その名前を聞いた瞬間、梶山少尉は顔をしかめた。


 既に試製一〇式、もしくは単純に一〇式の名前が開発陣に広まっている。

 だからいまさら名前など要らないと思っていた。

 それに陸戦兵器に対する名称そのものに違和感があった。


 それまでの陸戦兵器は採用年号で呼ぶか、開発種類と順番をイロハで示した呼称を付随するのが一般的だった。


 皇暦二五九七年に採用された九七式中戦車チハ、皇暦二六〇一年に採用された一式中戦車チヘなどの呼び方がそれだった。

 ちなみに昭和二十五年〈皇暦二六一〇年〉にまだ試作段階であるのに一〇式の年号が示されてるのは、試製といっても半ば仮採用に近い扱いを受けているからだった。


 そして採用年号に続く、チヘ、チハなどのカタカナは、元来は秘匿暗号名だった。

 中戦車に〈チ〉が、軽戦車には〈ケ〉、砲戦車には〈ホ〉といったように、種類別の頭文字が使われる。

 さらに、それぞれ開発の順序に応じて、イロハニホヘトの文字が充てられて区分されることになっていた。


 つまりチハとは中戦車〈チ〉で三番目〈ハ〉に試作された事を指し、チヘは中戦車〈チ〉で六番目〈ヘ〉に試作されたということになる。


 慣れないと要領を得ないが、秘匿名だからそれでよかった。

 これらは名称というよりも分類上の呼び名だった。


 そして部隊では、その名称で呼んでいた。

 もう、それが慣れっこになっている。

 それであるのに名称をつけようとするから、梶山は顔をしかめた。

 それが違和感の理由だった。


 だが一方で、同じ陸軍兵器でも、航空機には『はやぶさ』『飛燕ひえん』『疾風はやて』などと名称がつけられている。

 ここにきて陸戦兵器にも一般名称を採用する気運が高まっていた。


 始め試製一〇式には、無敵の巨人を連想させるところから、伝説の守り神『鍾馗しょうき』の提案があった。


 だが、その名はすでに陸軍二式単座戦闘機の名称でもあった。

 そのために陸軍航空隊にその名称を譲って貰えるよう打診したが断られた。

 既に退役した旧式戦闘機とはいえ、まだ欠番には至ってないので、譲ることは出来ないとされたのだった。


 その後さまざまな意見や提案がなされたが、梶山少尉はそれらをあまり気にはしてこなかった。

 彼にも名称案の提出を求められたが、それをしなかった。

 日々の業務が忙しかったし、自分にも良案がなかったからだ。


「まあ、色々と不服もあるだろうが、慣れたら違和感もなくなるんじゃないか。耳慣れてしまえば、どうでも良くなるかも」

 田実大尉はそう言った。


「そうですね、まだ慣れてないだけだと思います」

 梶山にも代案がない以上、それほど強い反発がある訳でもなく、それで納得する他ないだろうと思った。

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