第75話 決起部隊 対 実験中隊 ── 第七三軍の苦闘 ──
第七三軍主力の攻撃は全て後手に回っていた。
いったん、目黒川の北で終結した部隊は、二手に分かれて装甲捜索中隊を先導に進撃を開始した。
海寄りの東海橋方面には第三二独立歩兵中隊が進む。
五〇〇メートル上流、つまり内陸の居木橋方面には第三三独立歩兵中隊が配置されている。
そして、それぞれに軽装甲車が派遣されていた。
両部隊共、橋に進入するまでは良かった。
まず東海橋、つまり海側では捜索中隊の軽戦装甲車二輌が無事に橋を渡り終えた。次に第三二独立歩兵中隊の先遣隊が通過しかかった所で、待ち伏せていた決起部隊から銃撃を受ける。
そこは正に敵の正面。
橋を見下ろせる建物から重機関銃の射撃を受け、身を隠す間もなく数人が倒される。それを合図に擲弾筒が撃ち込まれ、短時間の内に激しい射撃戦へと移行していった。
東海橋を渡り終えた九七式軽装甲車が射撃を開始する。
そして決起部隊の火点を探り当てて砲撃するようになると、若干は勢いが減ったようにも思えた。
だが、その隙を狙って強引に橋を通過しようとした歩兵部隊は、それが間違いだったことを知る。
決起部隊の火点は、一旦は砲撃により火力が落ちたように見えただけで、ほぼ健在だった。
しかも、それまで発砲を控えていた軽機関銃が左右から射撃を開始し、その段階で第三二歩兵中隊の二個分隊に損害が生じていた。
そして軽装甲車にも銃弾が集中するようになると、彼らにも動揺が走り始める。
その薄い装甲では重機関銃の銃弾に貫通される恐れがあるからだ。
ましてや俯角の深い、撃ち下ろすような射撃である。
これは危険だった。
射線から逃れるために軽装甲車は奥へと進む。
だから歩兵と離れてしまった。
これでは歩兵の協力が得られない。ただ単に孤立しに進んだような物だった。
戦いの焦点となっている東海橋、その左右にも幾つかの橋が存在はした。
だが、それらは人員専用の小型のものばかりで、車輌は通過には適さない。
それら小型の橋には中隊の機関銃分隊が派遣されていた。
彼らは火点の構築を目的として進出を試みたのだが、そこでも強力な射撃を受けた。渡河を果たせないまま遮蔽物に身を隠して応戦する他なかった。
決起部隊は接近すればするほど火力が増す。
それは彼らが百式機関短銃を主装備にしているからだ。
決起部隊は野戦ではなく、市街地での襲撃を主目的としている。
だから至近距離による火力を重視する。そのための百式機関短銃だった。
その銃は拳銃実包を使用するので一般小銃に比べて命中率はそれほど高くはない。
だが、連発式でしかも発射速度が速く、市街戦のような接近して短時間に大量の弾丸を送り込むには最適の銃だった。
それで全員を武装し、しかも川で進撃路が限定されている上に機関銃で待ち伏せしているのだから、攻略すべき七三軍の歩兵には悪夢としか言い様のない状況が続いていた。
「何とか、ならんか」
歩兵中隊の幹部がうめくようにつぶやく。
現状、有効な手立てが打ててないのは誰の目にも明らかだった。
いま待ち伏せを受けている二本の橋。
海寄りの東海橋、そして内陸の居木橋。
それを迂回しようにも、その為には五反田まで行くしかなかった。
論外である。
距離にして二キロは離れている。
いま、この瞬間に部隊を二つに裂き、しかも他部隊の後ろを迂回するのでは何の役にも立たない。
火力を総合して対岸に移らなければならないのは、正にいま、このときなのだからだ。
「戦車です。戦車に出てもらいましょう」
第七三軍から派遣された若い参謀が、歩兵中隊幹部にそう進言する。
本来なら彼、参謀の方が発言権が高い。
だが序列と年齢を考慮して提案という形でしか物を言えなかった。
「うーん、戦車。戦車なあ」
歩兵部隊幹部は腕組してうなる。
彼ら歩兵部隊の士官が、戦車隊に頭を下げて頼むのをためらう場合が多い。
もちろんそれにも派閥が関係し、味方のしかも部下の命が危険に曝されているというのに、気位の高さから即答できないのだ。
しばし熟考した体裁を整える。
大変だからすぐに頼んだという風に取られたくない。
そういった芝居だ。
「仕方がない。戦車に出てもらうとするか」
やっとのことで渋々と承知した。
その一言を待っていた軍参謀は、思わず明るい声を出す。
「ご英断に感服いたします。では早速、私から戦車隊に要請に行ってきます」
そう言って回れ右をする。
そして、歩兵部隊の合同本部を出る頃には、参謀は苦々しい顔になっていた。
──古臭い過去の遺物め。部下の命の為なら、その軽い頭を下げることくらいなんでもないだろうに。
そう悪態をつきながら急ぐ。
彼は駆け足で、攻撃発揮位置後部で待機していた戦車隊に向かった。
そして声をかける。
「おーい、出番だ。車長、集合」
要請は直ちに完了した。
内容は以下の通り。
第三二歩兵中隊には、第一戦車小隊の一〇三、一〇四号車。
第三三歩兵中隊には、第二戦車小隊の二〇三号車。
が、それぞれ派遣されることが通達された。
残りは第一小隊の一〇一号車。
第二小隊の二〇一、二〇四号車の三輌だけとなる。
そして一〇一と二〇一は小隊長車であるため、七三軍本部に詰めている必要性から動かせる場面は限られている。
ちなみに車種は全て一式中戦車改である。
やがて、海側である東海橋方面に一式中戦車改の重々しい響が橋に近付く。
その振動と音が届くと、歩兵隊は俄かに活気づいた。
「戦車が来る!」
その一言が嬉しさを端的に言い表していた。
橋の手前で身を隠している第三二歩兵中隊は喚起に包まれる。
頭を遮蔽物に押しつけるようにしている兵士の顔が、期待に満ちている。
自分達の盾となり、そして火点となってくれる鋼鉄の兵器、戦車。
それを歩兵ほど渇望している兵科はない。
また戦車も歩兵が居なければその本領を発揮できず、特に市街戦では思いのほかもろい。
視界が悪く身の隠し所の多い地形では、敵が近付いても気が付かないことが多いからだ。
このように各兵科は共同して戦うのが基本であり、当たり前であるのに、上官の縄張り争いの方が兵士の命を危険にしているといって過言ではなかった。
二輌の戦車がゆっくりと橋を通過して行くと、その後ろには身を屈めて姿勢を低くした歩兵が付き従って移動を開始していた。
一輌に付き分隊一個半が護られる。
二輌で歩兵小隊が渡河できることになる。
この橋に派遣されている中隊の半数が対岸に移動できる。
歩兵中隊の残りは予備三個分隊と他方に向かっている数個班のみだった。
先頭車輌の一〇三号車が、橋を渡り終える手前で、がくんと停止する。
砲塔が回転する。
主砲が敵銃眼を探す。
そして主砲弾発射。
間髪を入れず榴弾が炸裂し、銃眼となっていた窓が吹き飛ぶ。
それに呼応するかのように、後方の一〇四号車からも敵火点に対して砲撃を加える。
すると決起部隊の機関銃座は目に見えて威力を減らし始めていた。
忽ちにしてこれである。
さんざ苦労した敵火点、機関銃座は、たったこれだけで威力を失ったのである。
市街地における戦車の働きは、劇的に戦況を変える力がある。歩兵課の幹部はさっさとこれをすべきなのだ。
その成果を見届けた後、戦車二輌は再び移動を開始する。
一方の進撃路である居木橋も、全くと言って良いほど似た状況だった。
ただし第三三歩兵中隊の方が幾分抵抗が緩やかだった。
そして派遣された戦車の数も一輌に留まり、橋を渡った所で左折し、川沿いを進んで合流地点に向けて進撃を開始した。
ようやく戦況が動き始めた。
その頃になると、第七三軍本部に安堵の溜息が漏れるようになった。
「これで全部隊が通過できる」
誰ともなくそう言い合う。
が、その安堵も長くは続かない。
「歩機です。歩機発見。繰り返す、歩機発見。此れより各車輌は対装甲戦に移行する」
装甲捜索小隊の軽戦車。その無線からもたらされた情報に、軍本部に居た全員が硬直する。
「現れたか」
一人の参謀が席を立ち、椅子を倒しながら無線機に飛びついた。
そして無線手から聴音機を引ったくり、受聴機に向けて声を張る。
「歩機は、歩機は何機だ。こら、答えろ」
「今の所は二機確認しております。それ以上は、すみません、後は」
捜索小隊はそれだけを伝えると、急に無線は途絶えた。
「どの車輌でもいい。答えろ、こら、連絡を密にせんか」
参謀がなおも声を張り上げる。
無駄だった。
無線は空電雑音を流すのみで、時おり意味不明の怒号が聞こえるが、それだけで状況把握に足る情報はもたされない。
それもその筈。
対岸に渡った部隊は、七式装甲歩行機を中心とする有力な決起部隊の襲撃を受け、全力で応戦しているさなかだった。




