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第69話 決起部隊 対 実験中隊 ── 街中の風景 ──

 空はだんだんと暗くなってゆく。

 その時刻にもなると帰宅する人達が戦車と歩機の脇を通り過ぎていった。

 そして豆腐屋のラッパが鳴り響くと、どこからともなく鍋を持った主婦が集まり、その一角が賑やかになった。

 やがて夕餉のいい匂いが辺りに漂い始め、ここは生活の只中なのだと言うことに橋田兵長はあらためて気づかされた。


 それにしても、付近の人々は戦車や歩機があると言うのに軽く一べつする程度で、特別複雑な表情を見せない。

 もちろんじっと見つめる人もいるが、それは映画の看板を眺めているような、単なる通りすがりの興味の対象といった雰囲気でしかなく、非難がましい所は微塵もなかった。


 ──やっぱり、町中への出動が続いたので、みんな慣れっこになっているのかなあ。

 橋田兵長はこの雰囲気を嫌いではなかった。


 戦車が民家縁台の横に停車している風景は、まるで箱庭のような楽しさがあった。

 八百屋と一式中戦車が組になっている情景は、傍から見ていると江戸小物といった情景模型のような出来栄えだった。

 戦車の迷彩も歩機のいかつい姿も、そこでは古くから馴染んだ存在に思える。


 ──平和だなあ。

 決起部隊との戦闘のめたに出動しているのに、どうしても街中の雰囲気に飲まれる。

 頭上では蝙蝠が羽音をたてて夜虫を追い、犬や猫が恐る恐る暗がりを移動して行く。少年の瑞々しい感性は、その全てが愛しおしく感じられていた。


 そうやって、どれくらい町の情景を堪能していただろうか。

 歩機の後ろに一台のくろがね四起が停車した。

 見ると中からは梶山少尉が荷物を手に降りてくる。


「今まで放置していてすまん。これ食事と差し入れだ。それと連絡要員もつれて来た」

 そう言って橋田兵長に向かって包みを差し出した。


「一人で待機するのに、ここまで放置するなんてひどいですよ」

 乗降口から身を乗り出して包みを受け取り、そのように橋田兵長は怒って見せた。

 そして小言を言いながら、もらった包みを開く。

 中には竹の皮に包まれたおにぎりと折りに入った弁当、そして副食の菓子に凍らせた水筒が二個入っていた。


「いや、まったくすまん。悪かった。いや、思いのほか準備に手間取ってしまってな、今やっと全員の処置と打ち合わせが終わった所だ。それに無線封鎖が続いているので、細かい指示も出せなかった。ほんと悪かったな」


 梶山少尉が言葉を尽くして謝る。

 彼はいつもこうだ。

 軍人然とした所がない。

 少年兵にも言葉を選ぶ。


「それよりも待機は何時まで続くのですか。これまでのように、空振りに終わるのではないでしょうか」

「空振りに終わって欲しいか。そりゃあそうだろうな。だが、残念だがそれはないだろう。襲撃の可能性は、高いな」


「それは確実、ですか」

 橋田兵長は、少尉が断定したことに驚いた。

 誰もが欺瞞情報でないかと疑っているのに、彼だけは、あると言い切っている。


「もちろん確かなことは誰にも分からない。だがな、今夜は何か様子が違う。それを肝に銘じて置け」

 梶山少尉は腰に手をやり、辺りを見回すようにして言った。

 まるでそこかしこに兆候が漂っているかのような仕草だった。


「大陸での経験ですか」

「それもある。だけど、それだけでもない」


 そう言ったときの梶山少尉の表情をみて、橋田兵長は、普段とは違う何か。

 それが妙に印象に残った。

 普段、中隊で見せる優しい上官、そして先ほど頭を下げてくれた様子とも違っていたからだ。


 一見するだけでは、外見、そして仕草は普段と何も変わらない。

 だが、彼の持つ兵士としての顔が、ほんの僅か垣間見えた気がした。

 掴み合い、臓腑をえぐるような血みどろの戦闘をくぐり抜けた、梶山少尉のもう一つ顔がそれだった。

 だがそれは殺気とも違っていた。


 地獄の底を見て、そして体験してきたというのに、それを当たり前のことのようになってしまった人間としての差。

 なんとも形容しがたい雰囲気があった。


「すまんが俺はもう行く。河嶋の所も訪ねなければならないし、他の戦闘班も見回らなければならんからな。ほんと、すまんなあ。でも、何かあったら野戦電話で連絡を取り合うようにする」


 橋田兵長が乗降口から後ろを見ると、連絡要員が野戦用の有線電話の準備を終えていた。これなら無線を傍受されることなく部隊中央と連絡ができる。


「はい、了解しました」

 固い返事になった。

 今までは漠然としか戦闘のことを考えなかったが、梶山少尉と話をして、それが急速に現実のものとなって押し寄せてきていた。


 梶山少尉はくろがね四起に乗り込むと、歩機と戦車、その脇を通り過ぎてゆく。

 そのとき梶山は手をあげてくれた。

 その去り行く姿をみ橋田兵長は、連絡要員がいるとは言え、急速に心細さが押し寄せてくる。


 既に日は完全に落ち、周囲には深い闇が押し寄せてくるようになっていた。

 八百屋のカーバイトランプが明るさを放ってはいるが、橋田兵長にはそれすら目に入らなくなっている。


 これまでの演習では、いかに困難であってもまた実弾を用いたとしても、それは戦闘ではなかった。事故でにさえ気を付ければ誰も死ぬことはなかった。

 だが、今度は実戦になると言う。

 しかも同胞に対してである。

 若い橋田にはそれが不思議でならなかった。

 実感が湧かなかったのだ。

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