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第5話 実演開始当日 ── 試製一〇式の起動 ──

 朝方まで残っていた雲は富士上空の強風に吹き飛ばされ、実演時には快晴になった。

 歩機の起立は、何時もちょっとした見せ物だった。


 歩機は人間の胸胴部にあたる所に操縦席があり、搭乗員の乗降の為に膝立ちの姿勢で上体を少し屈めた形で駐機されていた。起立したままでは高くて乗降に不便だからだ。


 橋田兵長は、ときたまこの駐機姿勢を嫌だなと思うことがある。

 歩機が背中を丸めて肩を落とし、うなだれているようにも見えるからだ。頭部が無い所から、まるで力尽きて首を落された武者のようだと思うことさえあった。


 しかし、一旦起立して歩行準備が完了すると、様相は一変する。

 巨漢の武者が息を吹き返し、のそりと立ち上がるのも似た迫力があったからだ。少なくとも搭乗員である橋田兵長は、まだ子供っぽさの残る発想で歩機の起動をそう見ていた。


 見学者は高台に設置した待避壕に集合を終え、各々の手に双眼鏡を携えては、そこかしこに固まって何事かを話し合っていた。

 梶山少尉の所属する実験中隊の面々は、機体に最後まで付きそう整備兵と技官以外を残して本部壕に集合し、観戦官を挟んだ反対側には、対戦する富士教導団の機甲科幹部が占めていた。富士教導団とは戦車乗りの強者を集め、常に新しい戦訓を取り入れて戦技研究を行う精鋭集団だった。


 そして朝方飛び込んできた通信研究所技官の一団は、実験部隊の脇に場所をあてがわられた。彼らも手にした双眼鏡であちこちを眺めては熱心に話し込んでいるのだが、自動貨車を操縦してきた海軍の兵士二名は、陸軍の直中に居て所在なさげではあったが、それでも興味深そうにあちこちを見回していた。




 中隊本部の無線機からは、機体に乗り込んだ橋田兵長の声が響いていた。

「無線機、送受信正常。蓄電池、規定電圧内、電解液水位正常。演算装置、理論回路正常。記憶装置、入出力正常。発動機、回転正常、筒内気圧正常。油圧装置、規定圧力維持、油送管正常」


 点検項目を読み上げる兵長の報告を受けて、本部の黒板に印を付けていく。

 やがて全ての項目が埋まり、試製一〇式歩機に異常がないことが確認された。


「機体正常、本部確認。橋田兵長は歩機を起立させ、実演開始位置に移動後、別名あるまで待機」

「了解。橋田兵長は此より移動し、開始位置で待機します」

 梶山少尉の命令に応える橋田の声色には、緊張に包まれた堅さがあった。


 やがて機体発動機の音が一段と高くなり、試製一〇式歩機がゆっくりと起立して身の丈四メートルにも達する巨体が完全に立ち上がった。それと同時に、それまでのざわめきが鳴りを潜め、皆、静かに歩機の挙動を見守った。


 そして、最後まで持ち場に居た整備兵が機体を離れて部隊集合位置に到着すると、梶山少尉は起立して実演監督部隊長の方を向き、頭を下げた脱帽時の敬礼のあと報告した。

「実演準備完了致しました」


 報告を受けた判定官長が短くうなずくと、演習場各地に散った判定官の乗った装甲車へ無線指令が飛び、各車とも配置に就いた報告がなされた。

 彼ら判定官は車内から実演を監視し、本部への報告を行う、いわば競技における審判の役目を負っていた。


 無線からの報告を合図に、伝令の手にした赤旗がすっと上がり、一瞬の間を置いて前に倒された。それが開始の合図だった。

「実演開始」


 衆人の監視する中、歩機はゆっくりと動き出した。

 総重量九トンもの過重をその鉄脚に乗せ、一歩一歩大地を踏みしめる。

 その重々しくもどこかぎこちない動きは、見る者にとっては頼もしさを感じずには居られなかった。そして試製一〇式は、従来の制式採用歩機に比べて格段に滑らかな動きをしていた。


 だがその動きを見慣れているはずの開発陣営の面々は、祈りにも似た気持ちで機体を見守っていた。

 今日この一日で、試製一〇式歩機採否の大勢が決する。

 不慮の事故や少しの齟齬でも発生すれば、それが元で中止の憂き目を見ないとも限らない。


 それを知ってか、操縦者である橋田兵長の操縦は慎重だった。

 機体は事前に幾度となく確認してあるのに、彼は移動脚各部の動作が確実かどうか、見極めるようにゆっくりと歩を進めていた。

 異変に気が付かず、衆人環視の実演時に転倒でもしたら困るからだが、機体状況を知る実験中隊の面々には少し神経質な気がした。


「あいつ、俺達の整備を信用してねえな」

 笑みを浮かべて言ったのは、整備担当の若い兵士だった。

 皆、それを聞いて同じ思いをしていたのだが、橋田兵長が今日の実演の重要度を強く意識していることの裏返しでもあった。

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