第44話 詮索
「梶山少尉、兄のことを聞いてもよろしいかしら」
「はい、構いませんが」
そう言いながら梶山は胃が熱くなる。
額にうっすらと汗が滲んだのも、あながち部屋の暖かさだけであるまい。
「もしかしたら、兄は……」そこで小首を傾け、彼女は言葉を切った。
その仕草はすでに幾度か見ているので癖なんだろうと思った。
そして何かを探しあてた後、梶山少尉を見つめ直した。
「兄は、ひょっとして何かに困っていることはないかしら。梶山さんには、心当たり……ありますよね」
正直、その質問には窮した。
だが、即座に否定しなければ、暗に認めたことになってしまう。
だから即答して見せた。
「いえ、中隊長殿に優子さんのご病気以外に、それほど大きな心配事なぞありやしませんよ。もしあったとしても、自分には気がついていません」
努めて冷静さを装って言下に否定して見たものの、自信は無かった。
実際、どう受け取ったのか分からないが、聞き終えた優子がじっと見つめている。それが何やら見透かされているようで、恐ろしくもあった。
その視線をふっと降ろし、こう言った。
「兄さんはね、いっつも困ってらっしゃるの。家を任された時から、私や皆の為に何時も何時も難しい顔をしている。私はそんな兄を見ているのが辛くなって、家を出て自立することを選んだのだけど、でも結果はこのざま。より迷惑を掛けただけだった」
梶山少尉には相づち一つ取れなかった。
明るい兄妹に見えて、その実かなり無理している様子が痛々しい。
「お兄さんは、田実中隊長は、それは立派な指揮官です。もちろん責務の大きさからお悩みすることこともあろうかと推測いたしますが、上手く処理なされると思います」
「そう、なら良かった」
優子が破顔する。
そしてこう続けた。
「貴方のような優秀な方が居て下さるのですから、私がここで悩んでいてもしょうがないわね。取り越し苦労だったかな」
彼女は利口だ。本当のことを探るより、収めた方がよい時もあるのを理解している。
「優秀って、私がですか」
潮の換え時と見て、話題を変えた。優子はそれに乗った。
「ええ、兄が何時も部隊のことを誉めて居るわ。皆優秀で助かるとか、あの部隊に配属されて良かったとか、中でも梶山少尉のことを特別に思って居る見たいよ。あいつが居て俺は安心できる、任せられるって。これは兄の言葉よ」
正直嬉しくもあるが、背中がむず痒くなった。
「田実中隊長がそんなこと言っていましたか。いや、俄には信じられないですな」
今では中隊長と打ち解けたとは言え、以前は激しく対立していた筈だ。
もっともそれは、梶山が一方的に嫌っていただけなのだが。
「本当よ。部隊で具体的に何をしているかは秘密で言えないのでしょうけど、何か凄い物をお作りになってるのでしょ。兄は、あいつが、梶山少尉が居なかったら、どうなっていたか分からないって、いっつも言っているの。もっとも、あの兄が言うことなんて信じない方がいいのかな?」
そういって小首を傾げる。
「そんなことありません。中隊長こそ、一番重要で大事な仕事をなさっています。田実大尉こそ、居られなければどうなっていたか分かりません」
反射的に発した言葉ながら、田実大尉のことを随分と買っているものだと自分の言葉に気付かされた。それだけに飾りの無い本心でもあった。
「あら、随分と買って頂いているのね。でもその評価が正しいとすると、兄の言ったこと、つまり梶山さんが優秀なのもまんざらでたらめと言えないことになるわね」
「あ、いや、別にそう言う訳では……」
何を言っても、彼女の掌で躍らされている気がする。
どうらや、この兄妹にかかっては、かなわないなと諦める他ないようだ。
「ご免なさい」
優子がころころと笑う。
「別に問い詰めるつもりは無かったの。ただ、少尉が真面目な方だから、つい聞いて見たくなっちゃった」
「いや謝るには及びませんよ。お兄さんのことを聞くのは、至極当たり前のことですから」
そう述べたものの、実はまだ心臓の鼓動は上がったままだった。
「これに懲りずに、またいらして下さいますか?」
その言葉を聞いて、梶山少尉は細胞の一つ一つが粟立つような喜びを感じていた。そしてそれは、今まで味わったことのない喜びだった。
「ええ是非」
自分でも思いがけない程大きな声で、力強く答えていた。
「そう言って頂いて良かった。その時には、娘にも是非合って下さい」
「それは楽しみだな。いま何歳になります?」
「三歳になります」
それを語る時、それまでの少女のあどけさを残した優子の表情が一変し、慈愛に満ちた母そのものに変貌したことへの驚きと、存在の見えない父親に対して嫉妬を覚えた。それでも、かき立てられた子供への好奇心を消すには至らなかった。
「可愛い盛りでしょうね」
「ええ、とっても」
「そう日を置かずして、また見舞いに来ることをお約束します。それまでに、もっと具合が良くなっているといいですね」
「はい、お待ちして居ります」
気が付くと昼食の配膳が始まっていた。二人は一緒に昼食を取り、その後の時間を楽しく過ごした。
気を使ったのか、それとも寺島さんと話が弾んだのか定かではないが、田実中隊長は時折様子を窺うように部屋を訪れる程度で、直ぐに部屋を出て行った。
それを繰り返す内に面会時間も終了となり、まだ仕事の残っている寺島さんと子供達に見送られて病院を後にした。
そして車が敷地を出る前に、中隊長から浅草へ向かうよう指示された。
そこで今晩、宿泊すると言う。
梶山少尉は街道に出て都心部へと車を進める。
まだ夕刻というのに日は大きく傾き、木々が日を遮って闇を呼び込んでいた。
車内に沈黙が戻ると、名残惜しさがこみ上げ、梶山少尉は今度は何時来れるだろうかと考えるようになった。
「中隊長、残って寺島さんと過ごしても良かったんじゃないですか?」
名残惜しさから、つい軽い冗談が出た。
「ば、馬鹿言うな。あの人とはそんなんじゃ無いってばよ」
そう狼狽える様子を見て、──あらら、以外。結構本気だ。
と、以外な対応に、ちょっとした驚きがあった。
それだから、つい意地悪にもなった。
「本当ですか。端から見て良い雰囲気でしたけどね。寺島さんも満更で無いご様子でしたが」
普段の梶山少尉は、そんな風に人をからかったりしない。
どういう心境の変化か、今はそんな風に中隊長を言葉でつついている。
「分かった、分かったよ」勘弁してくれと言わんばかりに、田実大尉は手を振った。
「確かにあの人に好意を寄せてはいるが、それはお前が考えているような物じゃないんだ。だってあの人は、戦友の許嫁なんだからな」
「えっ」
思いがけない言葉だった。
「もっとも結納前に戦死してしまったけどな」
梶山少尉は、──またやった。と悔やんだ。
他人を詮索するのを嫌いな質なのに、中隊長に対してはつい口が軽くなる。
それは打ち解けつつある証拠なのだが、一方、田実大尉は会話の中に思い掛けない物が飛び出してくる。
それにしてもこの人は、単純な人生を持ち合わせてないだろうか。
何かに付けて別の側面を持ち歩いている。
そんな風に思う。
「そうでしたか。それは申し訳ありませんでした」
梶山少尉が恐縮する。
「別に良いって。まあ、傍目にはそう見えても仕方無いだろうな。戦友の遺品を手渡したり、思い出を語っている内に親しくはなった。だが彼女との間には、いつも戦友が居るのさ」
その台詞には、死者への憐憫と生者への想い、その両方が込められていた。
──なんだ、やっぱり惹かれ合っているのか。ただ、死者への敬いが邪魔しているんだな。
ここから先は、他人が容易に踏み込めない預かり知らぬ領域が横たわっている。
迂闊に踏み込む物でもない。
だが、正直、仲を取り持ってあげたくもある。
それを相談するのは優子さん以外には考えられなかった。
彼女の存在が、きょう僅かの間に大きく成りつつあった。
中隊長である田実大尉に引きずられるのも、そう悪いものでは無い気がしていた。もちろんそれは恋心が生んだ錯覚ではあるが、後々もそれに振り回されることになろうとは、その時は夢想だにしなかった。




