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第40話 実演開始当日 ── 夜間の部・状況終了 ──

 河嶋兵長が部隊に戻ると、割れんばかりの拍手と歓声が出迎えた。

 中隊各員の誰もが顔をほころばせ、笑顔を見せて健闘を讃えている。


「さっさと報告せんか」

 おずおずと機体を降りる河嶋に対して、古参兵士が背中を押した。

 その先には、難しい表情の田実中隊長と笑顔の梶山少尉他、中隊幹部が出迎えていた。


「し、申告します。河嶋兵長は対抗戦に参加し、仮想敵である機甲科戦車との夜間模擬戦闘に勝利し、無事原隊に復帰しました。こ、ここに申告いたします」

 そうたどたどしく述べてぎこちなく敬礼すると、中隊の全員が一斉に挙手の返礼をした。


「おめでとう」

「良くやった」

「ご苦労だった」

「頑張ったな」


 各員から様々な祝辞が浴びせられると、感極まった河嶋兵長は涙ぐむ。

「自分は……自分は……」


 何かにつけて同期の橋田と比較され、それが元で反発して干されたりもした。

 それら様々な感情が去来し、言葉にならなかったのだ。


「あほ、こんな日に泣く奴があるか。ほら、笑え。笑えってばよ」

 そう言われて何とか笑顔を作ろうとしても、泣き顔がより一層くしゃくしゃになるだけだった。

 頃合良しとばかりに、梶山少尉が前に出る。


「さあ、今日は中隊長の粋な計らいで、ささやかながら酒盛りをすることになった。さっさと残った作業を片付けて、準備に取り掛かれ」

 そう言うと、後ろの田実中隊長が、「おい、俺は何も言っては……」と戸惑うのを、梶山は後ろを振り向き、他の者に見られないよう笑みを見せた。


 その後の後片付けは、目を見張る早さだった。

 普段の三倍もの速度で作業を終え、皆、半狂乱になって作業を見つけては自発的に片付けていった。

 指示待ちは一人も居なかった。

 そして一時間もしない内に終礼まで完了した。


 さらに酒宴の準備はもっと手際よく行われ、誰もが隠し持った員数外の酒、つまみを供出し、それでも足りないと見るや、車を出して近郊の牧場まで肉を買い付ける者、または駒門や御殿場まで出向き、閉まった商店の扉を叩く者が続出した。

 結果、それはささやかな酒宴とはならず、隊始まって以来の規模となった。


 中隊幹部もしくは監督責任がある者は、ちゃくちゃくと進められる準備を前に、喜びと同時に宴会規模の大きさに顔をしかめた。

 皆、それ程までに、今日の勝利が嬉しかったのだ。

 そして始まった酒宴は予想通り派手な物となり、誰が言う出もなく無礼講となって羽目を外す者が続出した。


 梶山少尉は一頻り騒いだ後、酒とつまみを手にそっと輪を抜け出す。

 そして中隊長の個人幕舎へと向かった。

「失礼します」

 天幕をくぐると、田実大尉は寝具に横になり、一人酒を傾けながら手紙に目を落としていた。


「なんだ」

 田実はそう言って起き上がり、手紙を懐にしまう。

「なんだは無いですよ。お一人かと思いましたので、一緒にやろうと持ってきました」

 そう言って、手の物を差し出した。


「どういった風の吹き回しかは知らんが、まあ座れ」

 場を作り、二人は向き合った。

 そして挿しつ挿されつして杯を重ねる。

 つまみの目玉は馬刺しだった。近隣には肉屋を兼ねた牧場が古くからあり、そこの馬刺しは生姜醤油で食べるとうまかった。


「しかし、俺と一緒の所を見られたら拙いんじゃないのか」

 田実大尉が杯越しにそう言うと、「なあに、今日みたいな日は、誰かが何をしているかなんてこれっぽっちも気にしちゃあ居ませんよ。中隊長の方こそ、連隊課長と飲まないで良いんですか?」と目を細めながら梶山は杯を干した。


「それこそ今日の様な日は、幾ら俺でも部隊を空けられないと分かっているさ。それに連中は、悔しくてさっさとふて寝でもしているだろうよ」

 田実大尉もそう言いながら杯を干した。


 二人は見合って笑った。

 今日まで接点の無い二人だったが、何とか話しの接穂を切らすことなく酒盛りは深夜まで及び、量も進んだ頃、梶山少尉が言った。


「私が天幕に入ったとき、嬉しそうに読まれていたのは手紙ですか。いったい何方のです」

 普段、立ち入ったことを聞くのを苦手とする彼だったが、酔いも手伝ってかつい興味本意で聞いてしまった。


「ん、ああ、あれか。妹の手紙さ。だいぶ具合も良くなって院内なら出歩けるようになったとか、次の見舞いを楽しみにしているとか、そんな内容さ」

 そうことも無げに言う田実大尉。

 だが、聞いた梶山少尉は、瞬時に酔いも醒めた。


「すいません。つい酔いに任せて立ち入ったこと聞いてしまって、申し訳ありませんでした」

 そう謝る部下に対し、中隊長である田実大尉は気にしている様子はなかった。

「お前が謝ることはないさ。それ所か、謝らなければならないのは俺の方だ。皆には申し訳ないと思っている」


 そうは言っても、今まで何とか良い雰囲気で来られたのに、梶山少尉は自分の不注意な一言で居心地悪くしてしまった気がした。取り繕おうにも言葉がでない。


 そんな梶山の様子を察してか、田実大尉が思いがけないことを言い始めた。

「お前、明後日の週末は何か予定あるか?」

「今週は五休日ですが、いえ、土日とも何もありません。外出はするとは思いますが、取り立てて何をするという訳でも、予定もありません」


 五休日とは、四週に一度だけ土曜日が休務となった。

 一般兵士に取って連休は何物にも変え難い貴重な意味を持ち、誰もが楽しみにしている。

 そういう日だった。


「そうか。特別何もなければ、俺に付き合え」

「へ、自分が大尉と休日を御一緒するので」

 突然のことで何を言われたのか理解できなかった。中隊長と休日を過ごすなど考えもしなかったからだ。

「そうだ。嫌か」

「嫌ではありませんが、土日のどちらを御一緒することになりますか。と言うより、何を、いや何処へ行かれるので」


 乾物を口の端からはみ出させて、田実大尉が笑みを浮かべた。

「場所は……いや、当日まで秘として置こう。そうだな、多方回るから土日も休暇にすると当直に一言いっておけ。あと車も用意するように」

 そう気軽に言った。


「用意するのは中隊長車ですか」

「それ以外にあるまい。なんなら他の車輌でも構わんぞ」

 梶山少尉のような士官には外出許可も休暇届も必要なく、好きなときに外出外泊ができた。

 だから何も問題はないのだが、中隊長車を自分が運転すとなると、場合によっては公務となるかも知れない。そのことを尋ねても、中隊長である田実は、「公務ではない」とだけしか言わなかった。


「貴様が何を考えているか分かっているぞ。随分と強引だと言いたいのだろ。そうさ、その位でないと、師団や連隊の馬鹿者供と渡り合えんからな」

 そうふてぶてしく笑う田実大尉を見ながら、随分な人に見込まれた物だと半ば諦めた。もうこうなったら、一蓮托生を覚悟するしかなかった。

「当日は宜しくお願い致します。と言うか、何をするのか分かりませんが、お手柔らかに頼みます」

「おう、まかしとけ」


 それから二人はさらに痛飲したが、幾ら飲んでも酔いつぶれない中隊長を前に、彼がこんなにも酒豪だとは思いも依らなかった。梶山少尉も覚悟を決め、今後も含めてとことん付き合うことにした。それによってどう言うことになろうが構わないと、半ばあきらめにも近い覚悟をした。





 夜が空けて、中隊朝礼には二日酔いの兵士が並んだ。

 梶山少尉もその中の一人だが、田実中隊長は何事もなかったように見えた。

 朝方まで浴びるほど飲んだと言うのにである。梶山は、中隊長は化物だと頭痛の中で思った。


 やがて合同の実演解散式が行われ、師団長始めとするどうでもいい訓示がとうとうと述べられた後、歩機操縦者である橋田兵長と河嶋兵長には功労賞が贈られた。

 幾ら裏では策謀があろうとも、公には歩機の活躍が目立ったのだから無視はできず、また他部隊の者に与えるのも客観的に見て違和感のある話しだった。

 妥当な受賞と言えた。


 そして機甲科の幾人と持田技官を始めとする開発部隊にも特別精勤賞が渡され、それで実験演習は解散となった。

 後は相模原の駐屯地に戻るだけだが、まだ酔いの醒めない者達の操縦で、はたして無事に戻れるのか梶山少尉にはそれが気がかりだった。


 駐屯地に戻ると早速機材の整備が開始され、日数の掛かるもの以外はその日の内に作業を終えてしまった。誰もが明日からの休日を前に、仕事を残しておきたくなかったのだ。


 そして留守を預かった者と情報交換を終えると、中隊は午後休務となった。

 その為に、皆、演習で汚れた被服を洗いに洗面所に集結した。

 梶山少尉の方針で、古参兵士が若い者に雑用全般を押し付けるのを禁止しているが為に、誰もが洗濯板で自分の被服を洗った。

 中には、私物のタライと洗濯板を持つ者も居るほどだ。


 そして少尉も皆と一緒になって泡にまみれて泥と垢を落とし、洗濯物が物乾場にはためく頃にもなるとラッパと共に国旗が降ろされて一日が終わった。

 その後、誰もが飯を食って風呂に入り、休日を待つだけとなった。


 兵士達は今はただ疲れた体を横たえ、夢の中で明日を想い描いていた。ここでは、戦争や殺し合いなぞ遠い出来事としか思えなかった。

 隊は幸せだった。

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