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第32話 実演開始当日 ── 夜間の部・九式軽戦車撃破 ──

 ──手こずらせやがって。

 河嶋兵長は勝利の余韻にひたることなく、活動を停止した戦車を離れた。

 そして溝の探索を継続する。

 直ぐ近くにもう一輌が居た。


 深く、幅の狭い溝の底にもう一輌の軽戦車がはまるように存在していた。

 この状態では川の溝は存在を秘匿してくれる存在でなく、単に行動を抑制するものでしかなかった。


 実際、試製一〇式めがけて砲塔を回そうとしても、砲身が溝の壁に阻まれ、思うように回せないでいた。それと同時に、前進速度を早めて少しでも幅の広い所に出ようとあがくが、思うように速度の出せる地形ではもない。


 河嶋兵長は軽戦車に哀れを感じながらも、ためらうことなく噴進砲弾を発射した。

 至近距離から放たれた弾体は車体後部に命中し、これで三輌の戦車を屠った。


 無線からは、二輌撃破の判定が立て続けにらもたらされる。

 その結果に実演本部は驚愕した。

 そして機甲隊には怒号が飛び交い、ときおり机を叩く音がした。そして実験中隊では控え目ながらも、歓喜の歓声に包まれていた。





「おいっ、信じられるか。あの九式軽を立て続けに二輌も食っちまったぞ」

 古参兵士の一人が、略帽を握り締めて言った。

 その声色が弾んでいる。


「昼間の梶山といい、夜の河嶋といい、いったい今日はどうしたんだよ。試製一〇式が別物のように動きやがる」

 別の技官が、熱に浮かされたように語っている。

 その場に居る誰もが、思い付いたままを口に出していた。もちろん誰かに答えてもらうつもりはない。ただ、そうしてないと居られないほどに興奮してはいた。


 ──これだよ、これ。

 梶山少尉も興奮していた。


 ──これが開発の醍醐味だ。昨日まで掴み所のない作業を続け、何度も期待を裏切られ、失望と焦燥の果てにある日突然手応えが訪れる。今まさに味わっているこの瞬間を、ずっと待っていた。

 静かに全身を粟立たせて感慨にひたっていた。


 技官の持田は腕を組んでたたずんではいる。

 そういった風情に見えた。

 だけどその表情を子細に見ると、目が血走って興奮している様子がうかんでいる。


 結局の所、実演本部全体が驚きに包まれていると言って過言でなかった。

 そして、何よりも一番驚きと興奮しているのは、他でもない実験中隊の面々だった。自分達のしていることの大きさに、自分達が作り上げた物によって気付かされていた。


 だが怒り心頭に達している機甲科幹部ではあったが、彼らに諦めの表情はない。

 虎視眈々と次策を狙う彼らの表情に気が付いたのは、中隊長の田実大尉ただ一人だった。しかし、素性を隠さなければならない彼にとって、それは誰にも言えないことだった。





 本部の騒ぎを余所に、河嶋兵長は残る獲物の捜索に余念がなかった。

 一式中戦車が近くに潜んで狙っていると思ったのに、軽戦車と格闘している間にどこかへと移動していた。


 やみくもに捜しても埒があかないと判断した彼は、とりあえず最後に視認した所まで戻ることにした。

 はたしてそこには砂の上に黒く、くっきりと履帯の痕が残されている。

 それをたどれば戦車にたどり着く。

 それは造作も無い。

 残りは旧式の中戦車が一輌のみだ。今までの苦労からすると、ずいぶんと簡単な戦いに思えた。


 追跡を開始してから一〇分と経たないうちに、闇夜を背景に戦車が巻き上げる砂塵が見えた。

 河嶋兵長は試製一〇式歩機をその砂塵めがけて増速させる。


 大股で移動する歩機は地響きを立て、やがて車体が判別できる距離まで接近させる。

 そして照明弾を一発、天空に打ち上げた。


 曇天に燐光が輝き、降り注ぐ光の中に、戦車が浮かび上がる。

 砲塔を後ろに回し、枯れ草の野原をかなりの速度で遠ざかろうとしている様子がありありと見て取れた。


 ──逃げたところで同じなのに、踏み留まって態勢整えようとはしないのかな。

 河嶋兵長には逃げ行く戦車の気持ちが分からなかった。


 確かに距離を開けた方が戦車には有利だろう。

 それは分かる。

 だが逃げる途中で発見されたのでは意味はない。


 現状で考えられることと言えば、接近戦に強い軽戦車をねじ伏せたことで、歩機と至近距離で対戦することの不利を悟り、発見されるのを承知の上で移動を開始したのではないかというものだった。


 ときおり走行中の戦車から砲撃を受けたが、移動しながらでは命中は期待できない。

 停止して身を屈める程度で避けられた。

 とはいえ歩機もまた移動しながら射撃しても命中は期待できない。接近しなくてはならないのは河嶋もまた同じだった。


 ──距離を詰めるしかないなあ。まあ、最後の一輌だし、つき合ってやるとするか。


 数分間、単調な追跡が続く。

 凹凸の激しい地表での歩行移動には困難が付きまとい、移動目標に対する命中公算距離である一五〇メートルに僅かの所で踏み込めないで居た。


 その距離に及ぼうとすると、戦車が増速して距離を離してしまうからだ。

 多分、機甲科は対抗戦に挑むにあたり、試製一〇式歩機と携行火器の情報を取り寄せて検討したに違いなかった。


 ──じれったいなあ。さっさとあんた達のお得意な撃ち合いで決着つければ良いじゃんか、何考えているんだろ。

 続く追跡に、河嶋兵長はいらだちを募らせる。


 その頃にもなると、歩機と戦車の追跡戦は実演本部にまで近付いていた。

 それまで観測車に乗った判定官の無線実況を聞くだけだった観戦武官の面々は、闇視装置を覗いて直に確認していた。

 それは中隊の面々も同じである。


「河嶋もう少しだ。さっさと距離を詰めろ」

 そうかけ声を掛ける実験中隊の中で、中隊長である田実大尉だけは顔をしかめずには居られなかった。


 ──おかしい。河嶋は追い詰めているのではなく、実際は引きずられているのではないか。

 そういった疑念が涌いてきた。

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