第28話 実演開始当日 ── 夜間の部・状況開始 ──
河嶋兵長の操る歩機はゆっくりと移動を開始し、指定された行動発揮位置で停止した。対抗部隊である戦車も既に移動を完了し、彼らもまた指定された発揮位置で待機している筈だった。
河嶋は機体天頂部の乗降扉を押し上げ、腰を浮かせて先ほどまで戦車の騒音が響いていた方角を見た。だが戦車は鳴りを潜め、何処にいるのか見当もつかない。
「好き勝手に戦っていいんだよな」
兵長はそうつぶやいて周囲を見回す。
そして先程までの少年らしいあどけない表情が消え、年齢からしたら不相応にふっと笑う。操縦席に座ったときに見せる、彼独特の表情だった。
やがて開始時間となった。
実演本部裏手からは夜空に向かって信号弾が打ち上げられ、赤い燐光が辺りを染めあげた。
「状況開始」
判定官の旗が大きく振られ、無線を通じて対抗戦演習開始が告げられた。
歩機と戦車のどちらかが倒され、完全に決着が着くまでこの状況が終わることはない。
その演習が開始された。
河嶋兵長は歩機から顔を出したまま辺りを探る。
開始と同時に、戦車がゆっくりと移動する音がかすかに響いてくる。
戦車という兵器は以外なほど自身の位置を暴露する乗り物だった。
通常の移動でさえ、発動機、履帯、転輪の各走行装置は激しい音を発し、その重量は地響きを立てずには移動できない。
そして野原を移動すれば履帯が砂埃を巻き上げ、場合によっては狼煙のように立ち昇って数キロ先からでもその存在を暴露した。
したがって通常であれば発見はたやすい。
だが、そのように騒々しい戦車でえ、夜隠に乗じればかなり存在を秘匿できる。そして、今夜対戦する戦車兵達は、そんな特性を知り尽くしている強者ばかり。騒音すら欺瞞に利用しとていると思って間違いない。
では、問題はどう戦うかだった。
ただ待てば、やがて戦車隊に有利な位置を占められ、撃ち竦められるのは確実だった。
と言って、闇雲に十数キロ四方の対抗戦指定地域内を動き回っても的になるだけだった。この状況下で試製一〇式は単機で勝たなくてはならなかった。
しかし、そのような困難な状況に際しても、独り河嶋兵長は不敵な笑みをたたえていた。
どこか楽しそうだ。
彼にとって夜間戦闘のような不確かな状況の方が正直戦いやすい。
操縦席に座り河嶋は正面を見据え、歩機の動力腕に七式一六〇ミリ噴進砲を構え、ゆっくりと機体を進めた。
目標は左手前方約一〇〇メートルの藪だった。
そこなら機体を隠すに足る木々が生い茂り、しかも広範囲を監視できそうだ。
ここ数日好天が続いたために地面は乾燥し、火山灰が混じった富士の砂は歩機の足音を消すのに最適で、それが唯一の味方だった。
程なくして、誰にも発見されずに目的地にたどり着くことができた。
聞き耳を立てて周囲の安全を確認する。
出来るだけ意識から歩機発動機の音を消し、付近に自分以外の機械音がしないことを確認した。
それから河嶋兵長は機体を降りて地面に立つ。
長靴で表土を削り取り、堅い地面を露わにして、そこに耳を押し当て様子をうかがった。
微かに響く振動の主である戦車は、河嶋兵長と富士山の間に割り込むように移動していると判断された。戦車は富士を背景にしようと画策しているのだろう。それならば発見が難しくなるからだ。
──山に向かっているのは、一輌、いや二輌か。残りは移動していない。
ここで間違えてならないのは、判定官の乗った観測車の存在だった。
観測車は、一式半装軌装甲兵車を改造した指揮装甲車であり、前輪はタイヤだが後輪は戦車のような履帯だった。
だから移動音だけを聞けば、戦車の騒音と間違う恐れがあった。
そして観測車は複数台存在し、赤外線照射型の暗視装置で演習の様子をくまなく監視するため、近辺をたえず移動して居ると思って間違いない。
だが判定官の乗った観測車は個別に活動し、組になって移動することは無い。
したがって二輌組になっている移動音の正体は戦車だ。
二組の履帯が発する音、または振動の正体は、対抗部隊である可能性が高かった。
敵が挟撃を画策しているならば、別動隊は半数と思われた。すると対抗部隊の機甲戦力は一個小隊四輌である公算が高い。
河嶋兵長は試製一〇式の操縦席に戻る。
そして操縦席で、いかに相手の意図をくじき、妨害するのかを考える。
一番確実なのは撃破することだが、それは結果であり作戦ではない。撃破するに足る狙いがなくては駄目だった。
彼は敵の一番嫌がるであろうことを思い描いた。
それは、自分達の進出予定位置に先回りされ、待ち伏せを受けることだ。
攻撃の秘訣は、意図の秘匿にある。狙いが露見すると、失敗の可能性が高くなる。
河嶋兵長の目的が定まる。
兵長は当面の目標を対抗部隊の先回りして待ち伏せすることに決め、富士方面に向けて移動を開始した。
そして目的地まで真っ直ぐ向かわずに途中大きく迂回し、戦車が通過しそうな箇所に梱包爆薬と地雷を設置する。
実験中隊は元が工兵の部隊であるため、それらの準備と指示は的確に成されていた。そして、河嶋兵長は少年戦車生からの転科組であり、戦車乗りの基本的な考えというか、癖のようなものは身につけている。だから、戦車で移動しているつもりで地形を眺めては、地雷の埋設位置を決めていた。
──建設重機が歩いているだけか。機甲科の人達も上手いこと言うなあ。
それは戦車乗りが歩機を馬鹿にするときに述べる、定番の言葉だった。
実験中隊の面々はその発言に腹を立てる。
だけど河嶋兵長も本音を言えば、その「歩く建設重機」は同意だった。
確かに彼が行っている作業、つまり地雷や梱包爆薬の設置は、そう思われても仕方のないことばかりである。
だが歩く重機としての歩機は、それら作業も的確にこなす能力を有している。
通常なら分隊で行う作業量もたちまちにして終了した。それに歩機は、建設重機の能力だけでなく、戦闘機械として高い能力を秘めている。舐めるなよと思った。




