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第26話 実演開始当日 ── 中隊の危機・もう一人の操縦者 ──

「お呼びでしょうか」

 河嶋兵長が細い声で言った。彼は線が細く、何処となく儚げではあった。


「知っていようが、橋田が倒れた。対抗戦には君が出なさい」

 河嶋兵長は即答しなかった。しばらく考え、やがて意を決したように言った。


「……嫌です」

 素直ではない。

 それが本心でないことを、梶山少尉は知っていた。


「困ったな。どうしても駄目か」

「夜間の対抗戦が難しいこと位、誰でも知っています。負けたら僕のせいになるんですよね。そしたら昼間操縦した橋田と差がついて見えてしまいます。彼は勝った、だけどお前は負けたなんて思われるのは御免です」


 少尉は腕を組んで唸った。

 河嶋兵長は少年特有の感情で拗ねていた。

 明るい素直な性格の橋田は皆から好かれ、その為に正操縦士の座を射止めたといっても過言ではなかった。もちろん腕もいい。だが、操縦の腕だけなら、河嶋も負けてはなかった。それどころか天才的な閃きを見せる事も多々あった。

 だが対立しているのは大人達だけの話しで、二人はそれを余所に仲が良かった。しかし、この依怙地さが、中隊で彼の立場を微妙なものにしていた。


「俺はお前を買っているんだがなあ、それでも駄目か」

 その程度の言葉では、凝り固まった少年の心を説き解すには足りなかった。


「梶山少尉が自分を認めてくれているのは知っています。中隊の会議では、正操縦士に推してくれたことも聞きました。でも、皆は、橋田が良いと言ったのだから、最後まで彼にやらしたらいいじゃないですか。駄目になったから、じゃあお前がやれでは虫がよすぎます」


 これを、他の者が聞いたら「ふざけるなと」と一喝していることだろう。

 だが、河嶋を拗ねさせたのは、中隊の大人達だった。

 少年の競争心を煽り、最終的に好悪感情で決定したことが、彼の繊細な精神を傷付けてしまった。梶山少尉はそのことが不憫に思えてならなかった。


「皆に不満があるのなら、実演で見返したらどうだ」

「それでしたら昼間乗せて欲しかったです。こんな難しい局面を押し付けられて、戦車に負けたら次はいつ乗せてもらえるか分かりません。そんな危険は犯したくないんです」


 たぶん彼は相当悔しい思いをしたのだろう。それが大人達への不信感につながってしまっている。それを説き解さなければ、無理やり乗せても上手く行かないだろう。


「これは今まで黙っていたことだが」

 梶山少尉は奥の手を出すことに決めた。歩機への憧れの裏返しが依怙地さの源泉なら、きっと巧く行くはずだった。

「いま、試製一〇式の二号機を計画している。その正操縦士を君にするつもりだ」


「本当ですか」

 河嶋兵長は目を丸くして驚いた。

「ああ、本当だ。ただし、その為には君の乗り方を皆に見せて、納得させなくてはならない」


「乗り方ですか」

 感の良い彼には、何のことか分かっていた。


 歩機、特に試製一〇式はその多様性と操縦の難しさから、乗り手の癖が如実に表れた。最初の試作機である一号機は、一般的な運用方法を確立させる必要性から、操縦に癖のない橋田兵長が選ばれた側面が強かった。


 だが二号機には、そのような制限はない。

 どちらかと言えば、試製一〇式の可能性を探る戦技研究的な目的に使用される。それには河嶋兵長が適任だった。彼の操縦は独特で灰汁(アク)が強かったのだ。


「二号機には、大幅に戦訓を取り入れて試作する予定でいる。それには河嶋君の操縦法や意見も反映させるつもりだ。つまり、君の為の歩機になるだろう」

 それが殺し文句だった。そしてそれが、まだ少年である河嶋兵長の心を捉えた。

「僕の歩機……」


「そうだ。既に持田技官は改良部分の図面を引き始めている。だからあの操縦法を皆に見せ、そして納得させなくてはならない。それには難しい局面こそ効果的だと思うが。どうだ、やってくれるか」


 河嶋兵長の目は輝きを帯び、期待に満ち溢れていた。そして上目遣いで言った。

「梶山少尉はずるいですよ。そんなこと言われて、断れる訳ないじゃないですか。是非やらせて下さい」

 そして笑みを浮かべた。


「そうか、乗ってくれるか。それなら早速歩機へと向かえ。いま、持田技官と民間の技術者が、ちょうど新しい電算機を試している所だ。君の乗り方に影響するだろうから、聞いておいた方がいいだろうな」


「新しい電算機ですか」

 興奮と驚きが河嶋兵長を捉え、それが表情に表れていた。ここだけを見たら、彼も橋田も変わりはない。


「ああそうだ。東京の通信研究所の技術者が今朝持ってきた。俺も詳しいことは知らないが、計算速度が上がっているらしい」


 河嶋兵長は歩機も去ることながら、電算機に対する興味にも並々ならぬものがあった。彼は、整備のために降ろした電算機をいじるのが好きで、一人、工作室にこもっては操作と試験を繰り返し、寝食を忘れることも度々あった程だ。


「計算速度が上がっているということですが、一体どの位でしょう?」

 そう言いながらも、早く機体に駆けつけたくてそわそわしている。心ここに有らずといった様子だった。


「俺から聞くよりも直接見た方が早いだろうから、もう行きなさい。細かい打ち合わせは、後で俺の方から出向くことにするよ」


 一礼して機体へと駆け寄る河嶋兵長の後ろ姿を見て、梶山少尉は深いため息をついた。

「後世の人は、開発の裏で俺がこんな苦労をしているなんて想像もできないだろうな。機体のことだけを考えられたら、どんなに楽か。それは分かって貰えそうもないな」

 と、独り言を述べた。

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