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第20話 実演開始当日 ── 田実中隊長の変貌 ──

 天幕から出て行く田実大尉を、梶山少尉は驚きでもって見送った。

 確認し忘れたことを思い出して戻った所、天幕の入り口で中佐と中隊長の会話を聞いてしまったのだった。


 その頃にもなると、すっかり夜のとばりが演習場全体を覆い、かろうじて富士山頂に残照が射しているだけになっている。

 田実大尉は暗闇に溶け込んだ梶山少尉の存在に気が付くことなく、部隊の方へと力無く歩き去っていった。その後ろ姿を見つめながら、少尉は呆然とただ立ち尽くしていた。


 ──こんなことってあるか。

 結核の妹、入院、置屋、開発の妨害。会話だけでは断片しか分からないが、それでも事態の概略は伺い知れた。


 ──じゃあ中隊長は、今まで誰かに強要されて開発を妨害して居たと、そうことになるのか。

 そう考えると、これまでの状況に納得がいった。

 どうりで上級幹部に改善を要求しても無視される筈だ。自分達と歩機は軍から疎まれている存在でしかなかったのだ。


 だが、おぼろげながらも状況が分かったとは言え、どうすることもできない。

 証拠も無しにこのことを宮田中佐に問い正しても、たぶん無駄だろうと思った。否定されたらそれまでだし、反って立場を悪くするかも知れなかった。

 やれることはたった一つ、田実中隊長に直接確認することだった。それに、最後の副食云々も気に掛かる所ではあった。


 梶山少尉が大股で後を追いかけると、ゆっくり歩く田実大尉にすぐ追い付く。

「お待ち下さい」

 その声に振り返った田大尉は、先に部隊に戻った筈の梶山少尉が後から来たことに困惑しているようだった。そして、今までとは違う雰囲気も感じ取る。


「何だ、部隊に戻っていたんじゃ無いのか」

 怪訝そうに、そういった。

 梶山の見たところ、表面的にはいつもの無能な上司だが、今は違って見えた。何が違うのかは、これから確認する内容で分かってくるのだろう。


「先ほど宮田中佐と話していた件で、確認したいことが」

 そう切り出すと、田実大尉の身体が硬直し、険しい目付きで睨んだ。

「なんだとっ」

 短く詰問するような口調だった。

「開発妨害と妹さんの結核に関係があるような話でしたが」


 問いかけに大尉は即答しなかった。

 その変わり辺りを見回し、付近に誰も居ないことを確認していた。そして、「ちょっとこっちに来い」と高台から連れだって降り、二人は獣道を伝って茂みの中に入って行った。


 冬の闇は足が早い。

 その頃になると日もすっかり落ち、本部付近は申し訳程度の明かりはあるものの、二人の居る繁みは高台の背で遮られて闇が深くなっていた。


「何処まで聞いた」

 振り返ると同時に田実大尉が言った。囁くような小さな声だが、語気鋭く、目は相変わらず険しく殺気も漲っているようだった。


「天幕を出たあと、直ぐに引き返しました。ですので、ほとんどを聞いたと思います」

 釣られた梶山少尉が小さな声で答えた。それを聞いた田実は天を仰いだ。

「くそっ、俺も奴もうかつだった。よりによって貴様に聞かれるとはな」

「それでどうなんですか、あの話は本当なんでしょうか」

 言ってしまってから、我ながら稚拙な質問だと思った。田実大尉もそう感じたようだ。


「随分と動転しているようだな。あの場で嘘を付いて何になると言うんだ。本当さ、全て本当のことさ」

 決定的だった。頭上には冬の星座が瞬いているが、それは梶山少尉の目に入らなかった。

 思い起こして見れば、予兆は色々とあった。日々雑事に追われ、忙しさの中で様々なことを見落としていたのだ。中隊長への感情も邪魔をしていただろう。ただ、たとえ以前にそのことに気がついたとして、自分に巧く対処できたかどうか自信はない。


「それでどうする」ここにきて、意外なほど田実大尉の声は冷静そのものだった。「誰かに相談するのか? それだけは止めておけ」とも続けた。

「何故です。自分はこのことを放置できません。然るべき組織に訴え出るつもりです」

「つまり告発だな」

 射るような目付きで、田実大尉が言った。


「ええ、歩機開発の妨害を排除したいだけです。今となっては中隊長の立場も分かるつもりですので、強制されていたと証言すれば処罰も軽く済む可能性も考えられます」

 それを聞いた田実大尉は、片方の頬を歪めるように釣り上げ、笑っているような、それでいて諦めたような複雑な表情をたたえた。だが、嫌みは感じなかった。


「お前は優秀な士官だが、甘っちょろいな。歩機が大事なら黙っていることだ」

「甘っちょろいのは認めますが、だからと言って従えません。歩機を大事だからこそ告発するんです。第一、葬り去ろうとしているのは、中隊長を脅している連中じゃないですか」


 だが田実大尉の口からは、思いがけない言葉が発せられた。

「分かってないな。ここで騒動を起したら、開発は只ではすまん。場合によっては、葬り去ろうとしているのはお前さんの方ということにも成りかねん」

「え?」

 その弁はにわかには信じられないものだった。

 雰囲気からして、でまかせや言い逃れをしようとしてないことは分かるが、理解し難かった。


「何言っているのか理解し難いです。私が開発に一生懸命なのはご存知でしょう」

「それは分かっている。だが騒ぎになれば、最悪、開発は中止の憂き目を見るだろう。良くて、騒動が治まるまでは中止だろうな。中隊の人員も一新されるかも知れん。だが、それでも宮田中佐はおとがめ無しさ。そう言うもんなんだよ、軍って奴は」

 大尉の言葉には軍への不信が見え隠れしていた。

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