172話 既に事は起きていた
※勇者ヒルダ視点の回です。
〈勇者ヒルダ視点〉
箱檻の誘惑に打ち勝ったヒルダは地に伏していた。
勢い余って転倒したのだ。
しかし、それくらいの力で断ち切らなければ、あの誘惑には勝てなかった。
それに持っていた矛が運良く檻の入り口に引っかかってくれたことが大きな助けになっていた。
――矛よりも短い武器だったら今頃、私も捕らわれていたわ……。
彼女はすぐさま身を起こすと、滑るように繁みの中へと移動し、檻から距離を空ける。
再び、吸引されるわけにはいかないからだ。
罠の影響を受けないと思われる場所で、ようやく落ち着くと、
「いっつ……」
ふと右腕に痛みを感じた。
見れば二の腕に筋状の血が滲んでいる。
どうやら檻から脱する際に、どこかへ引っ掛けたらしい。
大したことのない擦り傷だが、痛みが不快に感じる。
ヒルダはその傷口に手を当てると、辺りを見渡した。
開けた平原に転がる無数の檻。
その中に捕らえられている兵士達。
彼らの不安げな表情は、たった一人残されている彼女に向けられている。
改めて自分が置かれている状況を目の当たりにして、ヒルダは愕然とした。
どうしてこんな事になってしまったのだろう……と。
――何かが、おかしい。
違和感を強く覚えたのは、この森に入ってしまったことである。
――狙撃を受けたあの時……私はレオと共に行くつもりだった。けれど……気がつけば体が別方向の森へと向かっていた……。
まるで外力が加わったみたいに……。
それより前にも、おかしいことは沢山あった。
最初の狙撃が兵士達の最後列に向かって放たれたことだ。
――気配を消せて、場所を悟らせない能力があるのならば、真っ先に狙うのは勇者である私か、レオのはず……。
一射目を外せば、警戒され、防御を張られるのは目に見えているからだ。
なのに、それをしなかった。
まるで、わざとそうしているかのように……。
――ん……わざと?
そう考えると理屈が通るような気がしてくる。
――まず私達から一番遠い場所にいる兵士を狙って狙撃。そこから隊列の中央を縦断するように射撃を集中させ、段々と私達に近づけて行く……。
敵はそれで何かを知りたかったのだ。
――普通に考えれば……スキルの詳細?
しかもその狙撃は兵士達を動揺させ、分断することに一役買っていた。
隊列の中央に集中砲火的に狙撃を繰り返せば、左右に分かれるより他は無い。
――だけど、絶対防御の庇護下にいた一部の兵士と私は別……。
移動する際には絶対防御を一時的に解除していたが、それだけでは二手に分かれてしまった理由にはならない。
――それを現実の出来事にしてしまったのは、先程から気になっている強い違和感の正体が原因であることは間違いないと思う。
あの時、何が……?
思い返してみると、足下に変な感触があった気がする。
踏んだ途端につるっと滑ったような感覚だ。
それを感じた直後、体が勝手にレオとは反対の森の中へと向かっていた。
――踏んだ途端……ってことは、地面にそんな能力を発揮する罠か何かが仕掛けられていた?
しかし、それまでは四天王を名乗るフルプレートアーマーを着たゴーレムと戦闘をしていた。
もし、そんな罠が仕掛けられていたというのなら、あの戦いの最中に誤って踏んでいてもおかしくはない。
――でも実際には兵が分断されてから、それに合わせるように私達も分断された感じがする。まるで全ての状況が整ってから動かされたような……。
そんな都合の良いタイミングで罠を仕掛けられるだろうか?
否、素早く飛び回れるような者でもなければ設置など出来ないだろう。
――素早く……飛び回る……? あ……。
引っ掛かりを覚えた直後、ヒルダの体に怖気が走った。
――いた……。あの場にそれをこなせる者が……。
それは巨体でありながらも翼を持った者のように機敏に飛び回れる鋼鉄の騎士。
ゴーレムの四天王だ。
あの機動性なら、戦闘をこなしながら罠を設置していくことも可能かもしれない。
――私達の動きを見ながら足下に罠を設置したというの?
「……」
――ということは、この結果は魔王の想定内ってこと……?
ヒルダは自分が手の上で転がされているような感覚に陥り、背筋に冷たいものを感じた。




