八
「さあ、行くぞ。頼んだぞ、二人とも」
「わかったよ」
「任せてっ」
シュワルトは大きな荷物を抱えて宿屋を出、ミランとモニは人目につかないマンホールの蓋を開けて中へ入ると、下水道を歩いていった。
「モニ、お前の頭の中はどうなっているのだ」
地下迷路の複雑さに辟易しながら、ミランが歩を進めていく。全ては胸ポケットから出たモニが、ミランの前を歩いて先導している。迷いなく駆けていく後ろ姿を追いかけるようにミランは足を前へ前へと出した。
「結構、音でも覚えているんだ」
水の流れる方向や水滴が落ちる音などを捉えて記憶しているらしい。時々立ち止まっては、その大きな耳をピクピクと揺らした。
そして、天井の低い土管に入る。ミランはほふく前進するように頭を下げた。
「この先が盗品の保管部屋だよ」
声を落としたモニが振り返って言う。
鉄製の格子は、鉄を錆びつかせてやわくする薬品を使って、直ぐに外すことができる。
「盗賊にとっては、これはもはや必需品だな」
液体をかけると、ミランはビンの蓋を閉め、そして腰に下げた麻袋へと入れた。
「部屋には誰もいないけど、廊下の外で話をしているヤツが二人」
「了解」
ぐにゃりと曲がった鉄製の格子を、音をさせないように外す。そこから身体を這い上がらせると、ミランは身体の曲線が艶かしい女性の彫刻の台座の裏へと回った。
「モニ、部屋から出るタイミングは任せたぞ」
ミランが台座から顔を出して言う。
ドアの隣にある燭台と壁の間に身を潜めると、モニは壁越しに聞こえてくる声に神経を集中した。足音が遠ざかり、話し声が止む。廊下に静寂が訪れ、モニはミランへと合図を送った。
そろそろと音を立てないよう廊下へと出る。ミランの足元をさっと通り抜けると、モニは廊下の奥にある部屋へと真っ直ぐに駆けた。
「ミラン、こっち‼︎」
足音を消して、ミランも走る。
地下迷路を行く時に邪魔になるだろうと、いつも腰に下げている大刀もシュワルトに預けてある。
音もなく部屋のドアへと辿り着けたのは、ミランの身の軽さにも理由があるのだろう。
「ここか」
「うん」
「中に誰かいるのか?」
「話し声はしないから、誰もいないと思うけど……」
モニのひそめた声が不安そうに揺れた。
「なんだ? どうした?」
「偵察に来た時と様子が違う」
「どういうことだ?」
ミランが先を促し、モニが慌てて答える。
「この前は、彼女の声がしていたんだ。それに翼の音も」
「部屋を移動したということか」
「ううん、わからない」
その時、廊下の反対側の奥で、ゆっくりとドアを開ける微かな音が響いた。もちろんミランには聞こえなかったが、モニの大きな耳がその音をとらえていた。
「誰か来る」
「わかった、とりあえずここに入ってやり過ごそう」
ドアを開けて部屋へと入る。ミランはドアを後ろ手に閉めると、注意深く周りを見回した。
誰もいない。
壁側には背丈を大きく上回るほどの大きなクローゼットが一つあり、扉が片方開いていて、中に並べられているドレスが見えた。どれも豪華なものばかりだ。
そして、天蓋付きのベッド。
天井から吊るした大きな布が中を隠している。
ミランが腰に差した短刀を抜く。ベッドに近づいていくと、そっとその短刀で布を持ち上げた。
短刀が何かにあたり、カランと音を立てた。
「⁉︎」
ミランはおもむろに短刀を振り上げ、剣先で布を縦に一直線に引き裂いた。そして、裂かれた布をまくり上げる。
「……これはどういうことだっっ⁉︎」
ミランが抑えていた声を少しだけ張り上げた。
中にはベッドに沿うように配置された、鉄格子。
そして、さらにその中には。
「噂には聞いていたが……あなたが、リの国、国主の妹君かっっ」
その女の姿。
真っ直ぐで艶のある黒髪は腰まで長く、座り込んでいる着物の和柄をところどころ隠している。栗色の瞳は潤んでいるが真っ赤に充血し、その溜めた涙が流れた跡が頬に幾筋もついていた。
「どうして、こんな……」
鉄製の格子は見るからに頑丈で、逃げようとして逃げられるものでもない。それなのに、女は腕を後ろ手に縛られて、足元も二重に縛られていた。
白い布のようなもので、口元も塞がれている。
「ミランっっ」
モニの叫び声がして、後ろを振り返る。ミランはその切迫したモニの声で、短刀を胸の前にかざして、戦闘態勢に入った。
「ようやく、会えた」
野太い声が響いた。
クローゼットのドアが閉められる。そのドアに隠れるように立っていた男が、その暗がりから出てきた。
その男のまとう異様な雰囲気に、ミランが後ずさる。
裸足だ。
(モニが、……気づかないわけだ)
ミランは 心で苦笑した。
男は、ゆっくりと進み出てくると、そこでぴたりと止まった。
「誰だ」
ミランが鋭い声を出す。
盗賊団の下っ端であるはずがない、それは男の立ち居振る舞いで一目瞭然だ。頬にかかるウェーブのかかった黒髪と、その頬にある傷跡。そしてその眼光の鋭さに、ミランは唾を飲んだ。
「……お前が、メイファンの黒蛇、か」
男は身じろぎもせず、ミランをじっと見つめている。
ミランもその隙に男の観察と、次なる一手を模索しようと試みた。
(裸足、とはな……どうやら私が彼女を盗みにくるのを知っていたようだ)
「ミラン、お前の噂は聞いている」
黒蛇は、やはり身体のどこもを動かすことなく、声を発した。
側で見ていたモニが、いつのまにか見当たらない。ちらりちらりと周囲に目を這わせるが、見つけられなかった。
ミランが剣を握り込んでさらにかざすと、黒蛇は腰から短いナイフを三本出して、それぞれの指に挟む。
「さあ、その鉄格子の中に入るんだ」
ニヤリと不敵に笑う。その余裕ある笑みに、ミランの背筋が凍った。
「モニっっ‼︎」
さあっと背筋に嫌な汗が流れる。
ナイフを持つ右手ではない。だらりと垂らした反対側の手だ。そこには気を失わされたモニが、その大きな手に握られている。
(い、いつのまにっっ)
「ミラン、お前は友達が多いんだな」
黒蛇の声が頭の中で響き、痺れる。ミランは動揺し、それを抑えようと、短刀を握る手に力を入れた。
「中に入れと言っている」
ミランは観念し、短刀をその場に落とした。そして、背後にある鉄製の格子の鍵に手を掛ける。ギギッとドアの音がしたと思うと、ミランは頭を下げてベッドの中に入った。
布の裂け目から黒蛇がミランを見つめる。ミランも険しい表情で、黒蛇を見た。
「ようやく、会えた」
一言呟くように言うと、黒蛇が音もなく近づいてきて、鳥かごの鍵を外からかける。ガチャンと音が鳴った。
「モニを離せ」
黒蛇はニタっと笑うと、左手を少し上げて言った。
「これはもう必要ない」
ピクッと手が動く。
「やめろっっ‼︎」
ミランが慌てて格子に指をかけて数度揺らすと、ガチャンガチャンと甲高い音が響いた。
「そんなにこれが大切か。なら、俺が預かっておこう」
黒蛇はそのまま踵を返すと、部屋から出ていった。
「モニ、」
ミランは唇を噛み締め、うなだれて、モニの名を何度も呟いた。