七
「お前は本当に……」
ミランは呆れて言おうとして、口を噤んだ。
シュワルトの顔のそこら中にキスマークがある。赤い口紅がべっとりついているのを見て、ミランは大きく溜め息をつきながら、タオルを差し出した。
満足げにタオルを受け取ると、シュワルトは顔を拭く。
「あー、楽園だった」
「遊びじゃないぞ」
「わかってる、ちゃんと仕事してきたっつーの。それよりさ、」
あー疲れた、ちょっと羽だけ伸ばさせて、シュワルトはそう言うと、途端に竜へと変化した。
「こら、こんな狭い部屋で、お前、」
天井につく頭を垂れて、翼を目一杯広げる。
天井から吊り下げてある照明に翼が当たり、ガシャンガシャンと揺れた。
ミランがすかさず、シュワルトの懐に入る。
翼で何度ひっくり返されたことか、と呆れながらミランはシュワルトの胸にもたれかかった。
(こうすると、ミランを抱き締められるんだなあ)
シュワルトは満足そうに翼を下ろすと、それをよけようとミランがさらに身体を寄せる。ふるっとシュワルトは身を震わせて、そのままミランに自分の顔を寄せた。
「シュワルト、お前、すごい匂いだぞ」
女物の香水の匂いが、そこら中に浮遊する。
「盗品売買と言ってもまあ、ありゃ不純異性交遊の場だね」
「何か掴めたか?」
ミランにそう問われ、シュワルトはガクッと肩を落とした。
(僕がどれだけモテたかなんて、気にもならないんだろうな)
ミランが色恋沙汰に疎いことは、よくわかっていた。
(ミランと出会った頃から、僕なんて眼中にない……)
「シュワルト、」
急かされて苦笑。
「僕が入った盗賊団は、メイファンの末端の小さな組織だったけど、上の連中はメイファンに出入りしているみたいで、色々と話は聞けたよ」
「そうか。で?」
「メイファン首領の黒蛇白蛇についてなんだけど、」
「しっっ」
その時、ガリガリと小さな音がして、ミランが口元で人差し指を立てた。
「モニが帰ってきた」
ミランがシュワルトの大きな身体の横をくぐり抜けると、ドアを数センチだけ開けた。その隙間から、モニが小走りで中に入ってきて、竜の姿のシュワルトの身体を駆け上り、そして肩に乗った。
「はあああ、ただいまあ。ってか、シュワルトなんでこんな姿なの。狭いよっっ」
モニの自慢の尻尾が、黒く煤けているのを見て、ミランが声を掛ける。
「モニ、おかえり。ご苦労だったな」
「うわっっっ、モニ、なんか臭いっっ」
「仕方がないだろ、さっきまでドブの中だったんだから」
「先に身体を洗うといい。シュワルト、お前もその香水臭いのをなんとかしろ」
何種類もの香水の匂いと地下下水の臭いが混ざって、部屋の中は酷い空気だ。
シュワルトは直ぐに人間型に戻ると、モニを肩に乗せたまま「風呂に入ってくる」と言って、シャワー室へと向かう。
ミランが窓を開ける姿を横目で見ながら、シュワルトはドアを後ろ手に閉めた。
✳︎✳︎✳︎
「なんだって?」
ミランが飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを置いた。
「本当だよ。白蛇はもう死んでるんだって。今は黒蛇が実権を握っているらしいよ」
シュワルトもたっぷりとミルクを入れたコーヒーを、ぐびっと飲んだ。
「まあ、白蛇は実際、相当な年寄りだったようだからな」
「そうだけど、黒蛇が手を下したんじゃないかって、噂されているよ」
「…………」
「ボクもちょっと小耳に挟んだんだけど……」
モニが、ナッツの欠片をボロボロと零しながら、言った。
「黒蛇ってやつは、元々よそ者だったらしくってね。白蛇に目をかけられて連れてこられたらしいんだけど、折り合いは悪かったって」
「モニの大きな耳は本当に役に立つな」
ミランがこぼれたナッツの欠片を、そのまま口へと入れた。
シュワルトが慌てて、口を挟む。
「リの国主の宝を盗む時にも、黒蛇白蛇の間で、一悶着あったらしいんだ」
「そうなのか?」
「黒蛇がどうしてもって譲らず、そこでなんらかの遺恨が残ったらしい。その後に白蛇が急死しちゃあ、黒蛇が疑われるのも仕方がないだろうな」
「トップが二人ってのも、大変なんだ」
「まあ世代が違えば、意見も違うだろうからな。今まで上手くやっていたのが不思議なくらいだ」
ミランがそう言うと、二人は同じように頷いた。
「白蛇の死因はわかっているのか?」
すかさずシュワルトが言う。
「心臓だってさ」
「では、病死ってことか」
「そうとも限らないだろうけど」
「…………」
ミランが考え込む。
「情報量では僕の勝ちだな、モニ」
シュワルトがふふんと鼻高々に言うのを、テーブルの上でナッツを食べていたモニが、食いつく。
「はああ? ボクだって、ちゃんと地下迷路を攻略してきたんだからなっっ」
「ナッツを置いてだろ? バカだなあ、そんなの他のネズミに食べられちゃうだろ? 今頃はもうすっからかんだぞ」
鼻をすんっと、得意げに吸う。
モニは持っていたナッツを机の上に叩きつけると、足を踏みならして怒った。
「そんなことわかってるっ‼︎ ちゃんとナッツは回収してきたっ‼︎ その上で迷路を頭に入れてあるんだから、お前にバカだなんて言われる筋合いはないっ‼︎」
モニが叩きつけたナッツがテーブルを転がっていき、下へと落ちそうになる。その寸前でシュワルトが手で受け取り、そして口に放り込んだ。
「おい、二人ともやめないか」
ミランが一喝し、二人は口を閉じた。
「シュワルト、お前は引き続き情報を取ってきてくれないか。それから、モニは私と一緒に街中を歩いてくれ。どこら辺に盗品の保管部屋があるのかを、地上から知っておきたい」
「わかったよ」
「なあ、お前たち二人が居なかったら、私はこうして無事に生きてはいない。二人とも私の大切な仲間だよ」
ミランがそう言って笑った。数少ない笑顔だ。
そのミランの笑顔を見て、二人は顔を見合わせてから、嫌々ながら拳を合わせた。