六
「うわあ、地下道っていうのは、なんでこんなに臭いし汚いんだ」
モニが、地下道を流れる下水を横目で見ながら、進んでいく。自分の身体の臭いを嗅ぎながら、モニは独りごちた。
「身体中、ドブ臭いよう。ああ、あったかいお風呂に飛び込みたい」
時々、大きな耳をそばだてたり、これまた大きな目を見開いたりしながら、モニは迷路を進んでいった。
所々で、上につながる梯子が見える。一定の距離にマンホールがあるようで、出入り口は一つではないと知れた。
ただ。
「これは絶対に迷っちまうぞ」
ここで、ミランから伝授された迷路の攻略法を思い出す。
ミラン一行は、ルーエン街でも比較的大きい、ベーカーと呼ばれる宿屋に宿を取った。ミランが飲み屋で教えてもらった宿屋だが、この宿屋は隣に飲み屋を併設していて、情報が得やすいと踏んだのだ。ベッドが二つ、シャワー付きの簡素な部屋。
リの国で流通する金貨は、リンドバルクからたんまりと渡されている。その金でまずは質素な服を買った。残りの金で必要な道具や武器を買うつもりでいる。
部屋のベッドに腰掛けたミランが、備え付けの棚の上でナッツを頬張っているモニに向かって、話を始めた。
「モニ、迷路っていうのは、左側に左手をつけて進むといいんだ」
「そうなの?」
「ああ、そうやって進んでいけば、必ず終着点に辿り着く。ただ……」
「ただ?」
ミランが、大きく溜め息をついた。
「このルーエン街の地下迷路が、本当に迷路ならば、の話だ」
「確かに、そんな風に入り組んだ下水道を作るわけがない」
シュワルトがベッドから身を乗り出すようにして言った。
「だから、モニは迷わないように気をつけながら、だいたいどれくらいの間隔で出入り口があるのか、注意すべき点などを見てきてもらいたい」
「わかったよ」
こぼれたナッツをつまんで、ミランはモニの前に差し出した。
「これを使うんだよ。モニ、頼んだぞ」
ナッツを受け取ると、モニはヒゲを上下させた。ナッツを小脇に抱えて、左腕を胸の前に持ってくる。
「ミランのためなら」
紳士な挨拶を終えると、モニは口の中にたくさんのナッツを詰め込み、宿屋の半地下階にある洗濯室の下水から、下水道へと入った。
曲がり角に来るたびに、モニは口の中から取り出したナッツの欠片をそっと置く。ほお袋にこのような使い道があるとはと、モニはミランの賢さを思い知らされる形となった。
(ミランは頭が良いのに、愛とか恋とか、まるで信用していないんだよなあ)
はああっと溜め息をつく。
「ボクなんかは、こんなにもミランのことが大好きなのに」
ナッツを口から出す。
曲がり角に置く。少し進むと、汚水が流れ出る大きな口が目の前に現れた。鉄製の格子がかかっているが、モニには関係がない。格子の隙間をスルッと抜けると、大きな丸い土管を進む。
大きなと表現した土管は、それはモニにとってという前提がある。モニがぐるっと見渡す。かろうじて、ミランが四つん這いになって這い入ることができそうだ、とモニは踏んだ。
耳をそばだてながら、土管の奥へと進む。ほわりと灯りが見えて、モニはそろそろと慎重に足を運んだ。さらに土管は上へと折れ、その上に鉄製の格子の蓋が被さっている。その格子の間に顔を突っ込むと、暖かい空気が流れてくると同時に、強い明かりに目をつぶらされる。
(うわ、眩し)
モニが、薄目を開けて目を慣らす。
大きな部屋。床から見上げると天井も高い。
モニは辺りを見回し警戒しながら身体を格子から出すと、近くにあったカーテンへとジャンプし飛び移った。
モニが落ちないようにとカーテンの生地を握り込むと、爪が食い込み小さな穴が開いた。
(自慢の爪がギザギザになっちゃうよう)
心の中で涙しながらも、モニはカーテンを駆け上がった。
天井近くまであるカーテンのてっぺんに着くと、下を見下ろしてみる。
するとそこには、部屋中に所狭しとたくさんの美術品が、円を描くようにぐるりと並べられていた。
装飾品。絵画。彫刻。宝石の原石。
(わっ‼︎ すごい‼︎ これ、もう間違いなくあれだよね。今から競売にかけられるやつだね)
ニヤと笑いながら、モニが登りきったカーテンの一番上で立ち上がり、汚れた尻尾のホコリを手でぱっぱっと払う。
(みーつけたっ‼︎ ここ盗品の保管部屋だ)
だが、ミラン目当ての品がここにはないことを、モニは知っていた。
保管部屋を見渡すと、真正面にドアが二つ見えた。
(部屋を抜けて、向こうのドアから出てみよう)
モニは身を潜める場所をそこから吟味すると、カーテンを勢いよく降りていき、そこで人の出入りを待った。
✳︎✳︎✳︎
「僕ね。今、再就職先を探しているんだよ」
「そんなに今のとこ、具合が悪いの?」
「そうなんだ。僕の雇い主ってヤツがね、すごく人使いが荒くてね」
ぐびっとビールジョッキをあおると、シュワルトは、あーあっと溜め息を吐いた。二杯目のジョッキを空けようとしているシュワルトに、頬づえをつきながら厚化粧の顔を近づけているのは、宿屋から離れた場所に位置する、ここ大衆酒場で出会った女だ。
シュワルトは探し出した情報屋から、この酒場で盗品売買が常態化されていることを聞いていた。さらなる情報を得ようとシュワルトがその店のドアを空けたところ、女が男に絡まれている場に遭遇した、というわけだ。
「なあ、別に取って食おうとしてるわけじゃねえのよ。酒なら俺が奢ってやるって言ってんの」
男が女の腕を掴んで引っ張る。
「ふん、酒なんて奢ってもらった日にゃ、何されるかわかったもんじゃないわ」
女が掴まれた腕を振りほどこうと、何度も腕を振った。
男はもとより、女もただの町人ではないことがわかる。
特に女。きつい口調が板についた、強そうな女だ。そのため、言い寄っている男の行為がエスカレートしていっても、誰もが遠巻きに見ているだけだった。
そこへ、シュワルトが出くわした。
(お、ちょうどいいカモが)
シュワルトは心の中でしめしめと思いながらも、顔はいたって険しい表情を浮かべながら、二人に近づいていく。
「おい、嫌がってるだろ。その手を離してやってよ」
男の腕を掴む。
「なんだテメエ、やんのかこらっ」
「この手を離せって言ってんの」
その腕を竜のそれへと少しだけ変化させ、力を入れる。
「いてててっ‼︎」
男は骨の芯にも響く、その馬鹿力におののいて、思いのほか簡単に逃げていった。
そして、残された女が頬を染めながら、シュワルトに礼がしたいと言った。
(うーん、可愛いけど僕のタイプじゃないんだよなあ。でも仕方がない。情報情報)
けばけばしい化粧とむせ返りそうになるきつい香水の匂い。
(鼻がもげそう……)
その匂いから逃げるように、シュワルトはカウンターに向かって手を上げ、ビールを再度注文する。
「なんかいい仕事ないかなあ」
女は、さらに顔を近づけてきて、そっと耳打ちした。
「……あたしの旦那さまになってくれたら、いい思いさせてあげれるよ。こう見えてあたし、お金はたんまり持ってるんだから」
ビール何杯でも奢っちゃう、女がそう言い放ったこともあり、確かに金だけは持っていそうな雰囲気だ。
「あはは、またまたあ。結婚なんて、そんなすぐにするもんじゃない。結婚なんて、人生の墓場みたいなもんだからね。それにキミは美人なんだから、ちゃんと相手を選ばなきゃ」
擦り寄られて辟易しながら、シュワルトは心の中で独りごちた。
(あーあ、これがミランのためじゃなかったら、すぐにもそのでかい尻を蹴り飛ばしてやるのになあ)
女がシュワルトに興味を持っているのは一目瞭然だ。イケメンを逃したくないという執念のようなものすら感じられて、シュワルトは身を引きながらも無理矢理笑った。
女が身体を寄せて、声をひそめる。
「じゃあさ、こんなのどうかな?」
「んー、なになに?」
女がシュワルトの腕に、指輪で埋め尽くされている長い指を回してくる。腕を掴んで引っ張ると、シュワルトの耳元に唇をつけて囁いた。
「盗品売買」
シュワルトが女の顔を見る。
女はニヤッと笑って、私、そこで働いてるの、と指をさした。
酒場のカウンターの奥。
先ほどから、そのドアを介して人の出入りが頻繁なのは、ちらと横目で確認している。
シュワルトは目線を女に合わせると、ふーんと興味なさげに言う。
「それはやばい」
「大丈夫、違法じゃないよ」
「まあね。知ってる」
「人手が足りなくて困ってるの」
「どうだろ」
シュワルトが女から逃げるように体を離した。
「ねえ、女の子もたくさんいるよ」
慌てて、女はシュワルトの腕を引っ張る。
「え、ほんとっ?」
女が苦笑しながら腕を撫で、猫なで声でシュワルトへと再度体を寄せる。胸元を盛り上げるように、女は体をくねらせた。
「ほんとほんと。私が口を利いてあげるね」
「じゃあ、お願いすっかな」
「やったあ。あなた、きっとモテモテだよ」
「それは願ったり叶ったりだなあ」
シュワルトはビールジョッキを空けると、泡のついた口元を手の甲でぐいっと拭う。
「で、僕はなにをやればいいの?」
立ち上がり、シュワルトは女を見下ろした。