四十九
「本当に、強情だな」
カイヤが言い、シンが差し入れの食事を手渡した。格子でできた小窓を開ける。ガチャとトレーが床に置かれる音が響いて、陰鬱な地下牢の廊下に反響する。
「飯が食えるだけありがたい」
牢の中でルォレンが呟く。食器をフォークでつつく音も、ここでは大きく響き渡る。寒々しい床に一枚の毛布。鉄格子がはめられていて、逃げることも叶わない。
「逃げるかよ」
ルォレンはここに入れられる時、白蛇に向かってそう吐き捨てた。
「ルォレンよ。お前、知っていたのだな?」
「…………」
「あの、翼人のことだ」
人々を心底怯えさせ、恐れさせる、その低い声でルォレンを責め立てた。
「あれが白翼種の翼人だったとは……リンドバルクの趣味もたいがいだな。だが、せっかくの上物。それを取り逃がしおって」
「…………」
「俺が、目が見えないのをいいことに」
「違う、隠していたわけじゃない。ミランに横取りされた、ただそれだけだ」
「馬鹿めっっ」
カツっと音がした。老ラオレンは、ゆっくりと壁をつたって歩いていたが、最近ではいつからか、木製の杖をつくようになった。動きも緩慢になり、白蛇と名をとどろかせた人間でも、寄る年波には勝つことはできないということを、体現している。
「ラオレン、悪いが俺はメイファンを抜けたい」
そう一言告げただけで、地下牢行き。
逃げる意思は毛頭ないが、老ラオレンを説得できるとも思えない。逃げれば、もちろん逃亡先にも迷惑をかけることは明白だ。
(ミランを巻き込むわけにはいかない)
ルォレンにはルォレンの思いがあった。
愛する人とともに生きる。
ミランを見つけ出した今、生きる意味は目と鼻の先にある。
シンが言う。
「首領に戻れ」
けれど、ルォレンは引かなかった。
「シン、お前は白蛇の孫だ。次の首領には、お前が適任だ」
「俺は……俺は、そのような器じゃない」
「喋りはカイヤに任せて、お前は後ろでどんと構えてりゃいいんだよ。お前ならできる。本当は俺よりお前の方が合ってんだよ」
「そんなことは、」
「シン。お前にとってメイファンは守るべきものだ。だが、俺にとってメイファンは……目的に届くまでの足がかりでしかない」
「ルォレン、」
「愛が違うんだ、愛が」
そう言うと、カイヤがぶっと吹き出した。
「お前が愛を語るなよ」
すると、ルォレンも鼻高々に言った。
「何を言っている。俺は愛に生きる男だぞ」
(ミランの元へ行きたい……それにはメイファンを抜けねばなるまい)
カイヤとシンを帰してから、ルォレンは毛布にくるまって考えた。だが、老ラオレンは首領にまでなった自分を離さないだろう。
「どうしたもんかな」
呑気に思う日もあれば、焦りで潰されそうになる日もある。
ルォレンはこの一週間を、そうやってもやもやしながら、時を過ごしていた。
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「ねえ、本当に言うの?」
「だって、知っちゃったからには……言うしかないでしょ」
「じゃあシュワルトが話してよ」
「あっっ、ずるいぞモニ。僕だってこんなこと言いたかないよ」
沈黙の空気が流れる。
「……モニが言って」
ふっと、シュワルトが息を吹きかける。モニのふわふわの尻尾の毛並みが風でなびいた。
「シュワルトが言ってよ」
「モニが言って」
「シュワルトが言ってよ」
「さっきから何を言ってるんだ?」
背後でミランの声がして、二人はビクッと身体を揺らした。
「み、ミランっっ」
「えっとー、今日はいい天気だねって言ってたんですよ」
「ですよ⁇ ……うん、まあ、いい天気といえば、そうなんだけどな」
平屋建ての家のベランダに、足を投げ出しているシュワルトとその肩に乗っかっているモニの隣に、ミランも座った。
シュワルトの言う通り、ここ数日は雨も降らず、空には白い雲が浮かんでいる。夜には月や星がきらめき、そしてこんな昼時には暖かい太陽の日差しも降り注ぐ。
「だが、もうそろそろ雨が降ってくれないと、水が足りなくなるな」
山間の谷の奥深く、徒歩での往来が難しい地域に、ミランはその拠点を置いている。盗賊の仕事の依頼を受ける時はもちろん、買い物などもシュワルトの翼がなければ難しい。
この不自由とも言える隠居のような生活が、ミランがその素性を守ることのできる、第一の理由でもあった。
「僕が突然いなくなったら、どうするんだ?」
以前、シュワルトが冗談で言ったことがあった。
ミランは真面目な顔を崩さず、こう返した。
「私を一人にはしないだろう?」
そして、ミランは続けて言った。
お前は、私の騎士になると言ったではないか。
ミランが、にこっと笑う。
その笑顔が忘れられない。それ以来、ミランから離れるなどとこれっぽっちも考えたことはなかった。
(でも、ミランに恋人ができたら……僕は離れなきゃいけないのかな)
ミランはここのところずっと、空ばかりを見ている。青く澄んだ空に、誰の顔を思い浮かべているのだろう、そう思うだけで胸が痛んで仕方がない。
(……僕がミランの恋人になれたらいいのに。これからもずっと、ミランと一緒にいられたらいいのに)
隣に腰を下ろしたミランは、まだ空を眺めている。その横顔をシュワルトとモニの二人がじっと見つめていても、ミランは最近、それにも気づかないほど放心している。
「ティアのことがあったからとはいえ、ぼーっとし過ぎだよ」
モニの不服そうな声が、シュワルトの左肩から聞こえてくる。
シュワルトは、改めてミランを見た。
ミランの栗色の髪は、リンドバルクから依頼を受けた時より長く伸び、とても豊かに背中の多くを覆っている。川の流れのように所々がうねっているのを見て、シュワルトは唇を結んだ。
(ああ、……髪がずいぶんと伸びたんだな……)
シュワルトの好きな、ミランの栗色の髪。
「ミラン、」
聞こえたのか聞こえないのか、シュワルトが声を掛けても、ミランはまだぼんやりと空を見ている。
「ミラン、話があるんだ」
「シュワルトっ」
モニが、シュワルトの髪をぐいぐいっと引っ張ってそれを制した。けれど、シュワルトは構わず、ミランの横顔に話しかけた。
「ミラン、聞いて。メイファンの黒蛇が、……地下牢に入れられているらしい」
一瞬、時間が止まり、そしてまた動き出す。
「……なんだって?」
ミランが振り返る。それをスローモーションのように、シュワルトは見ていた。
見開かれた、その黒い瞳。
「ちょ、シュワルトっ」
髪をモニに引っ張られ、我に返る。
「何があったかはわからないけれど、以前から白蛇とは上手くいっていなかっただろ? 喧嘩でもしたのかもね」
「そ、そんな、」
「……ミラン、行くだろ?」
「あーあ、シュワルトってば」
「ミランっっ‼︎ もちろん、助けに行くよなっっ」
目を泳がすだけのミランに向かって声を張る。
「行くよなっっ」
その力強さに頬を張られたのか、ようやくミランの半開きの口から、わかった、と返事が出た。
シュワルトはその返事を聞くと、立ち上がり踵を返して、ベランダから部屋へと入っていった。
その拍子にシュワルトの肩から飛び降りたモニは、ミランの周りを困り顔でうろうろとしてから、呆れた声を出して呟く。
「助けに行こうって⁉︎ なんだよ、シュワルトのヤツ……あんなに渋ってたくせにっっ」
床に叩きつけるためのナッツが無い。手持ち無沙汰のモニは、うろうろするのを諦めると、大きく溜め息をつきながら、その場にどかっと座り込んだ。




