四十八
「この傷はどうしたのだ?」
頬の傷を指でなぞる。言いにくそうな様子を見せながら、ルォレンは鼻の頭を掻いた。
「これはまあ、猫に引っ掻かれたようなものだ」
あはは、と笑うと、ルォレンが心底、嬉しそうな顔をした。
「それはそれは、大した猫だな」
「まあ、な」
ルォレンの笑顔がすっと消え、真剣な目で見つめてくる。
「必ず、迎えにいく」
唇の動き、クローズアップされる。脳に直接響く声。
「一緒に生きて欲しい」
ルォレン、そう呼んだはずなのに、耳に音は届かない。
「ミラン、返事をしてくれ」
急かされ、返事をするが、やはり声が届かない。
ミラン、ミラン、なんとか言ってくれ、もう俺は必要ないのか、好きではないのか、やはり憎んでいるのか、ルォレンの声だけがぐわんぐわんと脳を駆け巡る。
(ルォレン、わたし……)
返事を返すところで、目が覚めた。
いつもの夢。
馬の脚の部族、ハルージャの寝室で夜明け、ベッドの中でルォレンと話した内容に即している。
だが、その内容もまた、夢を見るごとに少しずつ変化していく。だから、実際にベッドの中でルォレンと何を話したかなどは、しっかりと記憶に残っていないような気もしていた。
(ルォレン、もう会えないのかも知れないな)
相手はリの国一番の盗賊団の首領なのだ。
「……そうか、もう会えないのか」
「ミラン?」
見上げると、シュワルトの顔。イケメン顔を歪ませて、ミランを覗き込んでいる。頭の下に両腕を入れ、ごろんと寝転がっていたミランは、シュワルトの顔を見て、我に返った。
「こんな所で眠ってたら、風邪引くぞ」
「ん? ああ、そうだな」
よっこらしょと上半身を起こすと、腕を後ろについて、空を仰いだ。風が、ざっと吹き抜けていく。
青空に白い雲がたゆたう様子を、目の中にぼんやりと入れてみる。
ミランはすでにリンドバルクの宮廷を離れ、自分の根城へと戻ってきていた。
宮廷を去る時、ティアが涙で見送ってくれた。
来月、リンドバルクはハの国の国主の娘と結婚するという。
「ミラン、それでも私はやはり、兄様の側にいたいのです」
驚いた。ティアに出会った頃の、あの弱々しさはどこへいったのだろう。そして、 その清々しさに、胸がすく思いすらした。
「兄様の想いを知ることができて、とても幸せです」
(これが想いの強さ、ということか)
ミランが思うと、ティアが笑って言った。
「大丈夫、兄様にいただいた想いは、ベッドの裏の隠し場所に」
———大切に大切に、仕舞って隠しておきます。誰にも、奪われないように。
ティアが見送りの手を、いつまでも振ってくれ、ミランもシュワルトもモニも同じように手を振り続けた。
自分の家へと戻ると、ミランは死んだように三日の間、眠り続けた。
夢を見る。
ルォレンが、囁いてくる。
だが、いつも。答えようとしても、答えられない。毎回、じりじりと焦れながら、ミランは返事を胸の中で温めるようになった。
(……ルォレン)
きっとルォレンは来やしないのだろう。自分の、この居場所を知る由もないのだ。来るはずがない、来るはずがない。何度も言い聞かせ、わかっているつもりでも、胸の中はほわりと温かかった。けれど、その内。その温度は、痛みへと変わっていった。




