四十七
「ミランが戻ったと?」
リンドバルクは怪訝な顔を浮かべた。当たり前であろう、リンドバルクの中ではミランは死んだこととなっている。
「どういうことだ? 生きていただと?」
メナスも苦く、眉間に皺を寄せながら、渋々ミランの目通りを報告している。
「無事に依頼を遂行し終えたので、残りの報酬を貰いに来たと申しております」
「なんだと、」
リンドバルクは、用心棒であるルイとライを呼んだ。そして、「わかった、通せ」と言う。
大広間にある王座に腰掛けると、リンドバルクはルイとライを後ろに控えさせ、ミランを待った。
「ルイ、ライ、どう思う? ミランは死んだと聞いておったが……」
腰に下げた剣と鞭の位置を直すと、ライが前で腕を組んだ。
「ミランは強い女です。死んだなどと、なにかの間違いか偽の情報だったのでしょう」
「たとえば、馬の脚の部族の、か?」
「ミランを倒したとなると、それだけで牽制にもなる。だからでしょうか」
「ふん、実にくだらんな。牽制なぞ、力でやればいいものを」
トントン、とノックがする。
「入れ」
リンドバルクがすぐに入室を告ぐと、大きく重いドアが開いた。
ミランが立っている。
リンドバルクは目を細めてミランを見た。
「こちらへこい」
その時、ごうっと音がして、ドアから一陣の風が吹いた。風は渦を巻きながら進み、リンドバルクの髪や服を巻き上げた。さすがに、ルイとライは微動だにしなかったが、リンドバルクは腕を盾にして、顔を覆った。
「な、なんだ、この風は?」
ルイがすかさず、ミランの竜です、と言う。リンドバルクがそおっと目を開けると、すぐ近くにまでミランは進み出でており、そしてその横に大きな翼を広げたままの竜が、ミランに寄り添っていた。
「前回、会った時には見事、人間の男であったが、このように立派な竜であったとはな」
まだ、そよそよと収まらない風を頬に感じながら、盾にしていた腕を下ろした。ミランは相変わらず、ルイとライとの間合いを取りつつ、左手で大刀の柄を握っている。
「ミランよ、無事であったのだな」
「貴方からの依頼を終え、残りの報酬をいただきに来た」
「……ティアを奪還するという依頼だったな。だが、良いだろう。ティアは無事に故郷へと帰ることができたらしい。さあ、残りを払おう」
リンドバルクが立ち上がってメナスを呼ぼうと手を上げたのを、ミランは手で制した。
「なんだ、まだ用があるか?」
「依頼は終えた。ティアを翼人の里に置き去りにしてきたのだが、それで良かったのだな?」
リンドバルクは怪訝な表情を浮かべ、椅子に座り直した。
「ああ、それでいい。ティアも里で幸せに暮らすであろう」
「そうか、なら良い。これで、翼人がどうなろうと知ってはいないがな」
眉をひそめて、ギロッと睨んだ。
「どういうことだ?」
「その後の保証は必要ない、ということだな。それなら、私も家へと帰ることにする」
明らかに、リンドバルクの態度に変化があった。
「ミラン、何か気になることでもあるのか?」
中腰になろうとして、やはり椅子に腰を落ち着ける。それを数度繰り返して、ようやく座り直すと、リンドバルクは次にはイライラと足を動かした。
「ミラン、何かあるなら言ってくれ」
「大したことではない。ただ、」
リンドバルクが身を乗り出す。
「ティアは里で、爪弾きにあっている」
ミランが無表情で通すと、言葉に一層な悲壮感が漂った。
「な、なんだと……どういうことだ?」
「村八分、と言って良いのか。とにかく、他の翼人に虐められている」
「ど、どうしてそんな……」
リンドバルクは居ても立っても居られないというような様子で、その場で立ち上がった。
「そんなはずはない、ティアは素直で純粋で……皆から好かれるはずなのだ。嫌われることなどないはずだっっ」
「…………」
「幸せに暮らすはずだ、幸せになるのだ」
「馬の脚の部族の長が、貴方が放った暗殺者から、ティアを救ってくれたぞ」
「な、なに、?」
「ティアを殺すつもりだったか?」
「な、何を言っている、どういうことだ、暗殺者など俺は知らんっっ」
真っ青になった顔でリンドバルクは声を荒げた。
「馬の脚の部族の者を殺して、魔鏡石を奪った者だと言っていた。本当に、身に覚えはないか?」
ミランの口調が強くなり、逆にリンドバルクの身体から力が抜けていった。ようやく立ってはいたが、ついには椅子の上に崩れ落ちた。
「メナス、か……」
ルイとライが唾を飲む喉の音がして、リンドバルクは背後に意識を向けた。
「ルイ、ライ、知っておったな」
「も、……申し訳ありません」
けれど、リンドバルクはミランを見た。その縋るような目を、ミランは哀れに思った。
(……見事なまでに両想いだというのに、なぜここまで、二人ともがお互いに盲目なのだ?)
ミランは、人と人との意思疎通の難しさを痛感した。言葉が必要なのだ。語り尽くし、自分をさらけ出す。相手を理解するためには、相手を知ろうとしなければ、何も始まらない。
「メナス殿はもう、手駒はお持ちではないか?」
ミランの強い言葉に、弱々しく顔を上げる。
その顔が。何かを思いついたように。
恐怖へと変わり、恐ろしく一気に、リンドバルクは顔の色を失っていった。しまいには唇が、ぶるぶると震え出した。
「ミラン、助けてくれ……ティア、ティアを……つ、連れ戻してくれ」
「村八分の者は、翼を剥ぐそうだ」
「やめろっっ、頼む、ミラン、お願いだっっ‼︎ ティアを、ティアを連れ戻してくれっっ」
ふら、と立ち上がったかと思うと、リンドバルクはその場で崩れ落ちた。
床についた手を力いっぱいに握り締める。噛んだ唇から血が滴ると、次には身体をぶるぶると震わせた。
恐怖に負けた表情で、ミランを見る。
「頼むミラン、 助けてくれ、ティアを助けてくれ……」
唇の、滴る血に、唾が混じって吐き出される。目は血走り、これ以上はないというところまで、かっと見開かれている。
あまりのリンドバルクの姿に、後ろでライとルイがどうしていいかわからないという顔で立っている。
ミランはその姿を見ると、はあっと溜め息をついて、シュワルトへと顔を向けた。シュワルトはミランの合図を見ると、大きく広げていた翼をたたんでいく。すると、その影に。
「に、兄様、」
か細い声。
その声に、リンドバルクが顔をそおっと上げる。
「……ティア、」
リンドバルクの震える声が。
「ティア」
静かな大広間に、最愛の妹の名が。それが、さも大切な宝物であるかのように響いていく。
ティアは裸足の足で、そっと近づいていった。
リンドバルクの前に座ると、ティアは翼を大きく広げ、兄の右手を取った。
「兄様、」
ティアがそっと、その右手に頬を近づける。リンドバルクの体温を感じようと肌をぴたりとつけると、涙を一筋流した。
リンドバルクは、左手を。ティアの頬に伸ばす。
「ティア、すまない、す、すまない……ううっ」
涙がどっと流れて、嗚咽に襲われる。
「……ティア、あ、あい、愛して、る」
ずっとずっと長い間、自分の中に封印していた言葉だった。だからなのだろう、うまく言えずに何度もつっかえながら、リンドバルクは繰り返した。
「愛して……あ、愛して、るんだ」
「……兄様、兄様、私もです」
小さくゆっくり抱き合う二人を見て、ミランは踵を返した。いつのまにか、シュワルトも人間になっていて、ミランの後をついて部屋を出る。最後に一度シュワルトが振り返ると、ルイとライが距離を取って、二人を見守っていた。




