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女盗賊ミランと盗賊団の黒蛇  作者: 三千
第十章 それぞれの想いの中で
46/54

四十五


「ティア様は……故郷へお戻りになったそうです」


この時、メナスの心の中は邪な思いでいっぱいだった。深い溜め息が出そうになるのをぐっとこらえる。


(はああ、ティアは死んだと言いたいところだが、そんなことを言っては来月に予定しているハの国の国主の娘との縁談に影響してしまう)


そのようなメナスの思惑には気付かず、リンドバルクは口先だけで会話をする。


「そ、そうか。それならば良かった。ティアは無事に、無事に辿り着いたのだろうな?」


目の焦点は合っていない。どこを見ているのかわからない視点。


「ミランの竜めが、確かに届けたと確認してまいりました。それで、こちらを……」


メナスが胸の合わせから取り出した麻袋を差し出すと、リンドバルクは視点と同じようなぼんやりとした指先で、それを受け取った。


「こ、これは、」


「ティア様からだそうです」


「……ティア、から?」


メナスはリンドバルクの唇が小刻みに震えているのを見ると、心底嫌悪し、すぐにその場を去った。


震える声は、去った後でもメナスの頭に残っている。


✳︎✳︎✳︎


「……これは、俺がティアにやった袋だ」


リンドバルクが誕生日祝いと称して、数年前にプレゼントした麻袋。天体の月をモチーフにしたそれは、細かく精巧な刺繍が施された、手の込んだ高級品。リンドバルクは宮廷に出入りする行商の者から、これを買った。


太陽と月。


迷わず、リンドバルクは月に手を伸ばした。


「あら、リンドバルク様。わたくしに買っていただけるのですか?」


同行していた女が興奮した声を出した。


「あ、いや、これは……い、妹に、」


「そうですか。それにしてもリンドバルク様はティア様には甘くていらっしゃいますのね?」


「そのようなことはない。ただ、もうすぐ誕生日なのだ。だから、」


リンドバルクは、その麻袋をもう一度見た。


(女なら、色々と入れるものもあるだろう。これくらいの大きさなら、鏡や口紅などでも軽々と入る)


「これを貰おう」


女が隣で拗ねた態度を取る。


「リンドバルク様、わたくしにも何か買っていただけませんか? わたくし、一生大切にしますわ」


女のその言葉で、ティアの宝物袋がフラッシュバックした。ティアの部屋のベッドと壁の隙間。リンドバルクから貰った物を大切に隠してある。


誰にも、取られないように、と。自分が贈ったものを大切に。


愛しさがぶわりと湧いてきて、身体が熱くなった。


「好きなものを買うがいい」


「あら、わたくしには選んではいただけないのですね」


女はそう言いながらも、視線はたくさん並べてある宝石の上を彷徨わせていた。



✳︎✳︎✳︎


「ティア、入るぞ」


ノックをし中へ入ると、ティアはベッドの上に座り込んでいた。翼を広げて、それを休ませているようだった。


「に、兄様……」


ティアが崩していた足を直し、姿勢を正す。ベッドの上には、以前リンドバルクがやったガラス製の丸い石が散らばっている。


「おはじきで遊んでいたのか?」


「……はい」


ティアは手で無造作にかき集めると、近くにあった小箱に入れながら返事をした。


「もうすぐ、誕生日だろう」


その言葉に顔を跳ね上げると、ティアは嬉しそうに口元を緩めた。眉が弓なりになり、そして口角が上がる。その顔を見るだけで、リンドバルクの心は翼が生えたように軽くなった。


「覚えていてくださったのですね」


その言葉に、覚えているに決まっているだろうと応え、リンドバルクは手に持っていた麻袋をベッドの上に投げた。


「これをやろう。これなら、お前の化粧道具が入るだろう」


ティアはそっと麻袋を取ると、手のひらに乗せて撫でた。刺繍で月を模したモチーフに、指を沿わせていく。銀糸で縫ったその月の曲線が、ティアによく似合うような気がして、リンドバルクは目を細めた。


「……綺麗」


うっとりするその声。心臓がとくとくと鳴り始める。


「き、気に入ったか?」


「はい」


「そうか、それは良かった。行商の女が、これなら絶対に気に入るだろうと太鼓判を押していたからな」


「に、兄様が選んでくれたのではないのですか?」


ティアが弱々しい笑顔を浮かべる。けれど、その笑顔に深い意味は考えずに、喜んでもらえたと浮かれたリンドバルクは言った。


「ああ、行商の女に助言をもらったのだ。だが、さすが男とは見る目が違うな。気に入ったなら良かった」


それには無言で、ティアが麻袋を開ける。中で何かがキラリと光った。なんだろう、と手を入れると、指先にちかっと痛みが走った。


「……んっ」


手を、さっと引いた。咄嗟のことで声が出たが、ティアはその声を痛みとともに飲み込んだ。指先に、じわりと赤い血が滲んだ。


中には、手芸用の針が数本、入れられていた。


(あ、これ、は)


行商の者がリンドバルクを慕い、どうやら中に針を忍ばせたのだろう。


ティアの胸に、悲しみがこみ上げてきた。


「ティア、どうした? もしかして、気に入らなかった、か?」


リンドバルクの声が翳った。すぐにティアは笑顔を浮かべ、首を横に振った。


「いいえ、なんでもありません。兄様、このように綺麗な袋をありがとうございます」


✳︎✳︎✳︎


にこりと笑った顔が、少し引きつっているような気がして、リンドバルクは次の日、再度ティアの部屋を訪れた。


ティアは珍しく、水浴びでもしているのか、部屋には不在だった。


テーブルの上に、昨日プレゼントした麻袋が置いてある。中を見ると、ガラスの石がジャラッと音を立てた。


リンドバルクはベッドと壁の隙間の方を見た。そこはティアがリンドバルクからの贈り物を袋に入れて隠した、隠し場所だ。


(……あの、ベッドの後ろに隠してある袋に、これは入れないのだな)


そう思ってから、否定する。


(いや、このような麻袋、使わなければ意味がない。俺が化粧道具などを入れればいいと言ったのだから、別にこうしておはじきを入れるのでも、いいはずだ)


けれど、リンドバルクの心は。


雨が降る直前のような暗い空模様のように、影を落とした。


そう、落ち込んでしまったのだ。


(このような何でもないおはじきを入れるとは……まあ、気に入らなかったのだろうな)


この頃はもう、リンドバルクはティアと距離を取り過ぎてしまい、ティアとはどう接していいのかわからない状態だった。


(遠ざけた結果が、このざまか。昔は、ティアのことならば、手に取るようにわかったというのに……)


ふ、と自嘲の笑みを浮かべる。


(兄、失格だな……)


そう思って、暗い気持ちで、そっと麻袋をテーブルに戻した。


そして、その麻袋が、今。


リンドバルクの手の中に残っている。


持ち主の、翼人は故郷へと帰っていった。ティアがリンドバルクに渡すようにと、誰かに託したのだろう。


「……そうか、故郷に帰ったか。……ティア、どうか幸せに」


素直な言葉がするりと口から出ていった。もう、その言葉を掴んで戻すことも、丸めて飲み込むこともできない。


悲しみとも苦しみとも言えないような、重くてかさのある何かの塊が胸の底から這い上がってきて、細い喉を通り口から出ようと、ぐいぐいと押し上げてくる。


ごく、と唾を飲んで、それを押さえつけた。


「おはじきにしては、軽い」


麻袋を開ける。


すると中には、たくさんの草花が入っていた。


「な、なんだ、これは?」


側にあった丸テーブルを引き寄せ、麻袋をひっくり返して中身を出す。がさがさと音をさせ、すでに乾燥してしまった草花が、こんもりと盛られていく。


「こ、こんなにもたくさん、」


唇が震えた。それをこらえようとして、唇を噛んだ。


次には。


涙が目の縁で揺れてから、ぽたりと落ちた。


薬草としては有名すぎる、一年草の草花。黄色の小さな花をつけた頃に手折り、それを煎じて飲むと、内臓を温めてくれるという効能がある。


そして、小さな黄色の花は、すでに乾燥してパリパリに砕け散ってはいるが、その効果は保証済みだ。


なぜなら幼い頃、リンドバルクは腹が痛くなると、いつもこの薬草を煎じて飲んでいたからだ。


「……最近は飲んでいないのだが、な……」


もう一粒、涙が溢れた。


「ティア、俺のために摘んでくれたのか? ティア、俺のために……」


そっと、麻袋を指で撫でる。


「ティア、もう二度とお前には会えないのだな……それでも、」


願うように、唱えるように、呟く。


「どうか、幸せになってくれ。誰とでもいい、誰と愛し合ってもいい、」


どうか、どうか……幸せになってくれ。


麻袋を握り締めると、リンドバルクは天を仰いで、泣いた。


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