四十三
「他の男の元に自分の女を置いていくとは、お前の恋人はなんとも男前だな」
ハルージャが弓矢の点検をしながら、ミランに言葉を投げた。
もちろん、リンドバルクが差し向けた兵との戦の準備であり、他の部族の者も同じように弓を張り直したり、矢を補充したりしている。
その側に座ったミランもまた、旅立ちの準備でせわしなく手を動かしていた。
もうすぐ、ティアを送っていったモニとシュワルトが戻ってくる頃だ。戻ってき次第、ミランも翼人の里に向かう予定にしている。
「なあ、ハルージャ。あのリンドバルクがこのように見誤った選択をするとは思えないのだが……」
ハルージャの寒々しいセリフを無視して、ミランは話を進めた。
「そうか? ではなぜタオにまで兵を進めてきた?」
「確かにリンドバルクはティアをとても大切にしている。ティアを奪われて自分を見失っているということもあるだろうが……だが、この判断には宰相のメナスが絡んでいるのではないかと思うんだ」
ハルージャが弓を引いては離し、張ったツルの伸び具合を見る。
「宰相? なんだそれは」
「国主の側で、国務を執り仕切る者だ」
「なんだ、それは。そんなものをはべらして、自分はサボるなどとは、いいご身分だな」
ツルを引っ張り、ぎちぎちに締め上げる。
「あの暗殺者はリンドバルクが寄越したのではない。リンドバルクがティアを殺すなどと、まずあり得ないからな」
「なぜ、そう言える?」
ミランは作業の手を止めた。そして、ティアをメイファンより奪還せよとの依頼を受けた時のリンドバルクの表情を思い出していた。
「……自分の、魂だと……言ってのけた」
ハルージャは横目でミランを窺い見ながら、締め上げたツルの伸び具合を手の感覚で探る。
「ふん、自分の妹がか? それは相当な変態だな」
「だが、あの暗殺者は魔鏡石をあんたたちから奪ったんだろ? だったら、宮廷のお抱えの者だということは間違いない。だが、そういった人選は誰が行う? 現時点ではハッキリしないが、メナスが助言、もしくは取り仕切っているのではないだろうかと思うんだ」
「まあ、そう言われてみれば、そうだな。けれど、なぜ奴らはすぐに襲ってこない? タオの群生地は確かに俺たちのテリトリーではないが、俺たちに一番近い場所だ」
「ああ、そこがわからない」
「あそこは背後にだだっ広い沼が広がる湿地帯だ。そんな底冷えする地で何日も野営をするなどと、まるで戦う気はないようにも見える」
「そんな場所での野営では、相当体力も奪われているだろうしな」
「そのうち、尻尾を巻いて逃げるのでは?」
少しの沈黙があった。ちら、とハルージャが再度、横目でミランを見る。ミランはミランで薬草を分けたり、数少ない食料を袋に入れたりして休めていた手を再度、動かしている。
「形だけの派兵……か」
「ならば尚更、ティアは故郷へ帰ったと言えば、無駄な戦いをせずとも良くなる」
「はっ、俺らは戦を恐れない」
ハルージャが立ち上がった。座っているミランの位置から見ると、ハルージャの馬の胴は大きく迫力があり、そんな他の部族の者よりもひと回りもふた回りも大きな身体を左右に揺らすとさらにその迫力を増した。
「俺たちは強いっ‼︎」
ハルージャが大声を張ると、周りにいる仲間が呼応し、右手を高々と上げた。
「そうだっ‼︎」
「俺たちは恐れないっっ」
「俺たちの部族は、最強の戦士ばかりだ」
口々に言い放つとみなが立ち上がりながら、さらに声を上げた。
「俺たちは強いっっ‼︎」
「勝利を‼︎」
ミランは立ち上がると、ハルージャの胴に手を置いた。
「ハルージャ、少し話させてくれ」
ミランを見る。すでに、その瞳は手負いの傷を負った頃の、弱々しいものではない。ミランの目は真っ直ぐに、部族の者に注がれている。
そんなミランを見て、ハルージャは声を張った。
「みんな、聞いてくれ。女盗賊が、話があるそうだ」
ミランの眼光が光る。何を言うかと思えば、ミランは深く息を吸い、まずは頭を下げた。
「この度はティアの兄、リンドバルクがそなたたちの仲間の命と魔鏡石を奪ったこと、ティアに代わって謝罪したい。本当にすまなかった」
「……ミラン」
「亡くなられた方への哀悼の意を表したい」
胸に腕を当ててこうべを垂れると、目を瞑り、しばし黙祷した。
「命は尊いものだ。大切な仲間の命をこんなことと天秤にかけるのも憚れる。が、誇り高き馬の脚の部族だ、崇高な志を罪のない可哀相な娘の命で汚すことなどないと思いたい」
そこへ、ミランの背後より、大きな風がぶわっと吹いた。巻き上がった栗色の髪が、百獣の王のたてがみのように燃える。
「それに、戦う意思のない者どもを相手に戦を仕掛けるなどという蛮行は、そなたたちの誇りを地に落とす行為。決して、早まるな。どうか、一人一人が冷静になって欲しい」
風が、止まる。
そして、ミランの背後に竜が音もなく、すうっと舞い降りた。
「世話になった」
ハルージャに言葉を投げる。そして、シュワルトの背にまたがった。シュワルトが翼を数度、はためかせる。すると、周りに砂埃が舞い、ハルージャも目を細めた。
「ミラン、お前こそ、命を粗末にするなっっ‼︎ 俺はお前を諦めない、だからそれまで生きていろっ‼︎」
そのまま、宙へと舞う。
「ハルージャ‼︎ 次は万全の時に、一手願おう」
そして空高く飛び、そして翼人の里へと向かった。ミランを乗せた竜の後ろ姿が小さくなっていく。
「ハルージャ、見事にフラれたなあ」
「長よ、もっと良い女はいくらでもいるさ」
その後ろ姿を見ていたハルージャは、その場にいたみなに囃されながら、踵を返した。
「次は絶対に俺のものにしてみせる」
珍しいハルージャの負け惜しみを吐く姿を見て、みなが声を上げて笑った。




