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女盗賊ミランと盗賊団の黒蛇  作者: 三千
第九章 死を以って
41/54

四十


「なんという回復力だ」


医師メイエルは、感心したのか呆れたのか、どちらとも取れるような唸り声を上げた。着替えをし、最後に上着を羽織っているミランをじろじろとねめつけながら、真っ白に伸びた髭を触っている。


目尻に皺の寄った目が大きく見開いているのを見て、ミランは苦笑した。


「世話になった、と言うべきか」


「いや、そんなのはどうでもいい」


メイエルは手を振って、ミランの言葉を払った。


「ただ、わしが見てきた中でも、ダントツの回復力だ」


「そうか。私は幼い頃から、傷をよくこしらえていた。だから、身体がそれに順応しているのかもしれないな」


パンを盗んではよく殴られた記憶が蘇る。ルォレンを思い出しそうになり、ミランは頭を振って上着のボタンを留めた。


「もう行くのか?」


その低い声に振り返ると、開けられたドアの側にハルージャが立っている。


ハルージャが入ってくると同時に、ニヤニヤと笑みを浮かべたメイエルが部屋から出ていった。


ドアが閉まる。静かな部屋にハルージャの蹄の音が鳴った。


「さあ、ようやく邪魔者が消えたぞ」


もちろんそれは、メイエルではなく、シュワルトとモニのことだろう。二人はティアを連れて、先に翼人の領地へと向かい、今頃は、地上からゆけば険しいとされる山越えをしているはずだ。


「……お前も、懲りない男だな」


ミランが大刀を取ろうと伸ばした手を、ハルージャにパシッと掴まれた。


「これを取られると、俺の分が悪くなる」


後ろからぐいっと手首を掴まれたため、ミランは折っていた腰を伸ばした。すると、ハルージャが自分の胴体をミランの腰に押しつけてくる。


よろっと体勢を崩したミランが、壁際に寄った。


「おい、」


不服を口にする。だが、ミランの身体はハルージャの四つ脚の頑丈な胴体によって押され、ついには身体が壁に張り付いてしまった。背後から、ハルージャがぐいぐいと押してくる。右手の手首は掴まれているので、ミランの自由になるのは左腕のみとなってしまった。


「やめろ」


ミランがハルージャの胴を押しのけようとする。背中や腰に力を入れて、もちろん残った左手を壁についてでも、力の限り押した。だが、力の差は歴然で、四つ脚の重い身体はビクともしない。ミランは病み上がりということもあり、力では敵わないと降参し脱力した。


「このままここに残れ」


後ろから耳元に囁いてくる声。ハルージャは首筋に唇を這わせながら、言い含めるように言った。


「俺の嫁になれ」


その言葉に、ミランは呆気に取られてしまった。


「……なにを言っているのだ。正気か?」


「もちろん、これほどきちんと口説くのは、お前が初めてだぞ」


「お前の女性遍歴を訊いているのではない」


ハルージャは、ちゅ、ちゅ、と這わせていた唇で音をさせた。それをくすぐったいとでも言うように、ミランは身体を揺らした。


「ちょ、っと待て、ハルージャ、おいっっ」


「結婚してくれ」


「待て、やめ、ろ」


空いた左手で頬をぐいっと掴まれ、後ろへと向かされる。唇が斜め後ろから重ねられて、ミランは唇をぐっと閉じた。


「それ以上やったら殺してやるぞ」


それはミランの声ではなかった。


ハルージャがすぐに振り返ると、ドアの前に一人の男が立っている。ハルージャの身体でその姿はミランには見えないが、聞き覚えのある声に、ミランはぞくっと身体を震わせた。


「る、ルォレン、」


ハルージャがミランから身体を離す。すぐに近くにあったミランの大刀を掴むと、両手に持ち真っ直ぐに構えた。


「誰だ」


蹄の音が、一段と高い音で、カツっと鳴る。


「誰だと訊いている」


身じろぎ一つしないミランが気になって、ハルージャは後ろに目をやった。


ミランはすでに腰に差していた短剣の柄に手を掛けている。その様子で、ミランを助けにきた仲間というわけではないということを、ハルージャは察知した。


だが、男の声。言葉。その表情。


「ミランの追っかけか」


ハルージャがおどけて言おうものなら、ルォレンは短剣を引き抜いて、鋭い眼光を放つ。


「二度とミランに触れるな」


「悪いが、俺は今、ミランに求婚しているところだ」


「ミランと話がある。邪魔をするな」


「それはこっちのセリフだが?」


その瞬間、ルォレンががっと間合いを詰めてきた。一瞬だった。その動きに反応してハルージャが大刀を上げる。その大刀を見事かわすと、ルォレンは斜め前から向かっていき、どんっと胴に体当たりをした。だが、馬の胴体は思うより体重がある。


ビクとも動かない身体を見て、ルォレンは次には膝で胴の側面を蹴り上げた。


「ぐう、」


膝が脇腹に深く入った。これにはさすがのハルージャも、よろとよろける。ルォレンはすかさずその脚を払うと、どんっと大きな音を立てて、ハルージャは横向きに倒れた。


ミランはハルージャの身体と壁との間に挟まれそうになるが、ひらっと身をかわした。その壁を蹴ってルォレンの前に飛び出ると、短剣をルォレンの喉元に突きつけて、その動きを止めた。


「ルォレン、やめろ」


倒れたハルージャのとどめを刺そうと振り上げた剣が、ぴたりと止まる。そして苦く笑うと、振り上げていた剣を下ろした。


「……やはり、生きていた」


じり、と前に出る足。その動きを止めるように、ミランは短剣をルォレンの喉元に近づけた。


ミランの後ろでは、倒れたハルージャが体勢を直そうと、半身を起き上がらせている。


「生きていた」


眉を寄せながら目を伏せ、ほっとしたのか、それとも苦しいのか、わからないような表情で言う。その声に引っ張っていかれるような感覚に陥りながらも、ミランはそれに耐えた。


「それがどうした」


ミランが言う。それを無視して、ルォレンは目を開いた。


「……首を切られた、と」


ルォレンの視線は、ミランの喉元に釘づけになっている。そのミランの首には、白い包帯が何重にも巻かれていた。


「そんな風に伝わっているとは……」


ちら、と後ろを見ると、倒れたハルージャが苦く笑っている。


「……自分で切ったのだ、」


「ミランっっ‼︎ そんなことはもうやめてくれ」


すかさず、ルォレンが言葉をかぶせてくる。


寄せられた眉はそのまま固まってしまったかのように動かない。その顔を真近で見て、ミランの心が揺れる。


「ルォレン、お前に裏切られて、生きる希望を失った。だからもう生きていたくない、……そう思って今の今まで生きてきた」


ミランがそっと口角を上げた。微笑んでいるようにも悲しんでいるようにも見える、その表情。


「裏切ってなどないっっ‼︎」


激昂した声、震える唇。ルォレンは声を荒げて、そして言った。


「メイファンに連れ去られたんだ、あれは不可抗力だった‼︎ ミラン、俺はお前と離れてからも、ずっとお前を想って生きてきた。お前をずっと、心の支えに……」


その時、ミランの後ろではハルージャがその体勢を立て直し、大きな身体を起こすとその後脚に力を入れ、今にも飛びかかろうと前脚を大きく上げていた。


「くそっっ、邪魔をするなっっ」


その様子をいち早く察知したルォレンが横へと飛び、ごろりと身体を一回転させた。それによって、ハルージャの前脚は、空を切った。


「思い出話も結構だが、お前はミランに嫌われているようだぞ。さあ、潔くミランを諦めて、帰れっっ‼︎」


掴んでいたミランの大刀を振り上げる。それをルォレンは真正面で受け止めた。


けれど、大刀を受け止めたルォレンの剣が。


やはり、竜の尾の骨で作られたミランの大刀には勝てなかった。びきっと甲高い音がして、砕け散る。そして、大刀がルォレンの額を割ろうと、そのまま振り下ろされた時。


「ルォレンっっ‼︎」


身体を滑り込ませたミランが、その短剣で大刀を受けた。


ぎんっと音がして、その後カチャカチャと小刻みに柄が震える音が響いた。


その時。


「……ミラン、お前を愛している」


ルォレンの口から発せられた言葉。


ミランの耳から入り、そして全身を駆け巡っていく。その言葉は、かつてミランがルォレンを魂から必要としていた頃の、愛しさを連れてくるのだろうか。


ミランは混乱して、その場に倒れ込んだ。その喉元に巻かれている真っ白な包帯に、じわりと血が滲んでいる。


「ミランっっ」


それがルォレンの声なのか、それとも剣を引いたハルージャの声なのか、遠くの方で呼ばれたような気がして、ミランは意識を失った。

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