三十四
「これも、食べて」
シュワルトが持ってきた木の果実を、幼いミランは大人しく口にした。
ミランとシュワルトの間で、食べる食べないで一悶着あったが、シュワルトの熱意に負けて、ミランはようやく食べ物を食べた。
数日、何も食べていなかったミランの腹は、一口目を口にした途端に、ごうごうと音を立てて、そして食欲を駆り立てた。
シュワルトが持ってきた木の果実は、真っ赤に熟していて、甘みが舌を転がっていく。
「……美味しい」
ミランが薄っすらと笑ったのを見て、シュワルトはさらに飛んだ。
(人間が食べるような物の方が良いかも……そうだ、パンを貰いに行こう)
そして、人間界に出稼ぎに行っていたが、仕事がうまくいかずに戻ってきたという竜の元へと行って、人間に教えてもらったという手作りのパンを貰ってきた。
「ミランー‼︎ パンを貰ってきたよー‼︎」
シュワルトが地面に降り立つと同時に人間の形となり、貰ったパンを掲げて走ってくる。
「これ、美味しいかどうかは、わかんないけど……」
ミランはシュワルトが持ってきた毛布にくるまりながら、パンを両手でそっと受け取った。
「あ、ありがと、う」
両手の上に置いたパンをじっと見つめている。それを見て、シュワルトは焦って問うた。
「あ、あれ……? それ、人間が食べているパンってやつじゃない?」
「うん、これ、パンで間違いないよ……ただ、懐かしいなって思って」
ミランは端を千切ると、一口を口に運んだ。
ぽろっと、涙を零しながら。
「おいし」
ぽろぽろと、次から次へと涙が落ちていく。
シュワルトはその様子を見て、慌てて手で溢れる涙を受け止めた。
「み、ミラン、不味かったら無理しないで」
「ううん、不味くない。美味しいよ」
泣きながら、ミランはにこっと笑った。
「じゃあ、どうして、……泣くの? 人間が泣くのは悲しい時だよね」
「竜は泣かないの?」
「泣かないよっっ。少なくとも僕は泣いたことない」
「そうなんだ、強いね」
ぐいっと手の甲で涙を拭う。
「じゃあ、私ももう泣かない」
「……僕が側にいるよ。僕がミランを守ってあげる」
「ありがとう、シュワルト」
言葉は少ないが、ミランの表情から嬉しそうに思ってくれていることは、よくわかった。
すると。
シュワルトの心に喜びが満ちてきた。今まで感じたことのない感情だった。
幸福感というものだ。
ミランにもっと喜んで貰いたいと、シュワルトは躍起になって言った。
「僕、ミランの騎士になるっ。騎士になって、ミランを守るからね。僕だけはミランとずっと一緒にいる。絶対に離れないから安心して」
(ルォレンとかいうヤツなんて忘れて、僕だけを見て)
シュワルトの心はいつしか、ミラン一色となっていった。
✳︎✳︎✳︎
「ミランはもう大丈夫だから、お前たちも休め」
馬の脚の部族の長、ハルージャが蹄の音をカツカツと鳴らしながら、部屋へと入ってくる。
「僕はミランから離れない」
「ボクだって‼︎」
シュワルトとモニが声を揃えて言う。
「峠は越し、あとは回復を待つのみなのだ。ミランならそれもすぐだろうと、メイエルも言っている。安心しろ、弱っているヤツを取って食う趣味はない。それに、お前たちが倒れては元も子もないぞ。隣に部屋を用意してある。少し、眠れ」
「ティアの代わりに捕まえていた女の子はどうした? 約束は守ったんだろうな」
シュワルトがムクれた顔をしながら、座っている足を組み替えた。
「約束、とはミランが命をくれてやるなら、という話だったが……まあいい、それだけのことはやってのけた。女は食料を持たせて馬に乗せ、すでに逃してやった」
「馬の脚の部族の長がやることだ。信用するからな」
モニがギロッと睨みつける。
「あと……ティア、を、傷つける、な」
その声でみなが、ミランを見た。
「ミランっっ、気がついた?」
モニが慌てながら、ミランの顔に寄る。ミランの頬に顔をすり寄せると、モニはミランの名を何度も呼んだ。
そして、シュワルトもすぐにミランのベッドに腰掛け、手の甲で頬を撫ぜた。
「ミラン、良かった。ミラン、いったいなんてことをしてくれたんだ。心配したんだからな。あとで、お仕置きだからね」
シュワルトのその言葉で、くすっと笑う。
「わかったよ。シュワルト、あとでお前たちのいうことをなんでも聞いてやるから、ハルージャの言う通り、お前たちは少し休んでこい」
ミランにまで言われては、聞くしかないと、二人は部屋を後にした。
そして、ハルージャと対面したミランは、厳しさのある顔へと戻して、そして言った。
「どうやら、私は死にぞこなってしまったようだな。約束は違えたが、悪いがティアに手を出さないでやって欲しい」
ハルージャが進み出て、ベッドへと寄る。後脚を折って床に座ると、ミランとの視線の高さに、ハルージャのそれを合わせた。
「お前を助けたのは俺だ。あのままならば、お前は死んでいただろう。お前の覚悟を、今回は買ってやる」
「では、ティアを……許してもらえるか」
「ああ。良いだろう。魔鏡石も戻ったからな。仲間たちももう説得済みだ」
「有難い。礼を言おう」
ハルージャがニヤリと笑った。
「それにしても、それほどあの翼人が大切か」
それに呼応して、ミランもニヤッと笑う。
「あの子を仲間の元か、リンドバルクの元へと届けなければならない。今はそれを見極めている最中だがな」
「だが、お前が死んでしまったら、水の泡と化してしまうじゃないか。いったい誰が彼女を連れていく?」
ミランは、痛みに顔をしかめながら身体を動かすと、天井を見ながら呟くように言った。
「私のあとは、シュワルトとモニがなんとかしてくれる」
「死が、恐くないのか?」
「……恐くはない。私の側に……まあ、常に隣り合わせなのだろうな」
「そんなに死にたいのか?」
「ちょっと違う」
ミランは目を瞑った。
「お前には大切なものがあるか?」
逆に問われて、ハルージャは面食らった。けれど、真摯に真っ直ぐに答える。
「ある。俺の部族のみなが、俺には家族のようなものだ。家族を愛するのは当たり前だろう」
「そうか。ではそれを一生懸命に大切にするんだ、な、……」
ミランの声がかすれ、次第に小さくなっていく。
「……それさえあれば、生きられ、る、」
ミランは眠りに就いた。軽く、すうすうと寝息が聞こえてくる。
「お前にはないのか、大切なものとやらが」
呟いた言葉。ハルージャの胸の中に、もやがかかっていった。
けれど、そのもやを払ってでも、ミランのことをもっと知りたいという思いが強くなっていく。
「……ますます気に入ったぞ」
そして、立ち上がり、部屋を出る。ハルージャのその言葉とドアを閉める音がミランには届かないほど、ミランは深く眠った。




