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女盗賊ミランと盗賊団の黒蛇  作者: 三千
第八章 馬の脚の部族の長ハルージャ
34/54

三十三


「ミラン、ミラン、ぐすっ、ぐすっっ」


「モニ、もう泣くなよ。いい男がみっともないぞ」


眠るミランの顔元で、うろうろとしながら泣いてばかりのモニを、シュワルトが諌めたことから、二人の喧嘩が始まった。


「シュワルトっっ、お前がついていたってのに、いったいなにやってたんだっ‼︎」


「仕方がないじゃない。ティアがどうしても魔鏡石を返したいって言うんだから……」


シュワルトは人間の姿で、ミランのベッドの横で腕組みをしながら、イスに腰掛けている。組んだ足を小刻みにイライラと動かしているあたり、シュワルトもこの時点で相当ふてくされていることがわかる。


「だからって、敵陣のど真ん中に降ろすなんて、バカなんじゃないの?」


モニが自分の頭を人差し指でトントンと小突く。


「なんだって⁉︎」


シュワルトは、ガタンっとイスの音をさせて、立ち上がった。けれど、すぐに舌打ちし、座り直す。


「お前だって、なにもできなかったくせに……」


そのシュワルトの言葉に、モニはぐっと握ったこぶしに力を込めた。


「……そうだよ。ボク、なにもできなかった。ミランを止めることもだけど、ミランの名前すら呼べなかった……まさか、って思ったんだ。まさか、ミランがあんなことをするなんて……恐くて恐くて、足が竦んじゃって、なにもできなかった」


モニの大きな目から、ポロポロと涙が溢れる。


実は、ミランの胸ポケットに潜んでいたモニは、ミランの心臓の鼓動が次第に弱っていくのを聞いていた。その恐怖で身が竦んでしまい、意識が遠のき、気を失ってしまったのだった。


「でも、仕方ないだろ、ボク、こんなちっこいし。ミランを助けたくたって、お前みたいに飛んだり抱き上げたりできないんだよっっ」


「モニ、……」


シュワルトも唇を噛んだ。


「僕だって同じだよ……ミランを守るって、僕がミランを守るんだって、あの時……誓ったのに、」


シュワルトも同じように、握ったこぶしに力を込めた。爪が手のひらにひどく食い込む。


「それなのに、こんな目に遭わせてしまった。騎士、失格だよ。これじゃあ、ミランに頼りにされるわけがない、愛されるわけがないんだ」


シュワルトは頭を垂れると、ミランをじっと見つめた。


馬の脚の部族の家は、丸いテントのような簡易的な家で、それでも備え付けられている家具はしっかりとした造りであり、ドアも木でできた比較的頑丈なものだ。


ただ、天井は何かの動物の皮で造ってあり、風が強く吹くとバサバサとはためいて、隙間風が入り込んだ。その風が、ミランの熱を奪っていってしまうように思えて、シュワルトはミランに掛けてある毛布を、その白く細い首元まで引っ張り上げた。


泣き止まないモニを後に、シュワルトは部屋から外へと出ると、暗い夜道を走りながら竜となった。


(ミラン、ミラン、ミラン‼︎ 神さま、ミランを助けて……助けてください)


月夜を背に、暗闇の空をぐるぐると回り、冷たい風に身を竦めながら飛ぶ。


そんな中、ミランを想う。


(僕の命と交換でも良い、ミランを助けて……)


ぼろっと、目から涙が落ちた。我慢していた感情が堰を切ったように溢れ出す。


「ミラン、ミラン、ミラン、」


ミランを想う時シュワルトの心はいつも、ロウソクに火を灯したように、ほわりと暖かくなる。


今夜はそれが、いつまで経っても灯火はつかず、それでもシュワルトは何度もミランの名を叫びながら、飛び続けた。


涙と涙の跡が、次第に冷えていった。


✳︎✳︎✳︎


「ねえ、ちょっとキミ、なんでここで寝てるの?」


幼い頃のシュワルトは、いつもひとり、学校の外で遊んでいた。学校の勉強は嫌いではないが、担任の先生とクラスは最悪で、昼の休みはそんな学校を全力で抜け出して、裏手の山へと駆け登っていく。


木の実を食べたり、植物の茎の中に溜まった水を飲んだりするのだが、だいたいは山頂付近にある大きな切り株に乗って、昼寝を楽しんだりしていた。


その日。


いつものように山頂に向かったシュワルトは、その切り株で丸くなって眠っている人間を見つけた。


深い山間いの奥に住まう竜族の集落で育ったシュワルトにとって、それが初めて遭遇する人間であり、最初は興味津々で近づいた。


「ねえ、ちょっとってばあ」


向こうへと横向きになっている背中を、ぐいっとつつく。


(あ、女の子、かな。でもなんで、こんなところに?)


シュワルトが疑問に思うのも相応だった。ここは、リの国の領地とはいえ、山深く、人間の世界とは隔てられている。


シュワルトの属する竜族は、人間に仕えている者もあるが、それは人間に使われる方が生きやすいからということもあり、その仕事を選んだ竜は人間の生活圏の近くに、その居を置いている。


そうやって竜族が人間へと近づくのであって、人間が竜族に近づくのは、まず稀であった。


シュワルトは今一度、手を伸ばして、少女を揺り起こそうとした。すると、女の子は顔を歪めながら、シュワルトの方へとごろんと向きを変えた。


「……あ、起きた? ねえ、キミさあ、」


その瞬間、シュワルトが言葉を呑んだ。


少女が、あまりに酷い怪我を負っていたからだ。


頬の傷は生々しく、口からも鼻からも血を流している。顔だけではない。よく見ると、手や足にも切り傷や打撲の跡がある。血液はもう乾いてカサカサになってはいるが、傷は目新しいものばかりだった。


「これ、酷い……」


シュワルトは息を呑んだ。少女は腹に手を当てて、苦痛に顔を歪ませている。眠っていたのではない。気を失っていたのだ。


「おなか、痛いの?」


誰かに暴力を振るわれたのは、一目でわかる。けれど、少女はううん、とかぶりを振った。


「……おなか、すいてるだけ」


涙の滲んだ目で、シュワルトを見た。黒い瞳。長い睫毛。


「おなかすいてるの?」


(どうしよう、このまま放っておいたら死んじゃうよ)


シュワルトは、そっと少女の頬を触ろうとした。けれど、ゴツゴツとした竜の手では、さらに傷をつけてしまう。幼いシュワルトでもそれは十分にわかっていた。


実は竜族の者がみな、人の形になれるわけではなかった。人になれる者となれない者は、遺伝によって決まるらしい。人になれない者は竜のまま人間に使役し、人になれる者は人間界に紛れ込んで生を営む者もいる。


シュワルトの血族はみな、人間になることができたため、当然シュワルトもなれるはずだと思われていた。


だが、シュワルトだけができなかったのだ。ひっくり返ってでんぐり返しをしてみても、人間になりたいと強く念じても、いつまで経っても人間に変げすることができない。それが原因で、級友からはバカにされ、親族からは出来損ないなどと言われ続けた。


(……僕だって、なれるんだったら、人になりたいよ)


けれど、実際の人間を前にし、シュワルトの考えは変わった。人間になってみたいという欲望はもとより、この少女に触れてみたい、という気持ちを持ったのだ。


「名前は、なんていうの?」


シュワルトがおずおずと尋ねると、少女は答えた。


「……ミラン」


握った小さい手。白い肌。綺麗な肌であるのに、所々に酷い内出血。


怪我を負って傷ついているのに、触れることもできない。


「……あなたは?」


聞き返されるなどと思いも寄らなかった。


「え? 僕?」


「うん、あなたの名前」


「僕は、……シュワルト」


「シュワルト、良い名前だね」


どっ、と心臓が鳴った。シュワルトの心臓は、どくどくと、うるさいくらいに高鳴っていく。


「……ミラン」


シュワルトは改めて、ミランの顔を見た。


小さいけれど、存在感のある鼻や唇。可愛らしい、唇。


見ていると、目が離せなくなりそうで、シュワルトは焦って声を上げた。


「待っててっっ、今、食べ物と飲み物をっっ」


けれど、ミランは顔を少しだけ振った。


「ううん、いいの。もうこのまま……」


眠るように目を瞑る。シュワルトは慌てて、「で、でも食べなきゃ死んじゃうよ」


「いいの。それでも……」


ミランの目尻から涙が溢れる。


「……もう、生きていたくない、」


消え入りそうな声に、シュワルトは出そうになる涙をこらえた。


「そんなのだめだよっっ」


けれど、ミランの全てを諦めたような、安らかな表情は変わらなかった。


ミランの言葉を肯定できない気持ちがぶくぶくと膨れ上がっていく。


「生きないとだめだよ」


「……でももう、誰もいない……ルォレンも、誰もいなくなっちゃった。私のことなんて、誰も要らないし……私ももう、要らないから」


(ルォレン?)


シュワルトの胸の内に『孤独』の文字が浮かんだ。みんなからバカにされ、そして疎まれ続けたシュワルトにも、重くのしかかってきた言葉だ。


「でも、だ、誰か他に……僕っっ、僕でもいい? 僕が、側にいるよ」


すると、ミランが薄っすらと目を開けて、少しの間無言を通すと、「……ありがとう」と小さく言って、にこっと笑った。


そして。


ゆっくりと目を閉じていく。


シュワルトは焦って、立ち上がった。


(とにかく、食べ物……いや、まずは水、)


急いで翼で飛んで山麓の川へと向かう。少しでも多くの川の水を口に含む。


そしてミランの元へと戻ると、翼を畳んでミランの顔に近づけた。口を開けて飲まそうとするが、顔にかかるだけで口には入らない。


「だ、だめだ。こんなんじゃ、こんなんじゃだめだ」


シュワルトは何度も同じ行為を繰り返した。川の水を口に含み、ミランの口元にかける。けれど、水は決してミランの喉元を潤さない。


(だめだ、何度やったって同じだ)


それでも、口に水を含む。そしてミランの元へと寄る。


そのうち、涙が。溢れて落ちた。


シュワルトは、水を口に含んだまま、ミランの前で泣き出した。


(この子を、……ミランを助けないといけないのに。人間になれれば、食べ物だって……)


すでにミランの意識はなく、その命はすぐにも消えてしまいそうに弱々しい。


目の前の、怪我を負った少女。


この時ほど、シュワルトが人間になりたいと強く思ったことはなかった。


(……助けなきゃ、僕が助けなきゃっっ)


かっ、と身体が熱くなった気がした。ぶわっと何かが足元からせり上がってきて、全身を覆う。


それでも、シュワルトは強く思った。


(僕が、ミランを助けるんだ)


そして、顔を近づける。口に含んだ水を、再度ミランの口元にかけようとすると。


唇が、ミランの唇へと。


引力でもあるかのように、ゆっくりと引きつけられていく。


そしてミランの、その顔。


シュワルトが何度かかけた水で、出血していた血が流されて多少綺麗になっているし、栗色の前髪もしっとりと濡れて、額に張りついている。


(……か、可愛い)


ドキドキと、心臓が早鐘のように打つ。


(触ってみたい)


そして。


見えない引力に任せて、顔を寄せていく。


その瞬間。しっとりとした感触が、シュワルトの唇にあった。重ね合わせたその隙間から、水が少しずつ流れていく。ミランの唇を割って、その水は流れ込んでいった。


(あ、あれ?)


慌てて、身体を起こすと、自分の両手を見る。五本の独立した長い指。透明感のある白い肌。


今度は顔を触ってみる。長く前に突き出た口もなければ、ゴツゴツとした肌もない。あるのは、滑らかな肌の感触。


「足も……人間だ……」


ミランを見る。すると、喜びが沸々と湧いてきて、シュワルトはその場を飛び回った。


「やった、人間だっ、人間だ‼︎ これで級友からもバカにされないし、先生の鼻もあかせるぞっっ」


その時、んん、という声がして、ミランの喉元が動いた。


「み、水……水をもっと、」


シュワルトは踵を返して走り出すと、そのまま翼を広げて竜になり川へと向かった。



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