二十四
(まさか、メイファンの首領となっているとは、な)
ミランは、両の手で湯をすくうと、勢いよく顔にかけた。温泉にこうして肩まで浸かると、疲れが取れ、身体も軽くなる。
前髪から湯がぽたぽたと落ちていくのをそのままに、ミランはもう一度顔に湯をかけ、その鬱陶しい前髪を掻き上げた。
(……ずっと私を探していたと……言っていた)
湯の中で、両手を伸ばす。ふわふわとたゆたう両の腕には、無数の傷。
(お前がいなくなってから、私は……)
湯に浮かぶは、ルォレンの幼い頃の顔。
すっかり大人の男へと成長を遂げていた姿は、まるで別人のようだった。
幼い頃のルォレンは、ミランにとって守るべき存在。ルォレンは弱々しく、気も小さかった。けれど、ここぞという時には気持ちを固める決断力を持っている。養父母の家を飛び出した時も、ミランはそんなルォレンを凄いと思った。
「ミラン、これ以上だんまりを決め込むんだったら、飯抜きだよっっ」
養母が茶碗を取り上げ、自分の息子に渡す。
「さあ、ルォレンの居場所を言うんだよっ‼︎ あいつ、勝手に逃げ出しやがって‼︎ 帰ったら泣くまで折檻してやる」
子どもたちがミランの分の飯をガツガツと食い散らかすのを、ぐっと堪えながら見ていた。
(言うもんか、絶対に言うもんかっっ。ご飯なら、こいつらに貰わなくったって、自分でなんとかできる。だから、絶対に言うもんかっっ)
「おいこら、何とか言ったらどうなんだい‼︎」
バシッと側頭部を叩かれる。ミランは身体中に力を込め、ふんじばって耐えた。けれど、その態度が不遜に映り、癪に触ったのだろう。
今度は、養父が立ち上がって近づいてくる。ミランの目の前に立つと、足を振り上げ、ミランの胸に蹴りを入れた。
「がっっ」
口から唾液の泡が飛び散り、後ろにバタンっと倒れて、頭を打ちつけた。
「クソ生意気なガキめっっ‼︎ ルォレンはどこだって訊いてんだっ」
倒れたところをまた、胸倉を掴まれ膝立ちにさせられる。そして、大きく振りかぶった堅い手が、ミランの頬を打った。
「いぃぃっ」
痛いと叫びたかったが、目の前が真っ暗になり、ところどころその暗闇の中、チカチカと小さな光りが瞬いては消えた。
ぐらりと、世界が回る。
頬に畳の感触と、すえたい草の匂いが鼻の奥を刺激し、ミランは涙ぐんだ。
(……今日は、ルォレンのとこ、に……行けそうも、な、い)
遠のく意識の中、ルォレンの顔を思い浮かべる。
森の中。大きな木の根元。絡み合う根っこの中で、横にほわりと感じるルォレンの体温。笑顔。食べ物を美味しそうに頬張る、その笑顔。
(明日……明日はきっと、……ルォレンのところに行こう。ルォレンに、逢いに、逢いにいって、一緒に、お腹、いっぱい、)
「くそっ、鼻血で畳が汚れちまう」
ぐんっと引っ張られ、土間へと落とされる。
土の匂いと冷えた地面。
涙と鼻血で、顔をぐちゃぐちゃにしながら、ミランは意識を失った。
✳︎✳︎✳︎
朝、目がさめるとまだ土間に転がっていた。
「……痛って」
あちこち痛む身体を起こし、家の中を覗く。
畑仕事にはいつもミランを連れていくので、まだその時間ではない。部屋の中央にある囲炉裏には、まだ火が灯っていた。パチパチと薪が爆ぜる音。
(寒い、)
冷たい地面で横たわっていた身体は、芯から冷えきっている。
ミランは這いつくばるようにして、そろそろと囲炉裏へと向かった。
(……誰も、いない)
囲炉裏の火に手をかざす。暖かい温度がじわっと肌に染み入ってきて、ミランは心底、ホッとした。囲炉裏を見ると、昨晩の夕飯の残りだろうか、串に刺した芋が二個、立ててある。
ミランはそれに手を伸ばすと、さっと取って懐にしまった。
すると、芋を入れた懐が温かく温度を保っていく。心まで、温もっていくような気がした。
(ルォレンに持っていこう)
即断すると、すぐに立ち上がり、土間へと降りた。粗末な立板でできたドアを少しだけ開ける。外から声がして、一家は裏庭にいることがわかった。
(わかった。洗濯物が飛んでいったんだ)
普段から炊事洗濯をしているミランは、洗った洗濯物を干すヒモが、短いことを知っていた。物干しの棒ギリギリにヒモを結んでいるので、風の強い日なんかにはそれが外れ、洗濯物が飛ばされていくことがある。
一度飛ばされると、緩やかな丘を下って取りに行かねばならなくて、いつも難儀に思っていた。
ドアから出ると、ミランは少しだけ裏庭を覗いた。
やはり、家族総出で、丘を降りていく。
(ルォレンのところに行こう)
芋が二つ、懐に入っている。芋はルォレンの好物で、きっと喜んでくれると思うと、ミランの中から喜びが湧いてきた。
(ルォレンがきっと喜ぶ)
帰れば、勝手に家を空けたことや芋を持ち出したことを問われて、昨日よりもさらに殴られることはわかっていた。
けれど、ミランの中には、いつもルォレンの笑顔。
(ルォレンが弱くたっていいんだ。ルォレンのいいところは、優しいところだから。ルォレンは私が守ればいいんだから)
胸を押さえながら、草原を駆ける。洗濯物を飛ばすくらいの風が、ミランの髪をかき混ぜる。
草原を抜け森へと入れば、あの大木がある。
そして。
(この時間だと、まだ眠っているかも)
大木の根元。ルォレンの寝顔。
(起こさないように、そっと隣に座って、)
ミランは走る。
(それで、起きるまで、ルォレンの寝顔を見ていればいい)
軽い足取りで、はあはあと息をあげながら、ミランは森の中に足を入れた。




