十七
「戻りたくはないのです」
「だが貴女みたいなお姫さまは、こんな所でうろうろしていると、すぐに攫われて売られてしまうぞ」
ティアは肩を落とし、その翼をしゅんと垂らしている。
腰まで伸ばした長い黒髪は絹糸のように細く、その黒髪だけでも狙われる要素の一つだ。そして透き通るような白い肌に、男たちが黙って見ているはずもない。
「そんななりでは、捕まったらひとたまりもないだろう。今回のような大変な目に遭ってもいいのか?」
「…………」
大きな溜め息をつくと、ミランは腰に差していた大刀を抜き、壁につけてあるフックに引っ掛けた。
ルーエン街からかなりの距離を飛んできた、ここは商人の街ヨルだ。
たくさんの商人が出入りするこの街なら、身を隠すにもちょうどいいと、ミランがよく利用する街だ。そして、そのヨルで宿屋に宿を取った。
いつも出入りする街とはいえ、美人の翼人を連れていては目をつけられてしまう。人目に晒されない街の南奥、森との境にある小さな宿屋を選んで降りた。
「ミラン、久しぶりだね」
宿屋の女主人リーリアと挨拶のハグをすると、ミランはさっそくティアを紹介した。
「すまない。連れが美人すぎて、ここにしか連れてこられなかった」
深くフードを被ってはいるが、その佇まいから高貴な姫だということはすぐに知れる。
気心の知れたリーリアの宿を選んだのには、そんな訳があった。
「あら、本当。これでは街中の評判になってしまうねえ」
「……こんばんは」
おずおずと、ティアが挨拶する。
いつまでもミランの後ろに隠れているティアにリーリアが近づくと、さらにティアは身を縮こまらせた。リーリアがずいっと顔を近づけてフードの中を覗き込む。そして、両手を上へと上げると、降参のポーズをしてから腰に当てた。
「やれやれ、ミランにはいつも大変な目に遭わされる」
「すまない」
ミランが苦笑しながら懐から小さな袋を出す。カウンターの上でチャリンと音がして、袋から金貨が転がり出た。
「他に客はいるか?」
「老夫婦が湯治に来ているわ。でも、きっと大丈夫よ。後で紹介する」
「ああ、ありがとう」
「それにしても、いつものコンビは?」
「モニが酔ってしまって、エライことになった。悪いが先に、温泉に浸からせてもらってる」
「相変わらず、乗り物に弱いわねえ」
「ああ、私の胸ポケットなら大丈夫なのにな。不思議で仕方がないよ」
笑い合って、それから部屋を借りた。
ミランがティアをベッドに座らせる。不安げなその顔は、いつまで経ってもそのままだ。
「ティア、メイファンに追いつかれぬよう遠回りをしてはいるが、シュワルトなら宮廷まであと二日もあれば到着する。私は貴女を連れ帰ると、貴女の兄上と約束した。残りの依頼料を貰う為にも、貴女を送り届けねばならぬ」
「帰りたくはありません。ミラン、私このままご一緒してはいけませんか?」
ミランが、眉をひそめたのを見て、ティアが慌てて言った。
「もちろん、兄様よりも多くお金をお渡しするつもりです。今は無一文ですが、戻れば宝石や金貨もあります」
「では、やはり戻らねば、報酬はもらえないということだな」
「っ⁉︎」
ティアが顔を跳ね上げた。そして、うな垂れる。
「なぜ、戻りたくないのだ? そんなにも、リンドバルク殿は暴君なのか?」
「いえ、決してそのような……違います」
「ではなぜ?」
「兄様はお優しく、けれど私に何もさせてくれません」
「…………」
ミランがベッドに座るティアの横にそっと腰掛けた。ギシッと音が鳴って、ベッドが揺れる。ティアが少しだけ翼を広げ前へとやると、その翼の先を手で撫でた。
「こうして、翼を切られるのです」
見ると、翼の先が不自然に直線だ。
「私がどこにも行かないように……」
「籠の中の鳥、という訳か」
ミランは時折垣間見た、リンドバルクのティアへの執着を思い出した。
「外の自由を知った鳥が、また大人しく籠に戻るでしょうか? 私はもっと外の世界を見てみたいのです。けれど、私は何も知らないし、一人では何もできない……」
ティアが身体を傾けて、ミランの手を取って握る。
「ミラン、お願いです。私を貴女の側に置いてください。何でもします。何だって……」
「私は盗賊だぞ。貴女を盗賊の仲間にすることなどできやしない」
ミランは厳しい表情を浮かべ、ティアを牽制する。
「構いません。盗めと言われれば、盗みます」
「貴女のような者に、できるわけがない」
「やります。この翼だって、羽が伸びてくれば飛ぶことだってできます」
「シュワルトのように、私を乗せて飛べるのか?」
「…………」
とうとうティアは黙ってしまった。
ミランは握られていた手を離した。けれど、もう一度握り返す。
「貴女の気持ちはよくわかった。だから、泣かなくていい」
栗色の瞳が揺れる。その度に長い睫毛を伝って、涙がぽとりぽとりと落ちていく。
「リンドバルク殿との約束に、いつのいつまでというものはなかった。取り敢えず、貴女を預かろう」
「ミラン、」
「ただ、いつかは貴女を兄上の元に返さなければならない。このままでは今度は私が誘拐犯になってしまう」
「ううぅ」
ティアが手で口元を押さえる。眉の美しい曲線が、歪んで波を打つ。
ミランは手を伸ばし、そっと頬に当てた。
「その間に色々と思うこともあるはずだ。それから帰っても遅くないだろう」
「ありがとうございま、す……ミラン、本当にありがとう、」
ティアは手で涙を拭って、弱々しい笑みをたたえた。
(ただ……)
ミランはその笑みに笑みで返しながら、思った。
(リンドバルクの右腕であるメナスが、私がティアを奪い返したことを、見逃すはずはない)
宮廷一の切れ者の目を思い出す。
(最悪、お尋ね者となってしまうだろう)
ミランはティアの背中をさすりながら、自分で自分の中へと胸騒ぎを押さえ込んだ。
そして、最後に言った。
「ティア、貴女を巻き込んでしまって本当にすまなかった」
「……え?」
ティアは涙を零しながら、何の話かわからない、といった顔をした。
「いや、……いい」
ミランは、ふ、と笑うと目を瞑り、まだ瞼の奥に残るルォレンの悲しげな残像を消していった。




