十三
「ルォレン、これ」
大きな根っこの合間から、ミランはいつものように中を覗いた。根っこと根っこの間に身体を滑らすと、そこはルォレンと二人、とても狭い空間になる。
肌と肌が触れ合うと何故か安心し、ミランはほうっと安堵の息を吐いた。
腹から小麦色の丸パンを出す。
丸パンは形が潰れていて、あちこちに砂がついていた。
「ちょっと待って」
ミランは慌てて、手で砂を払った。
「大丈夫、食べられるよ。途中でうっかり、地面に落としちゃったんだ」
「ミランは食べたの?」
「うん、私はもう腹いっぱい食べたから、ルォレンが全部食べていい」
「本当? ありがとう」
伸ばした手に、丸パンを乗せた。
ミランとルォレンは幼馴染だ。だからと言って、家が近所だとか、そういうことではない。二人は捨て子で、家や家族を持たなかった。
二人を拾った一家があった。
養父母は畑仕事の労働力にと幼い頃から二人を働かせていたが、身体の丈夫なミランを重宝して、身体のひ弱なウォレンを疎んだ。
「女と男が逆だったら、まだマシだったのにねえ」
その家の妻の口癖だ。そして夫の口癖は、「誰のお陰で飯が食えると思ってんだっ」
夫婦には二人の子供がいたが、その貧しさから自分たち家族が食べるのが最優先で、二人は必ず後回しだ。
ミランとルォレンは、常に空腹の状態であり、腹を満たしたことは一度もなかった。
それでも二人は、お互いにかばい合い、そして耐えた。
「大人になったら、ここを出て家を作ろうと思う」
ミランが、ルォレンの耳にそっと囁く。
農作業で疲れ切った、夜。農機具小屋でボロの毛布をかぶって、二人くるまった。
「僕も一緒に作る」
ルォレンが、もぞっと動く。
「大きくて頑丈な家にしたいんだ」
「僕、ミランと一緒に住みたい」
「畑で大きなカブを育てて、お腹いっぱい食べよう」
「うん、……いつか一緒に、ふわあぁ」
ルォレンが眠そうにあくびをする。
「いつまでも一緒にいようね、ミラン、」
声が小さくなり、寝息が聞こえてくる。
ミランはそっと毛布を引き上げると、目をつぶって囁いた。
「うん、いつまでも一緒だ」
明日もルォレンのためにパンを盗ってこよう、ミランは毎夜、そう思いながら眠りに就いた。
が、そんなある日。
身も心もギリギリのそんな生活に我慢できなくなり、家の子どもとの大喧嘩をきっかけに、とうとうルォレンが逃げ出してしまった。
だが、その時はまだ、ミランとルォレンは一緒だった。
ルォレンが一家から少し距離を置いた森に自生する大木の根元に、藁を敷いて寝泊まりしているのを、ミランは知っている。
ミランは毎日、市場や畑で食料を盗ってくると、今日のようにルォレンの元にやってきて、二人で分け合って食べた。
(ひとりじゃない。いつまでもルォレンと一緒にいる……)
そう考えるだけで、ミランの心は温まった。
「さあ、食べて」
ミランが促すが、ルォレンは手に乗せた丸パンをじっと見つめている。すると、何かに気づいたように、目を丸くしミランを見た。
「これ、……血が、」
丸パンに、赤い染みがついていた。
「あ、ちょっと、転んじゃって、……でも大丈夫。嫌だったら、ここんとこ千切って食べれば」
ミランが手を伸ばすと、ルォレンが丸パンを持っていた手を引いた。
「……傷は大丈夫なの?」
ルォレンの優しい声に、ミランは慌てて言った。
「大丈夫大丈夫、私が頑丈なの知ってるでしょ?」
「……ミラン、いつもありがとう」
その弱々しい笑顔。
ルォレンは丸パンを半分に割ると、片方をミランへと差し出し、もう片方を頬張った。
✳︎✳︎✳︎
「おい小僧、よくもオレ様のクツを汚してくれたな」
足で蹴飛ばされた腹が、破裂しそうなくらい痛かった。
ルォレンが養父母の家を出て、森で一人暮らしを始めてから、半年が経った頃だった。
ミランは養父母の家で働く間に食料を盗んできては、ルォレンの元へと運んでくれる。そんなミラン任せの生活を情けなく思い、自分も食べ物を盗んできてミランを喜ばせたい、ミランの腹を満たしたい、そう思っていた。
けれど、自分はミランより運動能力も劣るし、盗みの才能もない。
(ミランは何でもできてカッコいいな)
思いながら、市場をうろうろとうろつく。
美味しそうな野菜やパン、肉などが山積みされているのを見て、ルォレンは心底、自分の貧しさを実感した。
けれど、それより何より。
店頭に並ぶ食材を、盗むことの困難さ。
大きな店の周りには、冷徹そうな用心棒が無表情なまま立っているし、小さい店であっても、店員が周囲に目を光らせながら、商品を陳列している。
さっきから、うろうろしているルォレンも目をつけられているようだ。
(こんな中でミランはいつも……)
わかっていた。ミランが盗みを働くのは、自分のためだと。
ルォレンは自分を情けなく思い、思えば思うほど、鼻の奥がつんと痛んだ。どうしてこんなにひ弱に生まれてしまったのだろう、とすら思った。
確かにルォレンは、背こそあるが十分に食べていないせいもあり、細身の身体だ。筋肉もあまりつていなく、足も遅い。
涙を拭きながら歩いていると、ある店の前で足が止まった。
(あ、あの果物、美味しそう)
店の前の隅に並べてあるバナナだ。熟しているのか、甘い香りを放っている。小さな虫もブンブンと回っているが、それほどに美味であるはずだった。
(ミランに食べさせてあげたいなあ)
はっと、顔を上げた。
店先には誰もいない。
その瞬間、ルォレンの足が地面を蹴っていた。
バナナを一房、鷲掴みにする。それを素早く小脇に抱えると、ルォレンは走った。後ろを振り返る。誰も追っては来ない。
(うそ、こんなにうまくいくなんてっっ)
ルォレンは、息が続くまで走り続けた。
ガランっと何かを倒す音がして、後ろをもう一度振り返る。
やはり追って来るものはおらず、ルォレンは胸を撫で下ろし、歩を緩めた。
振り返っていた顔を戻そうとした時。
どんっと衝撃があり、ウォレンは地面に倒れた。
「痛っっってええ」
頭上から野太い声がしたが、ウォレンは倒れたまま地面を見つめた。
せっかく盗んだバナナが、男の足の下にある。クツで踏まれて、ぐちゃりと潰れていた。
(ミランのバナナが、)
ショックだった。ようやく、ミランを喜ばすことができる、そう思っていたのが一瞬で泡と化して消えてしまったような気がして。
「せっかくのバナナがっっ」
ルォレンは顔を上げて、男を睨んだ。
「なんだとっっ‼︎ お前からぶつかっておいて、舐めた口きくんじゃねえぞっ‼︎」
どっ、と腹に衝撃があった。足で蹴られたのはわかったが、一瞬で息ができなくなり、その腹を両腕で抱えるしかできなかった。口から唾を吐き出し、おえ、おえと、えずいてから丸くなる。
「……はあ、はあ」
あまりの痛みに顔を歪ませる。目には涙が溜まり、男の足元に転がる黄色の物体が、ぼんやりと映った。まだ食べられそうな物が転がっている。
「……ミラ、ンのバナ、ナ……」
手を伸ばす。バナナには遠く、届かない。腹を抱えたまま、ズルズルと前進すると、男の足が目の前に並んだ。
クツにはバナナがべっとりとついている。
「おい小僧、よくもオレ様のクツを汚してくれたな」
そして、男はさらに腹を蹴った。腕で押さえていたので、二度目の衝撃は少なかった。けれど、ルォレンの動きを完全に止めるくらいの、荒々しい蹴りだ。
「ミラン、の、」
それでも手を伸ばした。
そのルォレンの様子を見て、男が高らかに笑って、「そんなにこれが欲しいのか」
そして、残りのバナナをぐちゃりと踏みつけた。倒れながらも、ルォレンはその様子を見ていた。目の前で、壊れていくもの。
「くそおおお」
あまりの怒りに身体が震えた。ミランの腹を少しも満たすこともできない、自分に対しての怒りもあった。
顔が真っ赤に火照り、額に青筋が立つ。けれど、身体は思うように動かない。
悔しくて悔しくて、ルォレンは地面の砂を握り込んだ。唾が口から垂れ、砂地に茶色の跡をつけていく。その染みが広がっていく様子を見ているしかなかった。
「ガキがっ‼︎」
そして、再度男が足を振り上げた。今度は腹ではなく、顔面の位置。目の前に男の大きな足が迫ってきて、ルォレンはとっさに、ぎゅっと目をつぶる。
けれど、衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。
うすら目で見ると、バナナを踏んだ男は、その場で倒れていた。
そして、もう一人。
白髪の、男。冷たい目。
ルォレンは地面に顔を落とすと、倒れている男の靴底についたバナナの果実を見ていた。それが、この騒動の最後の記憶だった。




