プロローグ
(……どういうことだ)
リの国、国主リンドバルクは目の前に立つ、ひとりの女の姿を見て、眉をひそめた。
(孤高の女盗賊と呼ばれる人物だと聞いていたが……)
肥沃で広大な土地を治める大国の王を前にしても、身じろぎ一つしない女を、リンドバルクは、さらにねめつけるように見た。
(女盗賊などと、どんないかつい大女が現れるかと思えば、)
「何という華奢な女だ」
言葉に出ているのに気づかず、リンドバルクは独り言のように無意識に呟いた。
そう高くはない背丈に細い肩、長い手足、そして驚くべきはその体格。無駄な贅肉はもちろんないが、力強さの象徴である筋肉の一片すら保っていないような、すらりとした姿だ。
(このように弱々しい見てくれの女が、盗賊などという荒くれ者の職についているとは、俄かには信じられん……)
リンドバルクは、その理由を探るように、女の身体に視線を這わせた。
裾のしぼんだ長いはかま、腕に張りつくようなぴたりとした長袖。その細い腕や脚にも、やはり華奢な要素しか認めることができず、リンドバルクは溜め息を吐きたい気持ちになった。
しかし、それはもちろん、女がまとっている服の上からでは実際の体つきを視認できない、との前提があるのだが。
(まあ、裸にしてみないと、本当のところはわからない、がな)
薄紅色の絹の衣に身を包み、女は無言を通している。
「そんな細っこい身体で、その大刀を振り回せるのか?」
当たり前に誰もが持つ疑問だった。
リンドバルクは女がその細い腰の左に帯刀している刀を訝しげに見た。
それはそれは立派な、大刀である。
長さもあるが、刃の幅も広い。
その大刀とは反対側、すなわち右手側に差している、細く短い短剣に視線を移す。
(剣の二刀流か。こちら側の短剣ならば軽々と振り回せるだろうが、……この大刀などは持てはすれど、振り回すことはできまい)
女は、リンドバルクの言葉に何も答えない。
それを不躾とも思わず、無表情なその女の顔をまじまじと見た。
(……ふむ、顔も悪くはない)
このリの国の宮廷に泳ぐ美麗な姫君たち、そしてそのお付きの女官、リンドバルクの周りに侍る女はたくさん存在するが、そんな「美を競い合う女ども」と比べても引けを取らないほどの美しさだ。ただ、「女丈夫」の野性味は感じられた。盗賊という職業柄だろうか、その顔に若干の粗野な性質が滲み出ている。
その女の名前は、ミランという。
リの国、一番の腕前、噂に高い女盗賊という話だ。
ミランに盗めないものは、地に立ち動くことのない建物のみとの評判が駆け巡っているのは、リの国だけではない。
しかし、それほど有名にもかかわらず、誰もその素性を知ってはいない。
どこに住む誰なのか、ミラン本人に関する情報は皆無と言って等しいのだ。
(なるほどこれは、その秘密のベールを、押さえつけてでも剥ぎ取りたい気持ちになる)
ミランが、ゆらりと身体を揺らした。
リンドバルクの後ろに控える二人の用心棒が、ごく、と喉を鳴らす。
それを耳にしたリンドバルクは、ミランを軽く見ていた自分の考えを改めざるを得なかった。
確かに、その二人の用心棒との間合いをたっぷりと取る、女のその立ち居振る舞いを見れば、只者でないことは理解できたからだ。
そして。
まだ一度も。
ミランはリンドバルクに頭を下げていない。
リンドバルクは心の中で、苦笑した。
(ふてぶてしい……だがまあ、そんなことはどうでも良い)
「ミラン、お前を呼んだのは他でもない。お前に盗んでもらいたいものがある」
リンドバルクは、無言のミランを前に、話を進めた。
「すでにお前の耳には入っているとは思うが、……情けないことに、今の今まで俺が愛しみ大切にしてきたものが、メイファンという盗賊団によって持ち去られてしまったのだ」
「…………」
「今、それはルーエン街にある。それをお前に取り返してもらいたい」
リンドバルクは、その大きな身体を動かして、掛けていたイスに座り直した。足を組み直す。
肘掛けに肘を立てると、その身体が斜めに傾いた。
「無論知っているとは思うが、……ルーエン街は無法地帯だ。身の危険はもちろんあるだろう、簡単な仕事ではないと思う」
ルーエン街。
リの国、北東部に位置するユイ湖を中心に発展した街である。
ただ、農耕や商売で生計を立てている他の街と違うのは、盗品で潤っているという部分だ。
そのルーエン街を拠点とした盗賊団であるメイファンは多くの盗人を養成し、その盗品で盗人が生計を立てられるよう、仲介、売買を斡旋している。横流しされる商品は多種多様に富む上に高品質のため、メイファンを介した商品は評判も良い。その為、正当な商品としてリの国の都市部にまで出回り、メイドインルーエンとまで揶揄されるほどだった。
リの国では、盗賊という職業が、正当化され合法とされている。人のものを盗むという行為自体が犯罪に当たらないので、捕まって牢屋に入れられることもない。
盗まれる方が悪い、ということになる。
「まさしく『混沌』と言っていい……まったく、人のものを盗むことが罪にならぬとは、自分の国のこととはいえ、呆れて物も言えん」
容易に財産を手に入れることができる『盗賊』という職業。
金を持つ者はその盗賊から自分の財産を守る為に『用心棒』を雇う。
その二つの対立する職業が存在する中、盗賊が一番注力するのは、物を盗む時に怪我を負わされたり殺されたりするのを、なるべく避けることのみなのだ。
リンドバルクは、はあっと溜め息を吐いた。
「……盗賊が生業のお前にとっても、生きやすく、そして生きにくい国だろうな」
「…………」
「話を戻そう。メイファンを統治するのは、『黒蛇、白蛇』という男たちだ」
「…………」
何を話しても無言のミランを前に、リンドバルクの眉も上がる。
(本当にこの女が、孤高の女盗賊なのか?)
リンドバルクからの信頼も厚い、宰相のメナスが連れてきた人物だ。もちろん、その資質を疑ってはいないが、この華奢な女を前にして、若干の不安を消せずにいた。
(俺の女にしてもいいぐらいだ)
化粧の施されていない女の顔は久しぶりに見たぞ、と心で苦笑する。
が。
(化粧や衣服で着飾らせれば、この宮廷の一二を争えるかも知れんな)
そう考えを巡らせていると、ミランが少しだけ顔を上げた。
「どれくらいの猶予をいただける?」
想像より、低い声だった。けれど声に艶があり、やはり女だ、と思った。
「どれくらい必要だ?」
ミランは直ぐに答えた。
「悪名で名高い盗賊団に潜入するのだからな、準備に一週間は必要だ」
「良かろう、準備に必要なものはこのメナスに言え。何でも揃えてやる」
リンドバルクは、横で控えているメナスを見ずに言った。
「部屋を用意してやれ」
メナスは、やはりリンドバルクを見ずに、かしこまりました、と言って頭を下げる。
メナスはそのまま、ミランへと近づいていき、手を伸ばして促した。その手を制し、それから顔を戻して問う。
「報酬は?」
ミランは、力強い声で訊いた。その声に、メナスが手を戻す。
その様子を見ながら、リンドバルクが唇の端を上げた。
「どれだけでも」
「それだけ、価値があるものか?」
「俺にとっては、な」
「わかった」
ミランは踵を返して、今いる大広間の出口へと向かい、歩き出した。歩を進めるたび腰に差した大刀が、カチャカチャと小さな音を立てた。
メナスと並んで歩く後ろ姿を見て、リンドバルクはさらに思った。
「……本当にお前のような女が、俺の至宝を奪い返せるのか」
口元を緩めた。
「見ものだな」
リンドバルクは立ち上がり、双子の戦士の間をすり抜けると、反対側のドアへとゆっくりと進んだ。