第一章6『最強となる相棒』
もうそろそろ夜が開ける時間、早い人は起き出す時にヒロトは街を駆けていた。
──ベルカを、ベルカを探さなければ。
心の奥底がやたらとざわつくのだ。 ここで彼女を逃してしまえば、必ず後悔してしまう気がしてならない。
「っ!」
すると遂には太陽の光が雨雲の隙間から微かに射してくる。
薄暗い朝焼けに染まる街を眺めて、想像以上に時間がかかっていることに焦る。
ハンターという生業のすべきことは狩猟であり、底辺ハンターのヒロトには一日足りとも休める時間などありはしない。
だから、本来は早々に彼女を諦め、そのままギルドへと向かうべきなのである。
しかし、それでもヒロトは探し続ける。
──運命を感じたから、後悔したくないから、そして何より、彼女が悲しそうな顔をしていたから。
三つに別れた路地を見て、しらみ潰しに探す覚悟でヒロトはまず右の道へと進む。
走りながらも首を左右に振り、建物と建物の暗い隙間にベルカが潜んでいないかを息を切らしながら確認する。 見れども見れどもヒロトの目にはスカスカの隙間ばかりが映り、桃色の髪を持つ女の子は一向に見受けられない。
走って、走って、走り続けて。
窓からこちらを見る者達には目もくれず、ただベルカが隠れてそうな場所だけを見続ける。
「──ぐぁっ!?」
何も食べず、大雨に打たれながら尚も息を散らして走り続けていたヒロトは案の定倒れ込んだ。
七転八倒、とても情けない。 そう頭の中でそう強く繰り返すが、倒れた身体は言うことを聞かない。
ならせめて、せめてあの路地裏を確認させてくれと這いずりながら建物の隙間に入り込み、そこに何も無かったのを確認すると同時に、ヒロトの意識は消えた。
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「おい、大丈夫か?」
「───?」
誰かが声をかけている。 力の抜けた腕がだらんと垂れ、背中は建物の壁に任せっきりだった。
薄い意識といつの間にか雨が止んでいた空から見える眩しい光によって、重たくなった目でその声の主を見る。
「──」
「お前ほんとに大丈夫かよ?」
いかつい顔とそれに似合う屈強かな体つきをした男だ。
街でくたばりかけている少年を見て、半ば呆れてるような表情で覗いていたのだ。
ヒロトは壁にもたれていた背中をググッと少しだけ前に倒し、微かだった意識を取り戻してその男に答える。
「はい………大丈夫です」
「だったらいいけどな。 お前、こんな所で寝てたら本当に死ぬぞ? 気をつけろよ」
──あぁ、そうだ。 こんなところで寝てるとその内死ぬ。 だから助けたいって気持ちも湧いてきたんだ。
そして自分はこんなところでくたばってはいられない、ベルカに会って、ベルカと話して、ベルカとパーティーを組みたい。
ヒロトは心の中で自身を鼓舞し、すぐに腰を上げて路地裏から出る。
「探さなきゃ──?」
すぐに走ってベルカを探そうとするヒロトの耳に、何やら人が揉めている声が聞こえる。 それは恐らく、二人ではなく三人か四人の、ゴチャゴチャしたような篭った声だ。
そして僅かに、子供の声が聞こえる。
(関係ない……! 関係ないんだ、僕はベルカを………!)
そうだ、ベルカを追いかけるだけなら、ヒロトはこの声を無視しなければならない
けれど、その声の方へと寄ってしまう。 ダメだ、ダメだと道に出ようとするが、どうしても光が刺す明るい方へとは歩けない。
近づく度によく聞こえる。 一人の子供を複数人で寄ってたかって怖がらせるその声が。
「ダメだっ!! 見過ごせない!」
これほどまでに追い詰められた状況下にあっても、彼の善性は言うことを聞かなかった。
心の中で『間に合え』と叫ぶに連れて地面を蹴る足の力は増していき、そしてヒロトは揉め事の現場にたどり着く。
「そこまでっ──!?」
「──っ!」
三人のガラの悪い男が取り囲んでいたのは、ピンク色の髪をした見覚えのある少女だった。
「んだぁ? テメェよぉ」
突如現れたヒロトに対して、三人のうちの一人が露骨に苛立ち始めた。
悪巧みを邪魔されたことに付け加えて、その邪魔をしてきた人物が明らかに自身より弱そうな人物であるということが非常に腹立たしいようなのだ。
「まぁ待てよ……面白そうなおもちゃじゃねぇか?」
「そうそう、あんましカッカしてるとおもちゃを逃しちまうぜ?」
残りの二人はヒロトを馬鹿にしながら、キレる男を宥める。
だが、当の本人であるヒロトはそのやり取りには目もくれず、ベルカを見つけた喜びを享受していた。
「ベルカ、無事でよかった……本当、本当に……!」
「なん、で……?」
「いったろ、僕は──」
瞬間、ヒロトの身体が飛んだ。
「無視してんじゃねぇぞクソガキ!」
血の気の多い男がヒロトの殴り飛ばし、民家の壁へと打ちつけたのだ。
残りの仲間はその男がヒロトを殴り放題にできるよう、ヒロトの身体を地面に押さえつける。
「ガハハハ! テメェ男のクセして女みてぇに可愛い顔してんじゃねぇか! どんだけ殴りゃブスになるだろうなぁ!?」
「うぐぅ!」
男は馬乗りになり、少しの間ヒロトの顔をさすった後に鼻を殴った。
「ほら二発目もいくぜぇ!」
「ガァ──ッ!」
二人の男に仰向けの体勢に固定されたヒロトはその場から動くことを許されず、ただひたすらに顔を腫らしていくことだけしかできなかった。
「ヒロ、ト…………?」
自分に優しくしてくれた男の子が、不条理にも目の前で酷い目にあっている。
まるで拷問かと見紛うほどに無残な仕打ちを受け続けるヒロトを、彼女はただ眺めるだけしかできなかった。
(痛い……………………)
殴り続けられる痛みにひたすら耐えるしかないヒロト。 だが、このままではベルカを助けることなど到底無理だ。
どうにか、どうにかしてこの状況から抜け出さなければならない。
痛みを堪えながら考えているうちに、ヒロトはあることを思い出した。
(この絶望感……そうだ、昨日と同じだ)
圧倒的な力にねじ伏せられるのは今日が初めてではない。 彼は昨日だって強者によって殺されかけた。
そうだ、この苦難は、この恐怖は既に知っていることじゃないか。
これは、分不相応な願いを抱いたが故に訪れた、自身に対する試練だ。
昨日はハンターになりたいという願いのもとやってきたモンスター。 そして今日は、一人の少女を救いたいという願いによって招かれた三人の暴漢。
いずれも、弱い自分を乗り越えるための試練なのだ。
異世界に来てから突きつけられた己の弱さを変えたいのならば、ヒロトは挑まなければならない。
(──戦え)
戦え。
(──戦え!)
戦え。
「戦えぇっ!」
「ダァァァァァッ! 痛てぇよぉぉぉ!!!?」
ヒロトがそう叫んだ数秒後、押さえつけていた内の一人が絶叫した。
その男は自身の指を掴み、地面に伏せてこれでもかと悶絶している。
「おっ、おい! どうした!?」
馬乗りになっている男は手を止め、倒れ込む仲間を動揺しながら眺める。
そしてその姿を見つめる目は次第に大きくなり、瞳を揺らした。
「お前っ、指が!」
涙を流して苦しむ男の右手には、あるはずの人差し指が消えていた。
否、厳密に言うと『噛みちぎられていた』。
乱雑な切れ目からドクドクと鮮血が地面に流れ落ちる光景はとても直視できるものではなく、今までヒロトを殴り続けていた男はすぐに目を逸らす。
逸らした目線の先には、唇のそれとは全く異なる真っ赤な口。
「てっ、てめぇマジかよぉ……? よく、人の指を──」
男は『よく人の指を食いちぎれるな』と言いたかっただろう。 だが、その願いは叶わなかった。
綺麗に言葉を締めくくるよりも先に、己の喉からけたたましい叫び声が飛び出したのだから。
「ぐああぁぁっ!」
男の腕からほんの一欠片だけ、肉が噛みちぎられた。
さっきと同様に叫ぶ男には目もくれず、ヒロトは口に残った肉片を乱暴に吐き出し、残った一人を見つめる。
「うぅ……! テメェ、頭おかしいんじゃねぇのか!?」
すると、無傷の男は捨て台詞を吐き、倒れ込む仲間を引きずってその場から逃げ出した。
あれだけ騒がしかった裏路地はすっかり静かさに支配され、残された二人はゆっくりと見つめ合う。
ヒロトはおぞましい程に口周りに塗りたくられた血を袖で拭い、殴られ続けた顔をさすりながら座り込むベルカに歩み寄る。
「怪我はない?」
「あ、あぁ……」
過剰に抵抗したヒロトの姿がまだ焼き付いているのだろうか、優しく心配する仕草とあの光景のギャップが彼女の喉を震わせる。
そして、ベルカは不安定な声色でこう問う。
「────どうして、助けてくれるの?」
ベルカがヒロトに一番聞きたいことだ。 なぜ見ず知らずの哀れな少女をそこまでして助けようとするのか。
曖昧な答えでは信じることができない。 自分が納得できる、残酷でリアリズムな答えが欲しい。
目の前で自分を優しく見つめてくれる少年がどうか、偽善者であってくれないかと、願ってやまない。
「君に運命を感じて、助けたかったから。 ただ、それだけだよ」
だが、彼女の自虐的な願いは少年の一言に滅ぼされた。
「なに、それ……!!」
さっきも聞いた。
意味のわからない理由で、自分を助ける為に三人に向かって行って、弱いクセに何を考えているんだろう。 その優しさは、その勇気は一体どこから来るのか、何故それを自分に向けてくれるのか。
少年のやることなすことの全てが、彼女の心をかき乱し続ける。
「ベルカ、弱い……」
「僕も弱い」
自分を助けるメリットなんてありはしない、貴方のすることはそれこそ無意味なんだと遠まわしに伝えるが、返ってきたのはそんな情けない言葉だった。
「ははっ………バカみたい」
弱いことなんて、そんなマイナスなことをためらいもなく、包み隠さずに自分に伝えてくれる。
普通に考えて、あの言葉にそんな返しをするかものか。 そんなことを思っていると、自然と笑みが溢れてしまった。
一緒に漏れ出た辛辣な言葉にすらも微笑みかけてくれる変な人。
そんな人は今まで、出会ったことのない──
「はい」
ヒロトは優しく、ゆっくりとベルカに手を差し伸べる。
「──?」
その手を見て、ゆっくりとヒロトの顔を覗く。
優しくて、慈愛に満ちた表情。
ベルカにとって、その目はどんな色よりも透き通った黒色で、差し伸べられた血だらけの手はどの手よりも美しく見えた。
───本当に希望なら。
───本当に自分の希望なら、自分は孤独じゃなくなる。
ヒロトの見るベルカの瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていき、もう一度ヒロトの手に視線を落としす。
そっと手を前に出し、ベルカの手とヒロトの手が徐々に近づく。
「ゆっくり、ゆっくりでいい」
言うことの聞かない震えた手をゆっくりと近づけて、その希望を二度と離すものかと、力をこめて握りしめた。
握りしめた手の上にもう片方の手を乗せて、それを感じたヒロトも空いていた片手でぎゅっと強く握りしめる。
(────この人は、ベルカを愛してくれる!)
「ヒロトッ!」
掠れた声で、それでも力強く、ベルカは自身が握りしめる手の持ち主の名前を呼ぶ。
それに応えるように、ヒロトもまた彼女の名前を口にする。 ずっと、伝えたかった言葉とともに。
「ベルカ」
「なに………?」
今から彼が何を言うのか、ベルカは知っている。 けれど、今はそれがどうしても聞きたい。
ヒロトは深呼吸し、それを言う覚悟を決めた。
「僕とパーティーを組んでほしい!」
真剣な目で、大きな声ではっきりと自分の願いをベルカに告げる。
汚い路地裏の最奥で、しかしその表情は何よりも美しい決意の現れで。
最後にもう一度だけ握る力を強めて、ベルカは笑顔で答えた。
「うんっ!!」
溜まった涙は流れ落ち、自分を助けてくれた英雄の顔がまたよく見えるようになる。
「──ありがとう、ベルカ」
出会って間もない二人のハンター。 彼らの出会いは決して愉快に語れるものではなかった。
雨水、泥、砂、血に塗れた穢らわしい物語かもしれない。 だが、二人にとってはかけがけのない、最強に最高な出会いだ。
「いつか必ず、二人で強くなろう!」
「強くっ……なろう!!」
この先にいかなる困難が待っていようと、二人は歩みを止めやしない。
二人で結びつけたその決意は、いかなる強者であっても断ち切ることはできない。
二人で抱きしめる希望も絶望も、全ては辿りつくべき地への糧となる。
そうして、弱いハンターは進み続けるのだ。
最強となる相棒とともに。