第二章30『強者の条件』
仮に、仮にだ。 炎が命を宿していたとすれば、それはどう生まれ、どう成長し、どう終わるのだろう?
狭い迷路に詰め込まれ、数千年も燻り続けていたとすれば?
ただの炎なら数時間、長くても数日で燃え尽きてしまうだろう?
けれど、命を宿していたら?
『──世界の全てを灰に帰す灼熱へと育つかもね』
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暑いのではない、熱いのだ。
「異常だ」
帝国城の地下階に構えられた保管庫にて、一人の兵士が呟いた。
隣に座る者はその言葉に同調するかのように、「ハァ……」とため息を吐く。
「ここは地下二階のはずなんだけどな……」
「気象士によれば、この熱気は猛暑が原因だってさ。 正直、そんなレベルじゃない気がするけど」
ダラダラと汗をかく程ではないにしろ、ちょうど神経に触れるか触れないか程度の生温さがとにかく苛立たしい。
「今は春のはずなんだけどな……」
「ラネアイドの春は少し肌寒いくらいなんだけどね。 しかも帝国城の地下だっていうのに……変だよ」
垂れることのない汗が額に点在し、ときたまそれを手の甲で拭う。
異常気象と呼ぶには急すぎる気温の変化は、心配症な兵士の眉を歪ませるには十分すぎる事物であった。
「はぁ……今日のこともそうだし、城の重役たちが殺されたり、変なダンジョンが見つかったり、ここ最近は変わったことが多いよね」
「そういや、ちょっと前は下級ハンターがガルディノスに殺されまくってたよな? ダンジョン探索にいった奴らも戻ってこないみたいだし、ギルドの戦力は大丈夫なのかね」
帝国の兵士らとギルドに属するハンターたちには直接的な関わりはないが、同じ戦士として互いに気にかけてはいるのだ。
向こうの組織はどの戦場にどの戦士を送り、どのような戦い方で、どのような結果を残したかを常に探り合うような関係だ。
「ガルディノスに喰われたのはギルドに内緒で徒党を組んだ雑魚ハンターたちだろう? 戦力の欠落という意味では大した影響はないはずさ。 ダンジョンへ赴いた人らも、きっと似たようなものだよ」
「そうでもねぇぜ。 お前の言う通り、探索に派遣された殆どの奴らは【帝国騎士団】の足元にも及ばない弱者だが、一人だけガドロ級のハンターがいたって話だ」
──【ガドロ級】。 ハンターズギルドが定めたハンター階級の一つであり、二番目に高い位だ。
ハンターを志す多くの者が目指す階級であり、下級で燻る者たちからの羨望を一身に集める様はまさしく『ハンターの最終目標』と言えるだろう。
「……へぇ、ガドロ級が? "あんな事件"があったっていうのに、駆り出されずに残ってたんだ」
「まぁ実力者が全員管轄から出ちまうとギルドも首が回らねぇだろうからな。 俺らと似たようなもんさ」
「ふんっ、僕らには尊き女帝守る使命があるんだ! 戦力外のハンターとは一緒にしないでほしいね!」
ラネアイドの地において絶対的な権威と威厳を持つ女帝を直々に護衛するというのは、彼女に仕える者として最も恐悦で、光栄なことである。
普段はメルタリアの街を巡回し悪人取り締まっている彼にとって、このような仕事が舞い込んできたのは願ってもないことだった。
「まぁ、俺もこっちの方がいいけどよ。 帝国の強者が総動員されてる事件だぜ? 関わりたくねぇよ」
「はぁ……ほんと、変な世の中になってきたなぁ」
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「炎の化け物だけどさ」
「なんだよ」
ダンジョンから抜け出してからおよそ二十分が経った頃に、熱気を帯びた吐息を混じらせながらヒロトが口を開いた。
「考えても変わらないのはわかってるんだけど、どうしても気になるんだ。 あいつが地上に出てもう数時間は経ってるでしょ、だからもう結構な人が犠牲になってるんじゃないかって……」
「……そんなの、ここにいる全員が考えてるに決まってるだろ。 考えるだけでいい、言葉にすんな」
ずっと頭から離れなかった懸念を実際に声として出すのは、意外と勇気がいるものだ。
最悪の事態を想定すること自体は悪くない。 ただ、やたらに嫌な予感を周りと共有してしまうと仲間の士気が下がってしまう。 それは、ハンターを生業としているものにとってはごく普通の考え方である。
「けれど、君たちから化け物の話を聞く限りそうも言ってられなさそうだ。 ヤツに対する恐怖や不確定な犠牲者への罪悪感なんて、今だけは捨ててしまった方がいい」
強者というものは常にそうだ。 不測の事態や未知の脅威に追い詰められると、殺意以外の余計な感情を削ぎ落としていく。
戦闘の最中に渦巻く『焦り』、『恐怖』、『迷い』、『不安』、『後悔』。 本来、人間が本能的に感じざるを得ない感情を状況に応じて取り払うことができる者だけが強くなれるのだ。
「そう、ですよね……分かってはいるんです。 ただ、それでも僕は……」
ハンターとしての──否、"戦う者"としての正論がヒロトの胸に染み渡る。 ただ、その言葉に対して黙って頷ける程の覚悟が彼には足りていない。
迷いも恐怖も後悔も、自らの意思で取り払うことができない。 だから彼は口を開いた。 開き続けるしかなかった。 その姿がいかにハンターとして弱々しく、情けないかを知っていたとしても、止められなかった。
揺らいでいるだろう、何かが溢れ出るだろう瞳を見つめるグリンは、数拍の間を置いた後にこう言った。
「──ヒロト、君は弱いな」
「ッ!」
短く、静けさに包まれた叱咤がヒロトの肩を跳ねさせた。
「君がダンジョンから化け物解き放ったとしても、たとえそれで民間人が焼け死のうとも、ひとたびハンターとしての戦いが始まれば全て関係ないんだよ」
「か、関係ないって……そん、な」
あまりにも淡白で冷徹な言葉だった。 常人では体現できないその考え方を前に、"弱いヒロト"は言葉を詰まらせることしかできない。
「関係ないのさ。 勝利に酔うのも犠牲を悔やむのも、起きてしまった被害の尻を拭うのも全部、戦いが終わってからすべきことだ」
静観していたマレッカも同じ思想を持つ者なのだろう、グリンの言葉に対して僅かな点頭を見せた。
普段の自分では手に負えない化け物を相手取るならば、その存在の前に狩人として立つならば、ハンターはすべからく"人"を捨てなければならない。 ただ殺意のみを残して。
ヒロトだけが、その覚悟ができていなかった。
「私やマレッカが骸骨との争いで様々な感情を露わにしていたのも、裏を返せば『敵の殲滅のみに没頭しなくてもよいほどの余裕があった』ということになる。 無論、敵を舐めていたわけじゃないがね。 いつでも全力さ。 ただ──」
「ただ……?」
「──ただ、化け物を相手取るならば、私たち人類も敵を殺すだけの化け物になるしかないのさ」
人の感情を捨て、ただ敵を殺すことだけを考える存在となる。
それを鬼や怪物、悪魔と呼ぶかはそれぞれの勝手だが、ただ確かなのは『人という存在を超えなければならない』ということである。
「化け物に──」
強くなりたいのなら、愛する仲間を守りたいのなら、いずれヒロトは人の道を踏み外さなければならない。 できないのならば、ただその身を血肉としてモンスターに捧げるだけだ。
初めてディノスに襲われたとき、ヒロトはそれを拒んだ。 であれば、もはや選択肢など残されてはいない。
人を救いたいのなら、人を捨てろ。
理不尽で残酷な言葉かもしれないが、ハンターの世界においてはそれが真理であることに違いはない。
皮肉な現実を受け入れられる者だけが強くなれる。 少なくとも、メルタリアの強者たちは例に漏れずその言葉を信じて生きてきたのだ。
「……時間が惜しい、先を急ごう。 君が答えを出すまで待ってやれるほど平らかな状況ではないんだ」
黙り込むヒロトに背を向け、グリンは熱気の強まる方向へと歩き出す。
グリンの姿が蜃気楼の歪みと同化し始めた頃になっても、ヒロトその場から動くことができずにいた。
「……マレッカ」
「あ?」
覇気のない声で、隣にいる仲間の名前を呼んだ。 そこに、何かの救いを求めるかのように。
「僕は、あの人について行ってもいいのかな……?」
「どういうことだよ」
「弱いと言われて否定できなかったんだ! それは、僕も弱いことを認めているから……だから、強いハンターと一緒に戦う資格なんて僕にはないんじゃないかって……」
弱いと指摘され、それに言い返せずにいることがひどく情けないと感じた。 そんな自責の念ばかりがヒロトの心を抱擁している。
そう思って自身の存在を責めれば責めるほど、何故だか胸の重さが遠のいていくのを感じるのだ。
歯切れ悪く終わった自身の訴えがマレッカに届いているかと、力なく開いているまぶたの下から視線を向ける。
ヒロトはその行為を自身のすべきことを求める問いかけかのように見せたが、実のところ望んでいる答えはただ一つだ。
──自分の弱さを否定してほしい。 浅ましく求めているのはそれだけだ。
醜い問いかけを受けた時から沈黙を貫くマレッカ。 求められている答えを探している最中なのか、あるいは呆れて物も言えないのか。
彼の据わった目つきからはその心中を探ることはできないが、それが永遠に明かされないということはない。
マレッカという者は、人の問いに答えないなんて嫌らしい真似は決してしないしないのだから。
「あのな──」
薄桃色の唇を弾けさせながら、マレッカはため息混じりにこう言った。
「ヒロト、そういうところだぞ。 今すぐ始末しなくちゃいけねぇヤツがいるんなら、私的な悩みや恐怖なんて今だけは忘れろってグリンに言われたんじゃねぇのかよ」
「あっ……」
ついさっきまで説教されたことだ。 だが、愚かにもヒロトはそれを忘れてハンターとしての歩みを止めていた。
厳密に言えば、あたかもハンターとしての一つの壁にブチ当たったかのような格好を見せて、その場で足踏みをしているだけであった。
心の中で弱い自分を責めていたのも同じだ。 自分で自分を叱りつければ、そういったポーズをとることができる。
それらはいわば、精神的なリストカットに他ならない。
ここまで愚かしい足踏みはもはや後退と同義だ。
「そうだ、そうだよ……」
「やっと理解したかよ。 人間性を捨てるとか以前に、言い訳ばっかしてたらそもそも強くなんてなれねぇぞ」
「うん、やっとわかったよ。 はは……僕は本当にバカだ」
マレッカの言葉のおかげで、ヒロトは自身の行為がどれほどまでに滑稽だったかを自覚することができた。
自覚できたのならば、あの日ベルカと強くなることを誓った者として、とる選択は一つだけだ。
「迷惑かけてごめん。 自分の弱さを精算できたわけじゃないけど、残った分を気にするのは後にするよ」
「あぁ。 それで、これからどうするよ、ハンターさん?」
「そんなの、決まってるだろ!」
行き先を言わずとも、彼の選んだ道はその活気付いた声音が強く示していた。
マレッカは小さく笑い、僅かに見える揺らいだ人影へと歩き出した。




