第一章5『貴方を疑う理由』
ヒロトには走る気力が既になく、大雨に打たれながらずぶ濡れでのそのそと歩き続けた。
二時間は経っただろうか、雨雲でも隠しきれていなかった微かな日光も既に届かなくなっている。 しかしそれ程歩いたおかげでメルタリアの城壁はもう目の前だ。
その間にあの肉食モンスターの仲間に出くわすこともなく、出会ったのは草食モンスターの肉塊。 無力ではああなる、自分もそうなりかけた。
あの鋭利な爪でボロボロに切り刻まれた服の下には、雨で薄まった血が肌をダラダラと染めている。 門に着くや否や、警備にあたっている門兵はそのヒロトの姿を見てギョッとするが、何も声をかけることもなくそのまま街に入ってゆくヒロトをただ見つめるだけだった。
少し歩いて、ヒロトは巨大なギルドの前に立った。 偉そうに構えた大扉を弱々しく片側だけ開いて中に入る。
依頼を達成したことを報する為、バックパックから全てのムンムン草を取り出して目の前にあるカウンターに置いた。 受付嬢はまた奥の方で資料を整理してるようで、声を出す元気などヒロトにはなかったがここは仕方ない、また弱々しく受付嬢に声をかけた。
「はぁーい──ッ!」
頭に受けた傷から出た少しの血を雨粒がヒロトの顔を塗りたくり、ボロボロの服と相まって受付嬢にはまるで竜と戦った後のハンターに見えた。 仰々しい程に、というよりも大袈裟にボロボロな見た目をしていることをヒロト本人は気づいておらず、引き気味の声を出した受付嬢に納得がいかなかった。
「依頼、達成しました」
「そ、そう──報奨金、渡すわね」
受付嬢が顔をひきつりながらそう言うとヒロトは"100"と書かれた硬貨を二枚と"50"と書かれた硬貨を一枚貰い、それを見ながら
(数字も前の世界と同じ……………)
と心の中でそう思うが今はもうどうでもいい、これで何か食べ物でも買って腹を満たしたいと考えた。
「あっ……約束」
ヒロトはギルドでルルカとまた会う約束を交わしたことを思い出す。
しかし、こんなどうでもいい草を五個集めるという極めて簡単な依頼に半日という時間をかけて、更には服と肌をボロボロにしてやっと依頼を達成して帰ってきたところをルルカに見られるなど今のヒロトでは到底耐えることが出来ず、それはヒロト自身もルルカ目線で見せられるものではないと考え、ずっとこちらを見る受付嬢を尻目に、ヒロトの視界からギルドの二階へ続く階段は遠のいて、気づけばヒロトはギルドの外に立っていた。
「もういいや…………」
そのままどこか適当な店で美味しくなくてもいいから食べ物を買い、路地裏に寝泊まりでもするつもりでヒロトはギルドを後にする。
道行く人がヒロトを通りすがりにチラチラと見る。 それは穢らわしいものを見る目か、または大袈裟に汚れたヒロトの見た目に哀れみを送る目か、それともそんな見た目をバカにする目か、きっと人それぞれどれかの印象を抱き、ヒロトを見るのだろう。
─────────────────────
もう日付が変わる頃だろうか、ヒロトの辺りはもう人の灯りすらなく、唯一ヒロトを助けてくれるのは月明かりのみであった。
最後の最後で小汚い屋台から作り方が雑で、それでいて具の少ないタコスのような食べ物をヒロトは全財産をはたいて購入し、そこで食べようと休めそうな路地裏を探している。
未だ振り続ける雨とその冷たさを更に強くする寒い風。 外を歩く人など誰もおらず、しかしヒロトにとってはそっちの方が嫌な視線もなく楽に感じた。
「ううっ……」
グウッとお腹の音がなってしまった。
そもそも、ヒロトはこの一日何も食べおらず、ここまでお腹の音を出さずに我慢出来ていたことが凄いことと言えるのだ。
しかしあれだけ歩き、あれだけ走り、更には肉食モンスターと戦っていてはもう我慢の聞きようがない。
休めそうになくてもいいからとすぐそこの狭い路地裏に入り、建物の壁にもたれかかるように座り、バックパックから食料を取り出してそれを食べようとする。
「あーん──」
────────────────あぁ………
「────え?」
食べようと両手で食料を掴み、口を開き、近づけたその時に路地裏の奥から奇妙な声が聞こえる。 よく聞いてみるとその声はヒロトなどよりもずっと弱々しく、まるで助けを乞うことすら諦めているかのように聞こえるほど生気がなかった。
───────────────うぁ……………
その苦しそうな声は止まず、ヒロトの恐怖心を煽ると共に、その声の主を知りたいというヒロトの探究心の両方を呼び覚ます。
小刻みに聞こえてくる声、その頻度は次第に短くなっていく。 ヒロトは路地裏の奥へと近づき、その正体を探る。
一層月明かりの当たらない暗闇にそっと手を触れ、その暗さに目がなれるとやっと分かった。
────そこにいたのは一人の女の子だった。
あまりの衝撃にヒロトは一瞬息を飲む。
着ている服と汚れた肌。その姿はまるでボロ雑巾のようで、ヒロトなどよりもよっぽどボロボロで死にかけていた。
「大丈夫!? ねぇ、しっかり!!」
慌てて声をかけ、今にも閉じそうな少女のまぶたが閉じぬよう、精一杯方を揺さぶる。
少女は弱々しく声にならない声を出し、その場から更に路地の奥へ逃げようと体を引きずる。
「…………うぁ…………ぃ」
「ッ!」
このままでは危険だと判断したヒロトはすぐに置いていた食料を少女に渡し、依頼を受注した時に貰い、金のないヒロトは大雨の中湖で採取筒に入れた水を差し出した。
少女はなかなか受け取らなかったものの、何度も何度もそれらを押し付けてくるヒロトに遂に負け、少女は震える手でヒロトの手から取った。
手に取った食料をゆっくりと口に入れ、ボロボロと屑を零し、薄れた目をしながらも口を動かす。
「ゆっくり、ゆっくりでいいよ………」
食料を加える少女の背中をさすり、優しく静かな声でヒロトは安心させるかのようにそう言った。
少女は口から食料を離し、じーっと地面を見つめたら、今度はヒロトの目をじーっと見つめる。
何を訴えているのかと一瞬考えたが、それより先に水も飲ませないとまずいと感じてヒロトはそれよりも早く水を飲むようにと少女に言った。
「水も飲まないと……ほら、飲みな」
ヒロトがそう言うと少女は筒の縁に口をつけ、手で傾けてゴクゴクと大量に飲んで筒の中の水はあっという間になくなった。
「お腹は落ち着いた? 大丈夫?」
そう質問すると少女はコクリと顔を頷かせ、さっきの弱々しさは姿を消してしっかりと口を動かせ、ヒロトにこう言った。
「ご飯……ありがと。でも…………なんで?」
「それは……君が苦しそうだったから、かな」
死にものぐるいで達成した依頼の報奨金を全て使って買った食料を全て少女に捧げ、あまつさえ水までも差し出すなんて、普通に考えてそんな余裕は自分にあったはずがないのだ。
ヒロトは自分がなぜ少女を助けたのか、心当たりはあるものの、それを口にしたり、思ったりすると恥ずかしい。
本当に弱々しく、こちらを見つめる姿を見て、ヒロトはそんな少女を助けたいと、そう思った。
─────────────────────
もう何時間も経ってるはずが未だに止まぬ大雨に、上着を脱いだヒロトは地肌を打たれ、その雨粒の一粒一粒が肌を冷たくする。
ヒロトの優しさか、脱いだ上着は少女の頭に被せられ、自分以上に震えることのない少女を見てヒロトは歯をカチカチ言わせながらも少しだけ微笑む。
「──ベルカ」
「へっ?」
すると突然ヒロトに対して少女が口を開き、いきなりのことでヒロトは聞き返してしまう。
「ベルカ、名前」
「あっ、あぁ! 僕はヒロト、よろしくね」
まだヒロトを警戒しているのだろうか、少ない口数で最低限の自己紹介を受け取ったヒロトは少しだけ呆けるもすぐに返す。
聞くべきか聞かないでおくべきか、当然ヒロトの優しさではベルカをそのまま見捨てることなどできず、ベルカとこのままその後を共にするならやはり知っておかなければならないことがある。
「ベルカは、どうして飢えていたの?」
「………」
やはり今は聞くべきではなかったのか、ベルカの沈黙を見てヒロトは後悔し、すぐに謝ろうとするがその間にベルカが口を開いた。
「────ハンターになりたかったの」
「!」
「友達もいない…………お母さんにも見捨てられてる……だから街でハンターになって強くなりたかったの……………」
「でも…………最初の採取依頼しかできなくて、自信なくした……!」
思いもよらない理由で街の路地裏で飢えていたことにヒロトは言葉を失う。
しかしヒロトとて弱者、ベルカの気持ちがよくわかる。採取の次にあの肉食モンスターを倒せだなんて無理難題は一人で到底達成できるはずがない、それをつい数時間前に痛い思いをして知らしめられたばかりだ。
同感、同情、そんな誰でも思いつくような言葉などではなく、ヒロトの気持ちは常人には計り知れない程にベルカの気持ちととリンクした。
───伝えなくてはならない。
ヒロトが最大限、ベルカを安心させてあげることが出来ることを伝えなければならない。
「僕も────ハンターだよ」
「えっ……」
ベルカを見つめるその目は優しく、慈愛に満ちていた。 その目を見るベルカの目は困惑、驚愕、期待、喜び。
決して、ヒロトに対するマイナスの感情は篭ってなどいなかった。
「お互い…………?」
「ハンター」
ヒロトを見るベルカの小さく、それでもハッキリと聞こえる声にヒロトは微笑んででそう答える。
それを見たベルカは震えながらヒロトから目を逸らし、自分の膝に視線を落として、小さく震える唇を開いて話し始めた。
「ベルカ…………故郷で虐待受けてた」
「───っ!」
彼女がボロボロだったのはただ単にハンターの自信を無くし、路頭に迷い挙げ句の果て飢えるほどに落ちぶれていただけではなかった。
よく見ればわかる、彼女の肩、鎖骨、腕、手の甲、見る限りすべてに痛々しいアザと傷跡が残っている。 ここからじゃ分からないがきっとお腹や背中にも同様のアザか傷跡があるだろう。
「人が怖い……誰かが怖い……貴方が、怖い」
そう言ってベルカは自分の手を自分で覆うように握り、一段と震え出す。 ヒロトから見てその光景はあまりにも痛ましく、この時の彼女はヒロトをまともに見ることが出来なくなっていた。そしてヒロトもまた、自分がどんな言葉をかけてやれるのか分からなくなってしまった。
(僕は─────)
───どうしたらいい?
───彼女に何をしてやれる?
弱い癖に、同じように落ちぶれる未来が待っているはずなのに、中途半端に持ってる食べ物と水を施して、その先に自分は何ができた?
ちゃんとした事なんて何も出来ないのに自分はなぜ、彼女を助けたいなんて上から目線で物を言えた?
自分はどうしようもない愚か者だ、とにかく全てが愚かしい。
(僕は、一人じゃ何もできない……)
───────────自分一人だけなら?
───もし、自分とベルカの二人だったら?
(本当にバカな事考えてるぞ、僕…………)
そうだ、自分ただ一人で何も出来ないだけの極めて自分勝手な理由で、ヒロトは彼女を自分の元へと引き込もうとしている。
それが到底許されることじゃないことは分かっている。
(それだけじゃない……ベルカは…………)
それ以外に、ヒロトには彼女と二人でいたいと思う理由が二つある。
一つ目は、ベルカを見ているとヒロトはどうしても一緒にいてやりたい、ヒロトの知らない過去が原因で人を信用することが出来なくなった彼女の心を、どうにかして癒してあげたかったというものだ。
上から目線の自分勝手な優しさだが、痛々しく震えるベルカを見る度にヒロトは黙っていられなくなり、ウズウズとする。
そしてそれ以上に大事なのは二つ目だ。
人の灯もない暗闇の中大量に降り続ける雨の中で、ベルカは自分の少し先を行った、そしてその果てでは全く同じ最期を辿るであろうと思える様な現状を話してくれて、自分でも中々に不謹慎だとは思えるが、その時にヒロトはベルカに 『運命』 というものを感じてしまった。
(最低だな、ほんと……)
───そしてヒロトは口を開き、こう言った。
「ねぇ、ベルカ」
「?」
「僕と────パーティーを組んでほしい」
「パー……ティー、ベルカと…………?」
ヒロトは言ってしまった。
たった一人の自分勝手な願いに他人を巻き込むその言葉を、本人に手を差し伸べながら。
その願いはベルカにとって奇跡の出会いか、それとも地獄への誘いか。 ヒロトの願いで二人で一つとなるならば、その行く末を決めるのもまた二人であり、運命である。
本来ならば採取程度の依頼で挫折しかけている二人が集まったところでなんら互いの行く末など変わらぬものだ。 だが、ヒロトはその事を分かっていながらも、どうも自分と相手ではそうはならないとなぞの自身が湧いている。
もしそうなれば正しく奇跡の出会いであり、それこそお互いが最高の相棒だが、自分を信じきっていないベルカの前ではこんな思いはただの自己中心的な思いだ。
「ベルカと……組むの?」
「僕は、ベルカと組みたい」
「信じられないよ……!」
そんな簡単に人を信じられる程の生き方をベルカはしていないらしい。 それも当然だ、母親に生まれてから虐待されてきていると言ったのだ、長年培われてきたその人間不信は簡単に拭えるものではない。
ヒロトは差し伸べた手を一旦下ろし、こう続ける。
「僕は他のことを君に求めない、ただ君と一緒にいたい」
「───どうしてっ!?」
食い下がるヒロトに耐えきれなくなったのか、ベルカは声を荒らげてヒロトに向かって叫んだ。 口をぷるぷると震わせ、瞳はガクガクと揺れて、首を振って感情を爆発させる。
「────君に運命を感じたっ!!」
「──ッ!」
わけがわからない、この男は一体何を言っているのか、運命? それこそ信じられるわけがない。 そんな真剣な目をされてもどうすればいいのかわからない。どうしてこの男はこんなに詰め寄ってくる?
───わからない
───わからない、
───わからない!!
「っ!」
「グフッ…………!」
今までの弱々しさが嘘のように、ベルカは地面を蹴ってヒロトの腹に頭突きを喰らわせ、路地裏から整備された道路へと走っていく。
「待って、ベルカ!!」
ヒロトの言葉は全力で街を駆ける少女の耳には届かず、どんどんその姿は遠のいていく。
走る少女のその目には、降り注ぐ雨粒に混じった涙が流れていた。