ビットソルジャー
この戦争は、初め人類に不利だった。しかし、世界中のプログラマーや、ハッカーが数多くのビットファイターを送り出し、戦いを続けていくうちに、「マザー」や「ウイルス」の性質や、特徴がわかるようになってきた。
もちろんだが、ラザフォード財団も、独自の調査と研究を行っており、その成果を逐次公開していた。
各国政府も、多額の予算をつぎ込んで、マザーに抵抗するものたちを支援した。特に米国は、政府とは別に軍も独自に部隊を編成するなど、総力を挙げて戦いに赴いていた。
次第に人類の攻撃は激しさを増した。マザーがいくら抵抗しても、次から次へとビットファイターを繰り出していく。また、ビットファイターもどんどん高性能化しており、次第にマザーを追い詰めていった。
この頃から、パイロットというものが出てきた。これまではプログラムした人物がそのままファイターを操縦してウイルスと戦っていたが、著名なゲーマーなどを中心に、プログラムはできないが、ビットファイターの操縦はできるというものが、この戦いに参加するようになった。
プログラマーは、ファイターを作ることは出来ても、操ることは不得手の場合も少なくなく、実際に戦うのは専門に任せる方が効率がいい。
少しづつ、人類の優勢に傾いていく。この戦いに負けたとき、人類はどうなってしまうのか? マザーにネットを完全に支配され、一切の自由は失われるだろう。ネットを活用し、最高までに高めた文明を、ふとマザーが現れて土台から崩壊される。その時、人類の負ったダメージは回復の見込みがないくらいに深く深刻なものであるはずだ。
——絶対に負けられない。そう、負けることは許されないのだ。
しかし、変化は突然に訪れる。ワールドに変化が起こった。
二〇六七年十一月七日、マザーは、ふたたびワールドを変えたのだ。
ワールドに「大地」ができた。虚無の空間ではなく、地面と重力の存在する空間へと変貌した。
これによって、すべてのビットファイターが使用不能に陥った。
最初、突然作動不能になった自身の愛機を目の当たりにした、ファイターのパイロットたちは、何が起こったのかわからなかった。しかし、目の前のモニターに映し出された奇妙な大地は、もはやこれまでに見慣れたワールドとは、完全に別物だった。
これにより、第一次オンライン戦争は終息することになる。人類は手も足も出ず、人類の敗北に終わった。
——こんな終わり方などあるか。まだだ。まだ、何かやり方があるはずだ。……ある、はず……なんだ。
オーストリア人プログラマー、エルンスト・クラウスは、この新しいワールドをしばらく眺めて思案していた。
彼は想像することがとても大好きな青年だ。学生時代から、いつも夢見心地の上の空で、そのせいで何度も教師から叱られた。
穏やかに流れるドナウ川のほとりに建つ自宅の窓から、どこまでも広いウィーンの青空を眺めていると、この世界にマザーと人類の戦いが繰り広げられていることなど、嘘ではないかと思えてくる。もちろんオンライン上のことなので、現実の世界にその戦いの様が現れている訳ではない。
しかし、現実の世界とは裏腹に、ワールドはとても奇妙な場所だ。クラウスのアクセスしているワールドは、渓谷のような場所だった。それも凄まじく大きな渓谷。その両側に広大な街が広がっている。谷底はどこまであるのかわからない。
しばらく思案したのち、クラウスは再びプログラミング作業を再開した。
マザーによってすべてを反故にされたことで、人類はふたたび一からやり直していかなくてはならなくなった。勝手極まる話だが、マザーの影響下にあるワールドでは、これを無条件で受け入れるしかなかった。
どうにか、この大地でウイルスと戦うことのできる「ビットファイター」を作り出すことはできないか――。何度となくワールドを解析し、ロウはどうなっているのか、一心不乱に調査した。しかし、明確な答えは出てこない。
重力下では、飛行するのではなく、地面を走行する方が簡単だという結論は出た。世界中のプログラマーがビットファイターを飛ばす方法を考え、様々な実験を繰り返したが、結局うまくいかなかった。空を飛ぶことは諦めて、陸を走る方向で研究が進んでいた。
ある研究機関が車輪を開発して、タイヤやキャタピラで走行する形状のものが開発された。いわゆる「戦車」をモデルにしたものだ。これを「ビットタンク」と呼んだ。
しかし、ビットタンクはすぐに困難に陥った。
新しい「ワールド」は、地形の起伏は凄まじかった。平坦な場所は思ったより多くなく、不整地にやってくるとすぐに進行不能になった。
やはり、脚を使った歩行ができるものが必要だ、ということになり、多脚歩行の技術の開発が急がれた。脚を使って歩くというのは、車輪よりも困難で長い時間と金をつぎ込むことになった。
冷たい風の吹き抜ける二〇六八年二月五日、オーストリアの首都ウィーンで、クラウスは二足歩行を成功させた。空想屋の彼だからこそ、自由な発想で、他の人が思いもよらないアイデアが浮かぶのだ。彼はその後、政府の研究機関に招聘され、そこでさらなる技術開発を進めることになる。
移動速度は大したことはないが、かなりの不整地でも余裕で侵入できた。一度目に見える形で出来上がると、以後の開発は順調に進んだ。クラウスはこの脚付きビットファイターを歩兵――ソルジャーと呼んだ。
これが「ビットソルジャー」と呼ばれるものとなる。
「ビットソルジャー」は、ファイターと違い、重力下を進む兵士だ。人間のように動き回ることは無理にしても、これまででは侵入が無理だったエリアにも入っていけるようになり、人類は再び優勢になる。