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最後の散髪

作者: 雫石野 想人

「で、君が叶えて欲しい夢はなんだね?少年。」

「もう一度、ヤスエさんに散髪してもらうことです。」

「良かろう、叶えてやる。一週間後、君の住む街の片隅にある川沿いの神社に行きたまえ。ヤスエが待っている」

そこで目が覚めた。ヤスエさんは僕が通っている高校の卒業生で、僕がいつも行っている散髪屋で働いていて、僕らはそこで知り合い、僕はいつもヤスエさんに散髪してもらっていた。

でも、ヤスエさんは一週間前、交通事故で亡くなった。

僕はそれを昨日、ヤスエさんが働いている散髪屋に行った時に店長さんに知らされた。

「ヤスエが待っている」その一言が、頭の中でずっと聞こえ続けていた。

そしてその夢を見てから一週間が経った。

僕の足は自然と、この街の川沿いの神社に向かっていた。

ジャッ、ジャッ、ジャッ、自分の足音だけが嫌に響いた。

その時、声が聞こえた。

「久しぶり。」

その声は何度も何度も耳にしたヤスエさんの声だった。

振り返ると、そこにはヤスエさんがいた。

いつものように仕事着を着ていたのは、事故に遭った時、仕事着だったからなのだろうか。

目の前にいるヤスエさんはとても、幻には見えなかった。

気づくと、僕はいつもの散髪屋にいた。

そこには僕とヤスエさんがいるだけだった。

次々と流れるように起こっていく出来事に僕の頭は情報の処理が追いつかない。

「さぁ、座って。いつも通り伸びた分だけ切る感じでいい?」

僕は言われた通り椅子に座って、「はい、お願いします」と答える。

ヤスエさんは僕の髪の毛を触りながら、いつも通り小さく微笑み、「だいぶ伸びたね」と言って、店の奥に行き、散髪を始める準備をし始めた。

鏡に映っている僕とヤスエさんがまるで幻のようで、でも現実のようで、夢を見ているのか、そうでないのか、不思議な感覚に襲われながらも、妙な安心感があった。

僕の髪が切られていく音が響く。

「一回シャンプーしようか。」

何を根拠にそう言えるのかは分からないが、ヤスエさんのその声は凄く甘かった。

さっきから僕は凄く不思議で温かい感覚の中にいる。

まるで起きていると自覚していながら、今見ているのは夢だとわかっているようなそんな感覚だ。

でも僕の髪を洗っているヤスエさんの手は生きていた時と変わらない感覚を僕に伝えていて、それでもうヤスエさんは死んでいると割り切ってしまうと、凄く悲しくなりそうだった。

いや、もっと悲しくなりそうだったという方が正しいのかもしれない。

シャンプーが終わり、ヤスエさんが僕の髪の毛をドライヤーで乾かしていた時、もうすぐこの時間が終わってしまうのかと思うと少しずつ涙が溢れてきた。

普段、泣こうと思っても、なかなか出てこないのに、まるで僕の心を察したようにどんどん溢れてくる。

「ちょっと、何泣いてるの?」

ヤスエさんは顔をくしゃくしゃにして泣く僕をそう言って笑った。

僕は何も答えられず、ただただ泣いた。

そんな僕を見て、ヤスエさんは僕の肩にそっと手を当てて、鏡に映る僕のくしゃくしゃの顔を見ながら、「ありがとう。」と言った。

僕がしばらく泣き続けた間に、散髪は終わっていて、ようやく涙が枯れてきた頃に、ヤスエさんは僕にタオルを差し出して、「ほら、これで顔拭いて。」と笑顔で言った。

気づくと、僕とヤスエさんはまた、神社にいて、ヤスエさんは僕に「そろそろ本当にお別れだね。」と言ったので、僕はまた泣きそうになりながら「そうですね」と答えた。

僕とヤスエさんは神社の入り口を流れる小川のところまで来た。

「止まって。絶対に振り向いちゃダメだよ。」

いつの間にか僕の後ろを歩いていたヤスエさんの声が聞こえ、僕は立ち止まる。

僕は後ろから抱きしめられていた。

「最後なの。これで本当に最後なんだよ。死んだ人間は特定の現世の人間とは一回しか会えないの。だから、君とはもう本当に会えないの。」

そう言ったヤスエさんの声にいつものような優しさは含まれていなかった。

「そうなんですか…」

気づけば僕の口からはどんどん言葉が漏れ出していた。

「僕、ヤスエさんと出会えて良かったです。ヤスエさんにとってはただのお客さんのはずなのにとても親切にして頂いて凄く嬉しかったです。ありがとうございました。」

それを聞くとヤスエさんは僕の耳元で囁いた。

「私も君と出会えて良かったよ。じゃあね。さようなら。そろそろ時間だ。」

僕のことを抱きしめていたもう一つの体温はどこかに消えてしまった。

振り向くと、そこには誰もいなかった。

でも、少なくなった髪の毛と僕の涙の跡は僕とヤスエさんが今日ここで出会ったことを証明していた。


一ヶ月後、僕はいつもの散髪屋に行った。

「本日担当させていただきます。徳山です。よろしくお願いします」

その徳山という女の人は凄くヤスエさんに似ていて、僕の頭の中にはあの日の出来事が思い出された。

「今日はどういう風に?」

徳山さんがそう聞いてきて、「いつもみたいに。」とヤスエさんによく言っていたのと同じ台詞を言ってしまい、「あ、いや、すいません。伸びすぎてるとこ切ってください。」と訂正したが、僕の口から漏れた台詞はこの身体のどこかで僕の感情を爆発させた。

そして、気づけば涙が溢れ始めていた。

徳山さんはすぐに気づき、「えっ、あの、どうかされましたか??大丈夫ですか?」と慌て始める。

「うっ…すいません。気にせず…気にせずに切ってください。」

僕の前の鏡には慌てる徳山さんと顔をくしゃくしゃにして泣いている僕の顔が映っていた。


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