声が聞こえる
「ネ~ク~ラ~ト~ロ~ス~ケェェェ~……」
大地の底から響いてくるような恨みの篭った声が目の前の鬼女から発せられていた。
僕は心底体を震わせながら恐怖に慄き、ガクガクと膝を震えさせていた。
気をしっかり持っていないと下半身からとめどない水が漏れだしてしまいそうだ。
「待ってたぞ。学校終わってからずっと……いつもどおりによォ?」
「あ、う、うん。お待たせ……」
恐る恐る答える。
ズダンと大地を踏みしめた葉玖良にビクリと背筋を伸ばした。
大地が振動したんじゃないかと思った瞬間だった。
「遅れるなら遅れると言ってほしかったなぁ……アァ? オイ!」
そんなことを言われても、葉玖良が勝手に待っているだけなので僕が知らせてやる義理はないと思う。怖いから口にはださないけど……
「どうして遅れていたのかなぁ? ネ・ク・ラ・ト・ロ・ス・ケ・君?」
片手で僕の襟首を掴み上げ、葉玖良が殺意に満ちた眼光で僕を射抜く。
「ま、学の……」
その名前だけで何かを察した葉玖良は、力を緩めると僕から離れた。
不安定な体勢となった僕はその場に尻餅をつく。
「なんでぇ、またあの黒魔術バカに捕まってたのかよ」
「あ、はは……まぁそんな感じ」
「嫌なら断わりゃいいだろ? ご丁寧に付き合わなくてもよぉ。そのうちあいつしか友達いなくなるぞ」
「大丈夫、葉玖良が居てくれるでしょ」
体に付いた埃を払いながら立ち上がる。
顔を上げると葉玖良が心なし赤い顔をしているように見えた。
「ば、バカかテメェッ!! 俺はテメェなんぞ友達だなんて思っちゃねぇよッ!!」
怒鳴るように言葉を吐きだし、一人勝手に家に向かって走り去っていった。
「葉玖良怒っちゃった。後で謝っとかないと……」
「ははは……青春してるな黙人君」
後ろから声が聞こえた。
誰かと思って振り返れば、赤井出京介。
沙耶さんの今の彼氏だ。
軽く赤く染めた髪を日に焼けたんですと言って生活指導の先生から黙視を勝ち取ったバスケ部期待の星だ。
「赤井出先輩……」
「ダメだな黙人君。ああいう場合は引き止めてキスの一つでもすりゃそのままラブホにレッツゴーっていうチャンス場面じゃねぇか」
「そ、そうなの?」
葉玖良に限ってそれはあまりにあり得ないシュチュエーションだろう。
葉玖良にキスなんてしようものなら屋上から命綱無しバンジージャンプや富士山頂強制生き埋め地獄。もしくは鮫のエサにされることだろう。
「ところで赤井出先輩はどうしてここに?」
「彼女待ち。鏑木のヤツ最近妙に遅いんだよな。部活入ってないくせによ」
「そ、そうなんですか……」
沙耶がくるというのならここにいつまでもいるわけにはいかないだろう。
二人っきりにしてあげたいからとかではなく、楽しそうに会話している沙耶を見ていたくないからだ。
僕は先輩に別れを告げて自宅へと向った。
僕の家は本当に目と鼻の先。
先輩と分かれて二分と経たないうちに家の玄関まで辿り着く。
外装は一般中流家庭の住まう家で二階建て。
一応屋根裏部屋もあるけど、物置になっているらしいので一度も上がったことはない。
玄関を開き、靴を脱いで施錠する。
そのままダイニングルームに足を伸ばして、冷蔵庫に保管してあったプリンを……
と、冷蔵庫を開けるが、目の前にくる位置に置いておいたはずのプリンは跡かたもなく消えていた。
「プリン……なくなってる……」
即座に閃く犯人像。慌てるように廊下の階段を駆け上がり自分の部屋へと滑り込む。
「おお、遅かったじゃねぇかネクラトロスケ」
案の定。葉玖良が部屋に侵入してプリンを食べていた。
僕と向かい合うように勉強机の椅子に反対向きに座っている。
まただ。いつもいつも折角買ったプリンが奪われる。
なんとかいろんな方法で隠したりしたけれど、なぜか僕の行動パターンを見透かしたように必ず葉玖良に奪われているのだ。
今日は意表を突いて冷蔵庫に入れたのに、なんで他の部屋探さず手にしてるんだろう?
まさか、家の中を監視されてたりするのだろうか? ちょっと怖い。
「ど、どうして葉玖良が?」
「いつもどおりそこの窓から」
と、勝手にだしてきたらしいスプーンをすぐ左側の窓に向けた。
窓の外には窓がある。常塚家の葉玖良の部屋の窓だ。
隙間は僅か20センチ程度。両方の部屋の窓さえ開いていれば、行き来することになんら不便はない。
「で、でも鍵は……」
「いつも開いたまんまだろ? 閉めてあるのみたことねぇぞ」
「そ、そうだっけ?」
おかしい。毎日夜には閉めてるはずなのに?
「そ、そういえば朝はどうやって入ったの?」
「あん? 姉貴の部屋からおばさんの部屋に入ってきたんじゃん」
ああ、そういえばあっちの窓開けたままだっけ? 今日から忘れずに閉めとこう。
多分朝のうちにこっちの窓のカギを開けておいたのだろう。
明日からは戸締り念入りにして無断侵入を防がねば。
「さって、プリン食べたし今日の夕飯買いでも行くか」
空になったプリンの容器を机の上に無造作に置いて、窓を開けて自分の部屋に戻る葉玖良。一体何しに来たんだあんたは?
葉玖良の出て行った後に窓をしっかり施錠して、僕はベットにへたり込むようにして溜息を吐いた。
葉玖良に迷惑だなんて言えるわけもない。
せめてできるのがこうやって施錠するくらいだ。
それも、強く攻められると僕には否定することはできない。おそらく明日に葉玖良が理不尽な怒りで窓開けとけとか言って来て、僕はそれを了承するだろう。
分かっていながらも避けられない結末に、自分の意思の弱さを呪ってしまう。
強くなりたいわけじゃない。
目立ちたいわけでもない。
ただ、言いたいことをはっきり言えるようになりたい。
思うだけじゃなく。口に出すだけじゃなく。行動できるぐらいの勇気が欲しい。
でも、実際には結局思うだけで、主張することも行動する気も起きはしない。
机の引き出しから、ノートパソコンを引っ張りだして机の上に置く。
コードを繋げて鬱な気分を振り払うためにいつものようにゲームに没頭しよう。
パソコンが立ち上がるまでの間に私服に着替え、椅子に座ってゲームを開始する。
フリーゲーム。民間の人が流している無料のゲームで、ネットからダウンロードしたものの一つだ。
すでに何時間かプレイ済みで、あと少しでクリアといった場所まで来ているので、あと一時間も掛からないだろう。
『おもしろいの、それ?』
「うん、結構面白い。まだ六話目までしかでてないけど……」
慌てて周りを見回した。
僕は一体誰に返事したのだろうか? 僕の周囲には誰も存在せず、音を発するようなものも見当たらない。
しばらく探した後で首を捻りながらゲームを再開する。
『ところで、そろそろはじめたいんだけど』
ゲームへの集中力を途切れさせるように、声が聞こえた。
一度目は空耳だと思えても、二度も聞こえたなら空耳だとは思えない。
はっきりと、したったらずな女の子の声が聞こえた。
「だ、誰? どこにいるの?」
『どこ? ……ここ。すぐそばにいるよ?』
慌てて立ち上がる。体を捻って周りを見るけど、やっぱり誰もいない。
葉玖良が遊んでいるのかと窓の外を見てみるけど、葉玖良は既に買い物に出てしまったらしい。
声は聞こえるのに誰もいない。
「ど、どこに?」
得体の知れない声に恐怖感が募る。ゴクリと喉が鳴った。
『ここだよ。こ・こ』
くすくすと笑い声まで聞こえだした。
まるで都市伝説のメリーさんにでも遭遇したような気分だ。
声がするのに相手の姿が見当たらない。
『わからない? う・え・だ・よ。う・え』
上?
言われて見上げた天井に、本当にそいつは居た。
登場人物
新見黙人
ネクラトロスケと呼ばれる引っ込み思案な少年。
常塚葉玖良
黙人の隣人。姉と二人暮らし。
何かの訳ありで姉妹共に髪の色がエメラルドグリーン。
成績優秀三つ星料理と才色兼備だが毒舌。
常塚神楽
黙人の隣人。妹と二人暮らし。
何かの訳ありで姉妹共に髪の色がエメラルドグリーン。
家事は得意だが料理は壊滅的。学食に勤め始めた時に作ったラーメンが校長の眼に止まり半永久的に学食で働くことに。
素本学
黙人の友人。
小学校高学年の頃一週間行方不明になり、魔王崇拝者として覚醒した精神異常者。魔王のためなら命も惜しくない少年。
鏑木沙耶
黙人の憧れの人。
隣のクラスの少女で彼氏あり。
神楽ラーメン崇拝者の一人。