6 純白ジェダイト
夏。
燃え盛る夏。
とはいえピークはもう通り過ぎて、焼け焦げるような熱さも融け落ちるような暑さも収まってきた。具体的な時期で言えば、学生達の夏休みもそろそろ終わるような頃だ。
それに合わせてこの町では、納涼の意味も兼ねて夏祭りが行われる。下の町にある大きな河の河川敷で盛大に開かれ、夜には花火も上がる。
例年若者やカップルで賑わうため、周りの空気というかそのテンションについていけないうえ、上の町住まいの俺にとっては会場がちょっと遠いので、いつもは自分が行くという気などまるで念頭になかった。
だが、今年は違う。奮い立つ気持ちは湧き起こり、かつ沸き立っていた。
なんと、黒鶫さんと一緒に夏祭りに行く!
……つもりだ。まだその話を持ち掛けてもいないが、もし一緒に行けたら、
行けたら……。
黒鶫さんに、告白しようと思っている。
発想が完全にガキのそれだが、俺には気の利いたことなんて思い付かない。夏の暑さにやられ、花火や若者達の勢いに押され、素面では口に出せぬこの思いもいっそ踏み切れるのではないかと目論んでいた。
そしてその夏祭りの開催は明日の夕方からだ。
前々から誘おう誘おうと思ってはいたのだが、 如何せんこの歳で初めて恋心が芽生えた経験値ゼロの初心者なので、誘い方ひとつわからない。
だがタイムリミットはすでに直前まで迫っている。
諦めるよりはずっと良いだろう、不自然でもいい、砕けてもいいから当たろうと思い店まで来た。
そして今、黒鶫さんがアイスコーヒーを作ってくれると言うので椅子に座って待っていた。
「おまたせー! はい、アイスコーヒー!」
「どうも、ありがとうございます」
俺にグラスを渡す流れでそのまま隣に座る黒鶫さん。これといって距離が近いわけではないが隣というだけで意識してしまう。
問題はいつ言うか、だ。俺は本当に未経験の初心なのでタイミングというものがさっぱりわからない。とりあえず、わからないなりに見えない機を待つとしよう。
「あとね、クッキー焼いてみたんだけどよかったらどうぞ」
「え、ああ、えーと、クッキー? 手作りの?」
「うん? そうだね、手作りクッキーだよ。足では作ってないね」
手作り。異性から手作りのお菓子なんて貰ったことないから少し面食らってしまった。そんなものを俺が食べていいのか。
小さなバスケットの中に並べられた、500円玉大のクッキー。シンプルだけど可愛らしい見た目で、焼き色も綺麗だ。
「じゃあ遠慮なく、いただきます」
黒鶫さんが手で作ったという特別オプション付きの円形の薄力粉を噛みしめる。さくっ、と軽い音を立て、口の中に甘さが広がって――
「……どう?」
「おいしいです! ちょうどいい焼き加減で甘くて香ばしくて、それに――」
「それに?」
「黒鶫さんが淹れてくれたコーヒーとよく合います」
「あはは! それは良かった!」
このクッキーは確かにコーヒーとよく合う。
本当によく合う。
むしろコーヒーがないと食べられない。
めちゃくちゃ甘い。
いくらなんでも広がりすぎだ、口の中に甘さが。
小麦粉と砂糖を間違えたという展開だろうか。この甘さなら小麦粉の代わりに砂糖が使われていても不思議じゃない。じゃあなんだ、彼女は小麦粉と砂糖ではなく砂糖と砂糖を入れたって言うのか? まさか砂糖を入れた次の過程で砂糖を? なんだそれお茶目すぎる、駄目だ甘すぎてパニックになってきた。
それにしてもこういうの器用そうなのに、珍しいな。
「これ、よかったら全部あげるよ。まだたくさんあるし」
たくさんあるのか。なんか変な汗が出てきた。夏だからかな。
ここでは食べきれないのでラッピングしてもらいました。家でゆっくり食べよう、大量のブラックコーヒーとでも一緒に。
さて、飲み物を飲み終えるまでには覚悟を決めようと思っていたのだが、クッキーの威力が強すぎてコーヒーは一瞬にしてなくなった。人間って甘いものを食べた時にも汗が出るんだとかいう神秘を感じてる場合じゃない、どうしよう。
「さーてと、じゃあそろそろ仕事に戻ろっかな」
そう言って彼女は立ち上がる。まずい、このままではそれじゃ俺もこのへんで、というオチで終わってしまう。
「待って!!」
しまった、と思った。
焦るあまり、つい声を張り上げてしまった。
「びっくりした。どしたの?」
「あ……えーと……」
やばい、なんて言おうか考えてなかった。呼び止めておきながら、咄嗟に言葉が出てこない。
「えー、と……黒鶫さんは、明日、下の町で、夏祭りが、行われるって、ご存知ですか」
途切れ途切れになんとか言葉を絞り出した。
「んー、夏祭り……? あー! 花火とかも上がるおっきいお祭りだよね! 知ってるよ」
「それで……あの、最近暑いですし避暑というか、河の近くで涼しいし、花火も綺麗らしいし……えーと……」
「ん? ごめん、なんて言ったの?」
だんだん声に力がなくなっていく。
くそ、もう言葉なんか選んでられるか!
「い、一緒に夏祭り行きませんか! 黒鶫さんと花火が見たいです!」
言ってから少し後悔した。
この言い方じゃ、そんなの『なんであたしと?』ってなるに決まってる。案の定黒鶫さんはきょとんとした顔で俺を見つめていた。そりゃそうだ。
俺の顔をじっと見ること数秒。
俺から目を逸らし、空に視線を送ること数秒。
目を瞑り、黙り込むこと数秒。
そして目を開き、真剣な顔になること数瞬。
直後、彼女は目を合わせてこう言った。
「いいよ。行こう」
俺に、春が来た。夏も終わりだけど。
***
誘いに対してオーケーが出たことも驚きだが、その後の展開にも仰天だった。だいたい誘ったと言っても、一緒に行きたいという純粋な願望を彼女にぶつけただけだ。
それなのに、為すがままに身を任せていたら彼女のメールアドレスと電話番号が手に入っていたのである。ベッドの上で、ケータイを見つめながら昨日の彼女の言葉をぼんやりと思い出す。
いいよ。行こう。でもあんまりお店空けたくないからあたし達は夜から参加しよう。日が暮れたらお店閉めるから、それから行こう? 花火には間に合うと思うよ、そうだ、お店閉める頃になったら連絡するから、メアド交換しようよ、あとついでに電話も。よし、それじゃ明日連絡するね!……
俺が呆けている間にどんどん事が運ばれていった。
なぜ、こうもあっさりと承諾を得ることができてしまうのか。普通、色々とステップを踏むものじゃないのか。知らないけど。
メアドとかもこんな軽々しく教えていいものなのか?
もしかして、アリなのか? アリなのか!?
恋愛なんてろくにしたことがない、だから感情の機微なんて全然わからない。でも、嫌われてはいないはずだ。そう思いたい。
とかなんとか考えてる間に、すでに当日の夕方。いつ連絡が来てもおかしくない時間だ――
直後、手に持っていたケータイが歓喜の声を代弁するみたいに音を上げた。もう確認するまでもないが、はやる気持ちを抑えて届いたメールに目を通す。
予想とおり、あるいは希望とおり、そこには黒鶫さんの店を閉めた旨を伝える内容が記されていた。
来た……ついに来た……!
緊張感なのか高揚感なのか、入り交じる気持ちと胸の高鳴りを抑えきれなかった。心臓も体も飛び出すように、衝動のまにまに家を出て、走った。