5 遮光ダイヤモンド
黒鶫さんの言葉を受けて以来、大義名分が立ったというか、用の有無にかかわらず店に足を運ぶ勇気ができた。
密かに調べた結果、開店と閉店の時間、つまり黒鶫さんの起床と就寝の時間も大体わかってきた。ストーカーではない。
休憩を入れるタイミングも調査済みなので、最近はその時間に合わせて店に訪れたりもしていた。ストーカーではない。
それでなんとか、縁が切れないようにと保った。
そんなことをしているうちに時間はどんどん過ぎていった。
***
「ふう……」
青空の下、正確には青空の下にある森の中。
俺は今、店の外で木を切っている。なんでそんなことをしているのかというと、
「琥珀くん! こっちの木もお願いできるかなー!」
「任せてください!」
店の手伝いとして黒鶫さんに接近するためだ。今は頼まれて材料となる木を切り出している。商品として家具のラインナップを増やしたいそうだ。
「こんなもんでいいですか?」
「うん! これで当分は困らないよ、ありがとー」
俺は彼女の気を引こうと必死だ。
恋愛事に疎く、周囲に異性が溢れていた学生時代でさえ、必要以上には女の子に話し掛けることもしなかった。その俺がこんなにも積極的になるなんて。不思議なものだ、人生は何があるかわからない。
「待ってね今アイスティーでも淹れ――違う、茶葉切らしてるんだった。ごめんねすぐ買ってくるよ」
「あ、そうなんですか。俺も一緒に行きますよ」
さすがは最近の俺だ、形振り構わずぐいぐい突っ込んでいく。
「え? 別にいいけど、なんで?」
「なんでって、それは……もちろん」
あなたが好きだから。
「あんなにおいしいお茶をどこで手に入れてるのか気になって」
「あはは! あれはお茶の葉も良いけどあたしの淹れ方が上手いんだよ!」
「はは、そうでした」
心の中で呟いた。
心の中っていうのは本当に便利だ。いくらでも好きだと言える。
便利なくせに、役に立たない。だって伝わらないから。
「ところで、どこに買いに行くんですか?」
「んーとねー、いつも色彩の丘の麓にあるお店で買ってるの」
ああ、そういえば俺が黒鶫さんと初めて出会ったあの時も、彼女が茶葉を買ったその帰りだったっけ。わざわざ買いに麓まで下りてるんだな。
色彩の丘を下りてすぐ。森と同化するようにしてぽつりと1軒、現れたのはいかにも老舗という佇まいの店だった。外観だけなら黒鶫さんの店も負けていないが、総合的に見てこちらはそれ以上だ。この店構えなら創業100年だと言われても疑わない。
本当に下りてすぐの所だった。色彩の丘までの道のりは一本道だし、わざわざここまで来なければこの店とは出会えない。黒鶫さんの所もそうだが、ちゃんと客は来るのだろうか。
一見の客には躊躇われるであろうその暖簾を、黒鶫さんは常連らしく堂々とくぐる。
「こんにちはー! 金剛さんいるー?」
俺も黒鶫さんに続いて入る。
ふわっと良い香りが漂ってくる。茶葉の香りだ。色んな匂いがするけど、紅茶の甘い香りが特に際立って感じられる。
どこかで嗅いだことのあるような……ていうかこれ、黒鶫さんの匂いじゃないのか。ああいや違う、黒鶫さんの店の匂いだ。
なんて気持ち悪い妄想をしたところで、黒鶫さんの店にも茶葉が置いてあるんだし、そもそもここで買ってるって言ってるんだから同じ匂いがするのは当たり前だと自粛した。
店内を見まわしてみる。外装とは違い、感じの良い内装だ。古臭いと言ったらそれまでなのだが、どこか趣のあるレトロで小洒落た感じが悪くない。
壁には一面に無数の引き出しがあり、足下の高さから天井までびっしりと埋め尽くされていた。よく見ればそれぞれにラベリングが施されていて、どうやら種類ごとに茶葉が分類されているらしい。これだけの数があるならこの香りにも納得だ。
「はいはい、お待たせ、黒鶫ちゃん。今日はどれ?」
黒鶫さんの声に呼び出され、奥から現れたのは紳士な雰囲気の優しそうな男性。
「えーと、アイスティーを作りたいんだけどどれがいいかな?」
「アイスティーか……ならダージリンかな」
「じゃあそのタンバリンをどばっと欲しいな」
「はいはい、黒鶫ちゃんどう? お店は」
「そうだねー最近は……」
楽しげに話す2人。その会話に入り込むことができず、どことなく疎外感を味わう。なんだろう、なんかこう、胸の奥が……。
俺の存在に気が付いたのか、金剛さんと呼ばれるその男がこちらを向いて目を合わせてきた。
「ん……? 彼は?」
「え? ああ! 紹介してなかったね忘れてた! この子は琥珀くん! うちの常連客でお店のお手伝いもしてくれる良い子だよ!」
良い子、か。黒鶫さんの中ではそういう評価なのだろうか。
「……どうも、鵲 琥珀です」
正面に向き合い、手を差し出す。
彼の前に臨んでみると俺よりもだいぶ背が高いということがよくわかるし、俺よりもだいぶイケメンだということがよくわかる。
「僕は白鷺 金剛。金剛でいいよ。よろしくね」
握手。意地が悪いのでわざと強く握ってやった。
「金剛さんはね、あたしと営業仲間? みたいなものかな。お店を始めたのがちょうど同じぐらいの時期だったの」
同期……と呼ぶかはわからないが、なるほどそれでこんなに仲が良さげなのか。
「僕が今35歳なんだけど、始めたのは……今から7、8年ぐらい前かな」
この人30超えてるのか、20代だと思ってた。随分と若っぽい顔立ちだな。爽やかなイケメンという表現がしっくりくる。
そういえば黒鶫さんは27……今年で28だっけ? 金剛さんと同時期だとすると、ハタチぐらいからあのお店を営業してることになるのか、すごいな。
「それでね、金剛さんはここ『白鷺喫茶』で茶葉とコーヒー豆を専門に販売してるの」
喫茶? ここ、喫茶店なのか? レトロな雰囲気が風流ではあるけど、飲食を提供している様子はない。
「喫茶といっても僕はやってないんだけどね、今はただ販売だけだよ」
『僕は』? 『今は』? どういうことだ?
「……先代がやっていたんだ、僕の祖父がね。お互い2代目ということもあって、黒鶫ちゃんとも協力――」
「金剛さん!」
急に黒鶫さんが金剛さんの言葉を遮って打ち切る。
冷たく鋭い声。
「この話、おしまい」
俺はちょっと恐ろしかった。だって、彼女がこんなに冷ややかで凄みのある声を出せるなんて思ってもみなかったから。
怒っているわけではないのはわかる。怒りじゃない、でも彼女の声からは激情を感じた。
俺や客へ向けるようなあのにっこりスマイルも、友人に見せるかのような朗らかな笑いもなく、強きひとりの人間の、確固たる思い。揺らがぬそんな感情が伝わってくるのだ。
「……ごめんよ。……これ、ダージリンね。淹れ方はわかる?」
「うんわかる。それじゃ、ありがとね。また来るよ」
黒鶫さんは購入した茶葉を受け取ると足早に店を出てしまった。どうもこの話はしたくないようだ。
帰り道、なにかあったんですか、と訊きたくはあった。黒鶫さんのことをもっと知りたいから。
だが、いつもお喋りな彼女の無言の背中を見ると、そういうわけにもいかなかった。
いつものように活力に満ちた明るい雰囲気と、あどけなさの残る女の子らしい仕草、それから大人の知性と品性を垣間見せる立ち居振舞い……そのどれもが、今は見えない。
喋ってくれない。振り返ることすらしてくれない。黒鶫さんは今何を考えているのだろうか。
金剛さんは『お互い』2代目、と言った。
お互い。
金剛さんと黒鶫さん。
つまり、黒鶫さんにも先代がいたんだ。確かに黒鶫さんの店も金剛さんの店と同様、見てくれはかなり年季が入っている。ハタチそこらで店を持ったという話も、誰かから受け継いだとなれば合点がいく。
そして彼女の反応から考えるに、その人は彼女にとって大切な存在であったが、今は姿を消したとか、あるいは亡くなったとか……。
いや、すべて憶測だ。いずれにせよ、俺が掘り返していい話じゃなさそうだ。
そしてこの時、関係のない話なのだが、俺はふと思った。先代がいて、昔から店があって――俺がじいちゃんと色彩の丘に来ていた当時、つまり20年前にも店は存在していたのだろうか、と。
会話のないまま黒鶫さんの店に戻ると、さっきまでの空気が嘘みたいに、タンバリンでアイスティー作るから待っててね! と打って変わって明るく笑おうとする彼女。
時々忘れるけど、ああ、この人はやっぱり大人なんだな、とあらためて思う。
強い声だった。しかしどうしてだろうか、強さの反面、どこか脆そうに思えた。ひとたび亀裂が入れば崩れ落ちてしまうような、不安な頑強さを感じてしまったのだ。