3 発光アンバー
ヒュルルル……
……今の鳥の囀りは聞こえたかい?
私が個人的に好きな鳥でね……小さくても可愛くて、健気で、綺麗で美しい……
あの鳥の名前は――
「――っ、はっ!?」
止まっていた心臓が動き出したかのように、唐突に目が覚める。辺りは静まり返った闇の世界になっていた。
「……あ、ああ……寝てたのか、俺……」
なにか、夢を見ていた気がする。たわいのない、だけど俺の中では大切な意味を成すような、そんな夢を……。
……駄目だ、思い出せない。
それにしても、ぐっすり寝てたみたいだな。もうすっかり暗くなってしまった。
暗い、とは言っても遮る物もないおかげか月明かりで充分明るい。じいちゃんとは夜に来てたらしいけど、これなら問題なく景色を楽しめただろう。
さて、急ぎの用はないけど明日もバイトがある。そろそろ帰るか。
ふと、丘の入り口に目を遣ったその瞬間。
人影だ。
ふらりと迷い込むように誰かが入って来るのが見えた。思わずその場に身を伏せて遠目から動向を観察してしまう。若い女の子だ。片手にビニール袋を提げ、身軽な格好をしている。
一応ここは観光スポットや名所のひとつに含まれる場所だろうから、いついかなる人が来ようともおかしくはないが……そうは言ってもそこまで大々的に取り上げられるほどの場所でもない。
この時間に、女の子が1人で?
心配というよりはむしろ不穏を胸に抱いていた。
するとその女の子は俺が今いる展望場所の方には近付かずに脇へ逸れて、この丘をぐるりと囲う森の奥へと消えていった。
え……? おい、どこへ行ったんだ。
丘の出入り口は今しがた彼女が入って来た1つしか存在しない。観光する所も丘そのものと展望場所以外には何もない。
なら彼女はどこへ? 何のために森の中に?
まず、真っ先に思い付いたのがあの子が霊的な存在だという線。
次に、現実的な話で自殺、あるいはなにかしらの犯罪目的。
あとは、俺の知らない秘境スポットが森の奥にあるとか……。
結局、好奇心や怖いもの見たさからなのか、俺は女の子の跡を追ってしまった。
意を決して森の中へ足を踏み入れたはいいが、生い茂った木々のせいで月明かりもろくに届かず、どう進むべきか道がわからない。先に行ったはずの女の子の姿はすでになく、文字どおりの暗中模索で見当も付かないまま直進してみる。もしこの先が複雑な地形になっていたら完全にアウトだ。女の子を見つけられないどころか、俺が遭難する可能性すらある。
暗闇の中をさ迷っていると、前方にぼんやりと灯りが見えてきた。
「あ、良かった……。民家……」
……では、ない。廃墟……?
普通の家よりはひと回り大きい。縦横に数部屋、小さめの屋敷か館といった感じの建物が現れた。だがずいぶんと朽ちて見える。人気は感じられない。
近付いてみると、1階正面の入り口の上に小さな表札があり、可愛らしくレタリングされた文字で何か書いてあるのが見えた。
-lapiscarlet-
「ら……らぴ……?」
「おーい」
「うわあっ!?」
耳元で後ろから突然聞こえた声に思わず飛び上がる。
「なにぼーっと立ってるの? 怪しいよ?」
「え、あ、あの」だ、誰だこいつは?
よく見ると手にビニール袋を持っている。あ、もしかしてさっきの女の子か……。なんで俺の後ろに。ていうか君も充分怪しいんだが。
なんて思い巡らせながらじろじろと観察していると、彼女は軽く溜め息混じりに呼気を吐き出し俺の体を両手でぐいぐい押した。
「ほら、入って入って」
「え、え!?」
このままでは建物と挟まれて潰されてしまうので仕方なく目の前の扉を開ける。するとそこに部屋はなく、地下へと続く階段が待ち構えていた。
「暗いから足下気を付けてね」
「え、お、下りるのここ……?」
足下には常夜灯のような薄明かりが点いていたが、それでも不気味に暗い。
「うん、下りるよ。あれ、お客さんじゃないの?」
え? 客? ここ、店なのか? ていうか君はなんなの?
階段を下りきるとまた扉。しっとりと色味のない扉だ。
正直、めちゃくちゃ怖かった。
だってこの扉の先に祭壇か何かがあって、よしんば闇の儀式が行われていたとしてもなんら不思議ではない佇まいなのだ。後ろで急かす彼女も、実は供物へと捧げる贄を求めて夜を彷徨する魔女だったと言われても信じてしまいそうだった。
仕方ない。悪魔の気を逆立ててはいけない、腹を括ろう。
覚悟を決めて扉を開けると――
「……え?」
明るい雰囲気の可愛らしい店だった。
暖色系の色調で揃えられた内装。柔らかい照明。陳列する木の棚。訳のわからないこんな状況でも、なんとなく落ち着ける雰囲気を醸し出していた。悪魔に命乞いをする心持ちでさえいた俺には、なんだか拍子抜けだった。
「なんだここ、雑貨屋……?」
「うーん、雑貨屋さんとはちょっと違うんだよねー。グッズショップ? いや、家具とか本も売ってるからそれも違うかな。んー、わかんない! なんでも屋さんかな!」
「君は……お手伝いかなんか?」
「いやいや、あたしはここの店主だよ。自営業です」
は……? 店主!? この女の子が?
「き、君、失礼だけど年齢は?」
「いくつに見える?」
知らねえよ。「……ハタチ、とか?」
お世辞を言ったつもりはなく、正直に答えてそれぐらいだ。
「おお~。そんな若く見えるんだ~嬉しいなあ。でも残念、あたしそんなに若くないよ、27歳です」
年上!? 俺が25だぞ。
でも確かに言われてみれば、童顔ではあるけど体つきは大人のそれだし、堂々としてるし、胸もけっこう大きいし……。
「まあまあ、そんなことはいいよ。せっかくだしゆっくり見てって?」
本当は色々聞きたいこともあるけど……まあ、彼女の言うとおりせっかくだ、ちょっと見てまわるか。
店内はあまり広くはなかった。ただ、商品の並ぶこの部屋の奥に別個に設けられたスペースがあるのが見えた。
それから、レジカウンターの真後ろと横に扉がある。ここで生活しながら商売してるのか。
見てまわったところ、本、文房具、家具、小物、アクセサリーやストラップ、それ以外にも色々……。本当になんでも屋さんのようだ。
木の椅子もある。そうだ、家の椅子壊れたんだっけ。またどこかに改めて買いに行くのは面倒だし、どうせならここで買うか。
「じゃあこれください」
「はいはーい、ありがとー!」
ふと、特徴的な装飾のストラップが目に留まる。これは……。昨日、夕方にコンビニ付近で見かけた女子高生達がカバンに付けていたものと同じものじゃないか?
彼女達の会話を記憶の中から掘り起こしてみる。おぼろげだが、お化け屋敷みたいな所で買ったとかなんとか言ってた気がする。もしかしてこの店のことだったのか。
近所の女子高生が訪れるくらいだ、案外、場所と店構えが変なだけで普通の店なのかもしれない。
「あっそうだ、さっき紅茶買ってきたの! すぐ用意してくるね、部屋の奥にちょっとした休憩スペースがあるから座って待ってて!」
言うや否や彼女はすぐにレジ横の部屋に入って消えた。元気というか、テンションが高いというか……。
ひと続きの部屋の奥には特別に空間が設けられ、パイン材の丸テーブルとそれを囲うように数脚の椅子が置かれていた。そしてなぜかテーブルの中央には透けて見える素材のガーデンパラソル。これ、あれだ。カフェテラスのセット一式だ。ここ思いっきり地下なんだけど。
「お待たせー! はい紅茶! るーず……ろーず? えーと、お尻?」
言われたとおり座って待っていると、彼女がトレイを手にこちらへやって来た。尻?
「……ローズヒップ?」
「ああそれ! 物知りだね」
もしかしてこの子ちょっとアホなのか。
「どうぞ。飲んで飲んで」
透明のティーカップからは湯気が優しく立ち上り、綺麗なルビー色が透き通って見えた。
「じゃあ、いただきます。……ん、いい香りですね。おいしい」
「そう? あたし紅茶とかコーヒー淹れるの上手いからね!」
それ自分で言うのか、とツッコミたくなったが本当においしい。素直に誇っていいレベルだと思う。
「ここ、人来るんですか?」
「そうだね、知る人ぞ知る! って感じだから誰でもってわけじゃないけど、来てくれる人はそれなりに来てくれるよ」
「昨日、ここのストラップをカバンに付けてる女子高生達を見掛けました」
「おお~いいねいいね、あたしの店はにょうりゃくにゃんろに愛される店だからね!」
親指をびしっと立てて渾身のキメ顔。残念ながらセリフは噛み噛みだ。
「……老若男女ですね」
「ろう、にゃく、なん、にょ……それそれ」
指折りしながら四字熟語を復唱する彼女。紅茶を飲みながら、それとなく彼女の外見をあらためて観察する。
ちょっと長めの黒髪ショート、ふわりとして内巻き外ハネで緩やかにカールが掛かっている。
目はくりっとしていて小動物のようだ。あどけなさが前面に現れている童顔は、天真爛漫そうな性格と相まってとても年上には見えなかった。
……名前、なんていうんだろう。でも初対面だし店の人の名前聞くのも変だよな。
ふと視線を落とすと、都合良く胸元にネームプレートが付いているのに気が付いた。ラッキー、これで名前がわかる――
『黒鶫』
……く、くろ……? 読めない。なんて読むんだこれ?
「どこ見てるの?」
「えっ、ああ、すみません」
「いや別にいいけど、ムズカしい顔してあたしの胸見てるからさぁ。わかった、さてはあたしの胸のサイズを測ってたな! えっちだなあ、Dだよ」
「いやっ、そういうわけじゃ……」どうでもいいけどでかいな。
「じゃ、何? どしたの」
「その……名前が知りたくて。あなたの名前はなんていうんですか?」
やべ。面と向かって、しかもこんなかしこまって名前を訊くなんてちょっと恥ずかしい。
「名前? あたしの? このお店を切り盛りしてる黒鶫ですあらめてよろしく」
「くろつぐみ……さん」
すると黒鶫さんは急にぷっと吹き出した。
「なんでさっきから微妙に敬語なの? 普通に話せばいいのに」
「えっ、でもほら、年上だし」
「ああ年下なんだね。そういうの気にするんだ? それで君の名前は?」
……ん? 俺?
一瞬、自分が質問されていることに気が付かなかった。客の名前なんか聞くのか。
「鵲 琥珀です」
「琥珀くん! 覚えた!」
食い気味に俺の名を呼ぶ。うわ、下の名前……。家族と紫苑以外に呼ばれたことないぞ。
「……じゃあ俺、このへんで。紅茶おいしかったです、ありがとうございました」
「うん! このお店は基本的にあたしが起きた時に開いて、寝る時に閉まるからよろしくね。今日はありがと! また来てね、琥珀くん!」
「……あんなとこに、店なんかあったんだなあ……」
暗い夜道をひとり歩いて帰る。抱えた木の椅子が、今日の出来事が夢ではないと語っている。
俺は友達が少ない。
男だって紫苑ぐらいしか思い付かないし、女友達なんてろくにいない。
無論、女の子との交際はおろかまともに恋愛した経験もない。
社交辞令だってわかってる。営業スマイルだってわかってる。でも、だけど。
馬鹿な話だろ。こんな一瞬で彼女を好きになった。