1 無色アンバー
新しく始めた連載です。
タイトルは『るりひいろのひかり』と読みます。
よろしくお願いします。
柔らかな光と優しい熱が包み込む、真昼間の太陽の下。
遠く町並を見渡せる、そよ風の心地良い小高い丘の上。
辺りは鮮やかな緑の色彩。
見上げれば抜ける青。
俺は今、心のどこかで満たされていた。
これで良かったのか、これが正しかったのか、わからない。だけどそれでいい。最善も最良もきっとない、これでいいんだ。
目の前の光に手を伸ばし、掴んで引き寄せた。その光は温かに、強かに、そして確かに――手の中で、胸の内で輝いて見えた。強く握り締め、俺は前へ進む。“世界”を作り、明日へ、未来へ向かって生きていく。
やっと見つけた、俺の光――
***
俺はまだ、自分の生きていく目的も目標も、自分が生きている意味さえもわからないままだった。
大学を出て3年。正規雇用が勝ち取れなかった俺は、卒業後は非正規の枠に入り込み仮の職で働いてきた。
収入は悪くない。良くもないが。慣れや惰性というのもあるし、それなりにうまくやっていれば困ることもそうそうない。それも複数の掛け持ちをしているからなおさらだ、首が回らなくなる非常時なんてめったにやってこない。
こんな形でも、今は比較的安定した生活だと思う。
でも、これでいいんだろうか。
これが俺の生きる道なのか? 他にやるべきこと、やらなければいけないことが、あるいはやりたいことが本当はあるんじゃないのか。
そんな考えがこれまで幾度となく頭の中に浮かんではすぐに消えていった。今までがそうだったように、考えたって答えは出ない。
そうやって時は過ぎ、25年も人生が終わってしまった。
***
「はあ……ただいま。今日の分は終わり、っと」
日の沈む夕方、溜め息と共に家に入る。
オレンジの西日が窓から差し込み、誰もいない部屋を律儀に照らしていた。
どこか埃っぽい家具。古ぼけた壁。縛られて並んだゴミ袋を一瞥する。
さながら禊か儀式のように形式的に手と喉を清め、くるくると回って排水口へ流れ込む水を意味もなく眺める。
久しく使われていないシンクは空っぽで、その横には背負うはずだった重荷を肩代わりするみたいにうず高く積まれたゴミ箱があった。それも指定の袋に詰め込み縛って同じ場所にまとめると、夕焼けを見ながらもうひとつ溜め息を吐いた。
明日は日曜日か。いつも日曜にバイトは入れてない。今日はもう夜にバイトはないし、飯食ってシャワー浴びたらすぐ寝よう……。
と思ったら冷蔵庫に食べ物が何もなかった。帰宅してから本日3度めの溜め息が出る。
仕方ない、なにか買ってくるか。どこかで食べてもいいが気分じゃない、コンビニで弁当でも買おう。
「こちら、温めますか?」
「お願いします」
コンビニの食べ物も最近はかなり美味くなってきていると思う。だが、科学で舌をごまかしてる感はどうしても否めない。いくらか手間が掛かろうが味が劣ろうが、やっぱり手作りの料理には魅力があると俺は思う。作らないけど。
「きゃはは、やばかったね! さっきんとこ」
「それな~! お化け屋敷かっての!」
コンビニ弁当を提げて家に戻る途中、複数人の少女達とすれ違う。
学校帰りの女子高生か。そういやこのへんにもあったっけ、高校。
「でも雰囲気悪くないよねー。また行く?」
「うん行こっか。店の名前なんだっけ? ラピ……」
「ラピッド……? 忘れた~あはは!」
笑い合う女子高生達のカバンには同じような模様のストラップが吊るされていた。
若者の間で人気のグッズショップかなんかがあるのか? まあ、どうでもいいか。俺には関係のない話だ。
家に着き、買ってきた生温かいコンビニ弁当を口に運ぶ。これ食ったらとっとと寝よう……と思った矢先、ケータイが突然悪意を持ったかのように着信を告げた。
「誰だよこんな時に…… はいもしもし」
『もしもし! おひさ』
「……え? どちら様?」
『あれっ? 鵲 琥珀の番号で合ってるよね?』
電話の相手は俺の名前を告げた。鵲 琥珀、間違いなく俺の名だ。
「合ってるけど……誰?」
『ひどいな、おれだよ! 白緑!』
「びゃくろく……? ……紫苑? 紫苑か!」
白緑 紫苑。
幼稚園の頃からの幼馴染みで、俺が唯一親友と呼べる仲の人間だ。小中高と時間を共にし、大学すら同じ所に入ったものの、さすがにその後の進む道は違いしばらく会っていなかった。
就きたい仕事に就けた、と風の噂で聞いた。今は何をしてるんだろうか。
『確かに長いこと連絡取ってなかったけどさ、まさかおれの声を忘れちゃうとはなあ』
「ごめんごめん、覚えてるよ。で、どうしたんだ? なんか用があるんだろ?」
『いや、ない。久し振りに琥珀と話がしたくなっただけ』
俺はおまえの恋人かよ……。
『そうだ、今 時間あるの? ちょっと飲もうよ』
「今から? 今度にしてくれよ、疲れてるんだ」
『琥珀ん家 酒ある?』
「聞けよ。ないよ」
『よし、ならおれの家 来てよ。場所はわかる……わけないか、地図送っとく』
まるで聞いてくれない。紫苑がたまに繰り出す、人の話聞かないモードだ。こうなったらもう折れない。
『今の琥珀のことも知りたいしさ、来てよ。おれと琥珀の仲じゃん』
「……はあ、しょうがないな。紫苑じゃなきゃ断ってるぞ」
『おぅありがと。ちょっくら思い出話に花を咲かせよう』
「はは、そんなに咲かせる花もないって」
***
紫苑からケータイに送られてきた地図が示す場所は、住宅街の中にあるアパートの一室だった。すごく現代的でも、すごく寂れた感じでもない、何の変哲もない普通のアパートだ。
俺の家からはそこそこ距離があった。お互い生活圏は被らない、今まで顔を合わせることがなかったわけだ。
チャイムを鳴らすとすぐに扉が開いた。そこには唯一無二の、懐かしい旧友の姿があった。
「いらっしゃい、琥珀。ちょっと会ってなかったからこう……なんか不思議な感じだよね」
「大学出て以来だよな。3年振りぐらいか? 久し振り、紫苑」
「おぅ。とりあえず飲もう!」
「……って感じでさ、琥珀覚えてる? 中1の夏休みだったかなあ」
「そんなこともあったっけな。紫苑はよく覚えてるなそんなこと」
軽快な口調に落ち着いた声。昔の記憶を大切に思い出すように語る姿を見て思う。ああそうだ、紫苑はこんな奴だった。
「……そうだ、気になってたんだけど、紫苑は今 何の仕事してるんだ?」
「ああ、おれは今な、絵を描いてる」
「はっ?」
絵を描いてる、って……画家か? イラストレーターか? 確かにこいつは昔から絵を描くのが好きで、小さい頃は賞を貰ってたりもしてたけど……。
「あ、ごめんそれは嘘。企業の商品開発でさ、そこでデザインを担当してるんだ」
「ああ……なるほど」
それでも俺と同じ大学を出ていてそれはすごい。美大でもなんでもない普通のとこだったのに。
「琥珀は? 何してんの?」
「俺? 俺は……飲食店の店員だったり、旅館の裏方だったり、学力補助のサポーターだったり……」
紫苑は一瞬きょとんとした顔をしたが、にっと笑って肯定するように頷いた。
「うん、何をするのが偉いなんて誰が決めたわけでもないし、それで悪くないと思うよ」
「ありがとう……。でもなんだそれ、誉めてんのか貶してんのか」
「どっちでもないよ。琥珀は琥珀らしく生きればいいんだよ」
俺らしく? 俺らしく、って……なんだ? 俺は、自分自身のことがわからない。
「……紫苑はすごいな、ちゃんと自分のやりたいことできてんじゃん。嫌みとか僻みじゃなくて。純粋にすごいと思う。俺は……いったい何がしたいのか、っていうか何のために生きてるのか、わかんなくてさ……」
「そんなことはおれにもわかんないよ。おれだって本当なら企業になんて勤めたくなかったし。そうやって探り探り生きてくのが人生なんじゃないかなあ」
探り探り生きていくのが人生。そうだ、それがきっと真理だ。でも俺はそんな簡単な事でさえ真っ正面から受け止められない。だって、探っても探っても答えが出てくる気配がしないから。いや、俺の探り方が甘いだけなのか……。
酒を煽りひと呼吸。
「……あ、でもあれだ。昔、琥珀は誰かと結婚するのが夢とか言ってなかったっけ?」
「……は?」
突然何を言い出すかと思えば、結婚? なんだそれ。心当たりがない。
「いやごめんそれは嘘、結婚じゃない。確か、誰かとずっと一緒にいたい……とか言ってたかな」
「え、誰だよ。俺にそんな大切そうな人間がいたのか? 紫苑のことじゃないの?」
「ありがと。でもおれのことじゃないよ。小学校の頃だったか昔は熱弁してたのに、いつからかそのこと、めっきり話さなくなったなあ。なんだっけ、なんとか姉ちゃんって呼んでた気がする。瞳、光……違う、額? 姉ちゃんみたいな」
ひたいねーちゃん? 仮に呼ぶにしても酷い名前だな。
「記憶力の良さには定評があるよ。おれは琥珀からの話だけで実際に会ったことはないけど、実在してることは間違いない。琥珀んとこの近所にデコがハゲあがったお姉さんとか住んでなかった?」
住んでないわ。そもそも小学生の時に年上の女の人の知り合いがいたかどうかすら疑わしい。
しかし紫苑の記憶力が良いのも事実だ。
だが、まったく思い出せない。
「どのみち疎遠になってるのは間違いないだろうけどさ、実家帰ってアルバムでも見てみれば?」
実家に帰るのは気乗りしないが、そいつが誰だったのかはちょっと気になる。また今度調べてみるか。
「まあまあ、とにかく今日は飲もうよ! 2人で潰れるまでさ!」
「……それもそうだな!」
俺の生きている意味。生きていく意味。そんなものは今はわからなくていい。今日こうして親友と話せただけで満足だ。
その日の夜は紫苑としこたま飲んだ。再会の喜びに加えアルコールも手伝って、少しだけ気分が軽くなったような気がした。
泥酔で混濁した意識の中、仰向けに寝転がる床の上で。
俺の頭上遥か遠くに、星の瞬く夜空が見えた。
そしてなぜか聞こえる鳥の声、その声はどこか懐かしく。
ああ、酔ってるんだろうな。そう思う頃にはもう意識はどこかへ消えていった。
この物語は主人公である彼自身のお話です。
恋愛の要素も、ファンタジーの要素もありますが、それが話の主軸ではありません。かっこよく言えばヒューマンドラマ、言わなければ壮絶なる自分語りでしょうか。誰のとは言いません。
気軽に読んでいただければな、と思います。
目指すのは気軽に読めない作品です。
よろしくお願いいたします。
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