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Under;Sky  作者: 大麻要介
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それは、邂逅(4)

 頂上へと昇り詰めた奏多を待っていたのは、さらなる空での高速飛行だった。

 再び九十度、縦移動が横移動に変わる。

「ええええええええええええええええええええええぇぇぇ!!!!」

 奏多は、自分でも分かるほど女々しい悲鳴を上げていた。

 相変わらず何故か空気による抵抗はないのだが、自分が体験したことのない速度で他人に空中を連れ回されるというのは、抵抗など関係なく、恐い。

「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁあ……あぁっ?!」

 空に尾を引いていく奏多の絶叫の最後が疑問形となったのは、急激な上昇感が消失したからだ。

 飛昇が今度は浮遊に変更され、その空間にホバリングよろしく停滞する。

「はぁ、はぁ、は、あぁ…………」

 多少の余裕が生まれたことにより絶叫の反動を体が思い出したようで、荒い息が奏多の肺から途切れ途切れに吐き出される。

 これを小心者とは罵るまい。訳も分からぬまま、短い時間のうちに横へ上へと空を駆け巡ったのだ。その疲労と恐怖こそ、推して知るべしだろう。

 現にこうして思考できていることが不思議なほど、既に彼の体内では余すところ無く抗議の悲鳴を上げている。

 だが対して少女はと言うと、(奏多を含めて)まるで気にした様子もなく、むしろ肌を叩き吹き抜けていく風に目を閉じるその姿は、見えぬ何かを感じているようにも見える。

 その立ち(?)姿もそれはそれで非常に美しかったのだが、自分が高空で少女の細身に抱かれている。この状況を鑑みれば、決して見とれている場合ではない。

「……あの、すいません。なんか喋っていただけませんか?もしくはなんか動いていただけませんか?人間に耐えうる速度で」

 奏多は空中で黙り込む彼女に、精神的安寧を求めそう語りかけた。当然返答はなし。

 幸いというのか腕は胴へと回されてはいるが、地上から何百メートル足を離しているのかわからないのは、正直言って恐怖以外の何者でもない。

 通常生活していれば感じることもない浮遊感。高空での空気の冷たさ。そして、宙で浮つくという、言いようのない孤独感。

 そのどれもが奏多には鮮烈であり、新鮮であり、なによりも圧倒的だった。

 だがしかしそれでも、いや、それゆえにと言うべきであろうか。

「おぉ……これは、また……」

 個人に許された上限を超えて見晴らす世界は、まさしく格別と言う他にはなかった。

 奏多と少女がいるのは、ユグドラシルから約五キロ離れた、ちょうど奏多たちが住むビルの森の上空らしい。

 地上にいるときにはうっとおしいと思っていた背の高い雑居なビルの群れも、その先まで広がる蒼天も、高みから見下ろせばこれほどまでに、爽快だ。

 その景色を色で言うなら灰色。それだけに美しさと言うには欠けるが、逆に奏多にはそれが「いい景色」というふうに映っていた。

「……ゴミの寄せ集めみたいな所だと思ってたけど、案外そう悪くはなかったな」

 灰色の景観を眺めながら奏多は呟く。

 それを見たことと、さっきまではなかった余裕というものが発生したことによって、今更ながらに彼は自覚していた。


 ーー自分は、飛んでいるのだ。


 ーー人は、飛べたのだ。


 いや正確には自分が飛んでいるわけではないのだが、それでも、だ。 

 この飛翔、浮遊という快感、そしてそれに付随して与えられたこの光景は、そんな無粋なことを感じさせないほどに、奏多の内側を支配していた。

 だが、感慨で満たされた胸も、すぐさま別の感情の波にさらわれていった。

 ふらり、と。

 腕につかまれ下げられた奏多の体が、振り子のように揺れた。小さく一つ、二つ。

 さらに甚だしいことには、徐々に高度も下がってきている。

「……? おい、どうしたんだ?」

 奏多は見上げるかたちとなりながら、少女に声をかける。

 例にならって返事はない。だが、その無言は先程のまでの様子とは違った。

 意図しての無視ではなく、余裕のない無言、というふうな具合だ。

「……冗談にしては、なかなかにパンチが効いてるな」

 別に誰かから言葉を聞いたわけではない。

 だが、その先の展開を、なぜか奏多は予知することができた。

 予感、ではなく予知。そう言えるレベルの確実さがあったゆえに。

「ふふふ、もう、もう叫ばないさ。ああ、叫びませんとも。そう何度も何度もぉおおおおおおおおあああああああああっ!!」

 予知は、的中した。

 今回の空の運動は、本日初、かつ人生初となる地上数百メートルからの急降下。パラシュートはもちろん無し。どころか先程までいた操縦者の意識も無し。

 地球の偉大なる万有引力に基づき、二人の体は地面に吸い寄せられていく。

「おい、起きろ!!はやく起きないと結構グロテスクなことになるぞ!!」

 悲痛な懇願むなしく、少女は憔悴しょうすいしきった顔で目を閉じているままだ。

 空気の抵抗を感じず昇っていたときとはまるで違う、やかましい風が耳朶を叩いていく。

 重力加速度に従っていくにつれ、落下予想地点が見えてくる。

 それはどこかビルの屋上。材質は硬度に定評のあるコンクリートである。

「くそ、洒落になってねぇな。これ」

 少女を胸に抱き抱えるかたちをとりながら、奏多は声を空に残す。

 肌が痛い。普段は気にも留めない空気というものが、高所からの落下というものだけでカミソリのような鋭さをもって体の表面を撫でていく。

 恐らくあと十といくつかを数えるあとには、硬い平面との再会を果たしていることだろう。

 そしてその再会とは、通常の人間にとっては別れでもあるに違いない。

 待っているのは、挽き肉となる未来。

 しかしながら迫りくる、というか自ら迫っていく明確な死に対して、奏多は絶叫の大きさほど焦ってはいなかった。

 焦っているとすれば、腕の中のこれのこと。

 己のことだけを考るならば、なんとか生き残ることはできる。足から迎えにいけば自分の体なら死ぬことはまずないだろう。

 だがそこに、見るからに華奢な女の子が加わるとするなら話はまた変わってくる。

 下手な受け身をすれば、この少女どころか自分すら助かり損ねるのだ。

(いっそのこと、こいつをクッションに……いや、やめとこう。つまらん)

 犠牲者を出す案を自分で却下しつつ、奏多は思案を続行する。

 もうこの高さでは、足での着地体勢へ変えることはできそうにない。とはいってもこのままでは壁に叩きつけられたヒキガエル気分を味わうのは確実。

 無理のない最小限の動作で、二人とも助かる姿勢へと移行しなければならない。

 ならば、彼は一つしか思いつかなかった。

「……しゃーない。痛いだろうけど、我慢するとしますか」

 奏多は抱く力を強めて、少女の柔肌と自分の荒い作業着との隙間をなくす。

 そして、ぐるりと空を仰ぎ見るように体を回転させた。

 あとは、待つしかない。

「えー、天にまします我らがクソジジィ、俺たちを助けやがれこのヤロウ」

 皮肉にも晴れわたる天上を眺めて敬虔けいけんなお祈りをしながら、三、二、一…………。


 ドン、と太鼓のような低い音を、コンクリートと肉が奏でた。


「ーーーーっぐ、かっ……は…!!」

 予想通り、いやそれ以上の激痛が、背面に走り抜けた。

 肺から空気が絞り出され、さらに一拍遅れて凄まじい塩気がこみ上げてくる。

 口内に充満する、鉄錆の臭いと味。

 久々に味わうそれを飲み下すのには、少々苦労した。

 恐らくは、というか確実に内臓のどこかが破裂している。暴力的なまでにり上げられた横隔膜おうかくまくに肺が、心臓が押し潰されている。文字通り、張り裂けんほどの悲鳴を上げている。

 しかし。

(まぁ、こんなもんだろうな)

 悲しいかなと言うべきなのか、一般人には十分な致命傷のそれも、奏多にとっては覚え込まされたものの一つにすぎない。

 その場に悶えるような痛みさえ、いつかに経験したものの再現にしかならない。

 奏多は天道を見上げながらぶつぶつと言う。

「あー、痛ぇ。本当に痛い。やっぱこいつをクッションにしとけば……って、そういや痛覚遮断しとけばよかったんだよな。何やってんだ、俺」

 たった二年間のブランクで自らの性能すら忘れてしまっていた自分に、思わず口角が吊り上がる。

 ……笑い事ではないが。

「おーい、生きてるか」

 奏多はとりあえず胸の中の少女の安否を確認してみた。ここまでして、死んでもらっては困る。

 揺すってみた手に感じた体温は、さっきまで空に浮いていたせいかはわからないがかなり低い。だが少なくとも死人のそれではないことくらいはわかる。

 呼吸の方も、深く小さく続いている。

 つまり、まだ生きているということだ。

(参ったね。死んでればそこら辺に捨ててくことも出来たんだがな)

 命を張っておいて、死なれていては困る。しかし生きていられても困る、というのは、なんとも微妙な心境だった。

 背中の痛みは既に引いている。内臓の破損程度なら、十分もすれば完治する。自分の肉体的ダメージについては問題ない。

 目下の問題はただ一つのみ。

「さーて、どーすっかな。これ」

 口元に垂れてきた血を拭いながら、奏多は上体を起こす。

 腕の中で眠るは、赤ん坊のような無垢さを思わせる空色の少女。

 本来なら迷うことなどないはずのクエスチョンであったに違いない。

 今のご時世、裏の通りに一本でも入れば奴隷市場よろしく身柄売買やら売春などザラだし、この少女の品質であれば買い手数多あまただろう。現にこの周辺では、そうやって糧を得ている人間もいるくらいなのだから。

 もしくは、自分で使ってしまうという手も無くはない。

 それに、奏多自身もこういったことに対しての抵抗もない。

 どちらにせよ、ここでの選択肢はそう難しいものでもなかった。

 しかし、何故だろうか。

「……まあ、乗りかかった何とやら、か。とりあえず持って帰ってやるよ。啓護のやつには適当に言っとこう」

 言い訳のように、誰に言うでもなく、肌をさらす彼女に上着をかける奏多がいた。 




 

 遅くなりまして申し訳ありません。投稿となります。

 

 前回「長い!!」とご指摘を受けたのもありまして、今回は二話同時投稿とはなりませんでした。

 決して、決して私が楽をしたかったわけではないのです(冷汗


 ……こんな私にも、ご意見ご感想をいただければと思います。

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