それは、邂逅(2)
前回の分も修正しました。そちらからご覧いただければと思います。
午前中の仕事を問題なく終え、三人は約束通りに再び一階で再会した。
「よし、じゃあ食堂へ行こうか」
手を打ち合わせて儚が仕切り出す。
「元気そうだなあ、お前」
奏多がうらやましそうに、気だるさをにじませながら言った。
今日が月に一度の「納入日」なだけに職員である彼女の仕事も相当にあるはずなのだが、なぜか一人ハツラツとしているのだ。
職員になってから一年たって慣れたのもあるだろうが、奏多たちと短くも職を同じくしていた時期と変わらず無尽蔵とも思える体力は健在らしかった。
「そっちが半ゾンビみたいになってるだけ。とても十代の眼球の濁り方とは思えないよ、奏多の目」
「まぁ、仕方ないとは思うよ。ユグドラシル《ここ》、無駄に広くて荷物運ぶのにあちこち行かなきゃならなかったんだから」
かく言う僕もクタクタだしね、と啓護は苦笑し、肩を回すジェスチャー付きでフォローを入れた。
つられたように儚も笑うと、突然思い出したように声を漏らした。
「どうした?」
奏多は訊ねる。
「あー……えっと、ごめん。誘ったはいいけど、実は二人の分の席とれるか不安になってきた」
「…………」
「いや、そんな世界の終わりみたいな顔しなくても。ああ、もう、本当にごめんってば!!」
儚は申し訳なさそうに頭をかく。
一階を見渡してみれば、たしかに先ほど来たときより人の密度が低くなっていた。おそらく減った分が儚の言う三階の食堂へと向かっていった、という具合だろう。
だとしたら一歩出遅れた奏多たちには、座席争奪戦への出場権利はないかもしれない。
だが、久々に再会して一緒にとる食事が買ってきた弁当、というのはどうにか避けたい。それは、全員が思っていることだろう。
三人がそろって首をひねること数十秒。
「ま、とにかく行ってみようぜ。案外空いてるかもしれないし」
ここでいつまでも考えていてもそれこそ席が埋まってゆくだけなので、奏多はとりあえずの行動案を提示した。それに対して二人も異論はないようで、それぞれの形で同意を示す。
「それじゃあ改めて、食堂へごあんなーい」
「案内はいいけど、当然お前のおごりなんだろ? この三人の中で一番稼いでるんだから」
「この三人の中で一番年下の女の子にたからないでほしいんだけど……」
「俺、一度でいいから『ここからここまで全部で』って言ってみたいんだよな」
「私の財布でやらないでよ!!」
などと騒がしく儚の案内に従って足を動かそうとしたそのとき、徐々に午前中の人数へと回復しつつある周囲から、ざわめきが起こった。
波が波紋を広げるかのごとく、それは一階全体から二階、三階というふうに伝播していく。
「なんだ、一体?」
奏多が周囲の視線が収束する場所へと目を向けると、ざわめきの理由にひどく納得してしまった。
既にはもう気づいているだろう二人の表情を見れば、思った通りの嫌悪感で満たされた顔を張り付けている。
視線の先にいるのは二十代半ばに思われる一人の男と、その後ろで影をひくように歩く、泣き顔を模した仮面のせいで性別が判断できない人間が二人。
一見すれば異彩を放っているのは後ろを行く二人なのだが、皆が注視しているのはそんなものではない。
仰々しいほどに飾りたてられた衣装をまとう、見目麗しい男の方だ。
貴公子然としたその姿からは、ただ歩くその姿からでも気品というものを感じさせる。
だが、なにゆえに衆目を集めているのか?
それは豪奢な衣装への驚嘆からでも、優れた容姿への嫉妬からでも、異常な二人を連れて歩いていることへの異様さからでもない。
彼が仮面などとは比するべくもないほどの「異質」を、人々の憎悪の対象を、文字通り背負っているからだ。
それは人類では到底持ちうることのない、しかしだからこそ彼らが陰で「化け物」と呼ばれ、恐れられる所以。
ガラスのような、セロファンのような、忌々しいほどに薄く美しい、妖精のそれを思わせる二枚の羽。
人の容姿を成す、その有翼の生物の名は、天使やハーピィといったファンタジーの産物ではない。
「アースガルズ人……」
件の天の住人のご登場に、啓護が押さえつけるような声音で呟いた。
射殺すような眼差しは、怨敵へとしっかり睨みつけられている。
対して奏多は冷静に保ったままに、闊歩していくそれを見つめる。
「『仮面の近衛』がくっついてるところを見ると、貴族階級みたいだな。それも二人も」
「でも、どうして? 貴族階級どころかアースガルズ人が降りてくるのは、せいぜい二桁の階までなのに……」
「ちょっと気まぐれに遠出のお散歩、てわけでもないだろうな……っとと」
背後からの圧力を感じて振り向けば、いつの間にか奏多たちの後ろには人の群れが出来上がっていた。さらに一階だけではなく、二階三階からも上からのぞき込むように人がひしめき合っている始末だ。
隙間に人を埋めるようにして人が密集しているおかげで撤退する手段も取れず、望んでもいない最前列での見物を強いられてしまうかたちとなった。
狂いなく自らへと向けられる驚愕、怨恨、嫌悪、疑問が混沌とした目をむしろ楽しむかのように、翼を持つ男は悠々といった風情で歩いていく。
すると分厚い人垣をかき分けて、眼鏡をかけた神経質そうな男がその歩みを止めさせた。
「何だ、あのメガネ」
「うちのユグドラシル最高責任者だよ。ガルズ人なの」
奏多は暗に「アースガルズ人に普通に話しかけられているあいつは誰だ」と問うたのだが、儚がそれをくみ取った回答を返す。仮面の二人が反応しないのは、どうやらそういうことらしい。
遠巻きながら、最前列にいたために会話が聞こえてきた。
「困ります、ディルフォリア卿! 突然このような場所に連絡もなく来られては!」
しかし眼鏡の男の言葉を意に介した様子もなく、ディルフォリアと呼ばれた男は薄ら笑いを浮かべながら返す。
「申し訳ない。注文していたものが、ようやく届いたらしくてね。堪え性のない私を許してくれたまえ」
「め、滅相もない。そういうことでしたら……ですが、それでしたら言っていただければ直接お届けに……」
「いや、これだけは自分の目で確かめなくてはいけなくてねぇ。それに、君らには任せられない代物なんだよ」
「はぁ……」
責任者も奏多たちと同じく、話が見えなかったらしい。結局、この男は何をしにきたのか。
すべての疑問が氷解しないうちに、既に用というのを終えていたらしいディルフォリアはそれから男に一言二言と告げると、背中を見せて去ろうとする。
「なんだったんだろう、一体……」
啓護が遠ざかっていく貴族の姿を、訝しげに見つめる。
「さあな。通販のカタログ見て健康器具でも衝動買いしたんじゃないか?」
「あのねぇ、奏多ももう少し真面目にーーきゃ!?」
儚が場にそぐわない発言を強めにたしなめようとしたそのとき、儚を押し退けて背後から何かが飛び出していった。
奏多たちよりも少し下の、少年だ。
少年は、真っ直ぐにディルフォリアへと走っていく。奏多が遠ざかるそれの手に見たのは、銀色に鈍く輝く煌きだったように思える。
「おい、止せ!!」
どこからか飛んだ制止の声は、それでも彼を止めるには及ばず、代わりにあらんかぎりの叫びが響いた。
「この羽根つきがああああ!!」
その揶揄の呼び名の声に、背を向けていたディルフォリアがようやく振り向く。
真っ直ぐに駆けていく少年の形相は、横顔から覗けるだけでも憤怒一色に染まっている。
世界的貴族アースガルズ人の、地上人による公然での殺害。
それは、自らへのリスクと周囲への影響を考慮から外した、ただの『無謀』でしかない。
奏多たちは、いやこの光景を見ている者は残らず、その『無謀』によってもたらされる最悪の展開を予想しただろう。
だが結果から言って、その懸念は無用なものであった。
不覚にも奏多が一度、瞬きをした後には、少年は『仮面の近衛』によって地へと伏されていた。一人は完璧に腕を極め、もう一人は頭を掴み上げ少年の口へと銃口をねじ込んでいる。
行動と言動での抵抗を一切許さない、練度の高さを伺わせる制圧。
一つの瞬きの間に完成したその構図は、やむことのなかったざわめきに静寂をもたらすこととなった。
しかし、さらなる変化は、その直後。
ややくぐもった発砲音が聞こえたと思えば、白い地面に鮮やかな赤がぶちまけられた。
「ーーーーッ!!」
「見るな、儚」
一歩遅くなったことを悔やみながら、奏多は儚を後ろへと隠した。先の戦争で彼女も相当な惨状を見ていたとはいえ、それでも十代の少女には見せるものではない。
止めどなく溢れていく鮮血は、赤い水溜まりとなってじわじわ広がっていく。
それに比例するかのごとく、動揺の波も観衆に浸透する。
不思議なことに悲鳴を上げるものなどはいなかったが、それが冷静などを意味していないということは明白だった。
声帯を押し潰す恐怖の名は、不安。すなわちこのあと自分たちはどうなるのか。
奴隷が、貴族に刃を向ける。この表現は何ら比喩ではなく、その結果というのも想像に難くない。気まぐれにこの場で地上人の虐殺ショーが開催される可能性さえあるのだ。
名も知らぬ少年を悼む気持ちよりも、自分たちを危機に陥れたことへの憤慨が、周囲の人間には生まれていることだろう。ざわめきのなかに「ふざけるな……」「余計なことを……」「俺は関係ないだろ……」という言葉の端々を、奏多は聞き取った。
すると突然、先程殺されそうになっていたはずのディルフォリアが、嬉々とした顔で大きく一歩前へと出る。その外連味のあるその立ち振る舞いは、彼の持つ容姿もあってどこか嘘くさい役者のような印象を受ける。
何をするのかと思った矢先に、それまでのニヤついたフェイスを崩し、俳優よろしく白々しいまでの『悲しみ』の表情を作り出す。
「ユグドラシルにいらっしゃる皆様、私はいま、身が張り裂けそうなほど、この小さな心を痛めております!」
しゃあしゃあと放った第一声が、それだった。
「見ての通りこの少年はいま、私に怒りの刃を向けた。だがしかし、それは彼の罪ではありません!そしてあなた方の責任でもない!貧しさ、侘びしさに狂った人を、どうして責めることができましょう!」
大げさに身振りを加える弁論を聞き流していると、奏多は気づく。
啓護の拳が、厚い手の皮を破りそうなほど、音を立てて握りしめられていることに。
奏多は、声をかけるという選択はしない。
「私とてこんなことはしたくはなかった。ですが悲しいことに彼が行おうとしたのは人の命を奪うということ!四年前に起きた忌むべき災禍の繰り返し!それは断じて是とするべきではない!罰を与えねばならない!--それに、なによりもこの私、リアード・ディルフォリアはまだ死ぬわけにはいかないのです。なぜなら」
大仰に両手をかかげ、リアードは続ける。
「よりよい世界を、未来を貴方がたと共に作り上げていかなければならないからです!」
別に聞いてもいないことをベラベラとやたら饒舌に喋ってくれた演説の締めは、これまた仰々しい一礼であった。
大声のあとの、数瞬の沈黙。
パン、パン、パンと、仮面に表情を隠した二人が手を打ち合わせ始める。それが拍手という行為だというのを理解するには、さらに数秒の時間を要した。
はじめは誰もが戸惑ってはいたが、『仮面の近衛』から眼鏡をかけた責任者へ、責任者から職員へ、職員から周囲の人間全てへと、アースガルズの人間の先導によって拍手は伝染してゆく。音としてだけとらえるならば、それは見事な演説に対する賞賛だと、とれなくもなかった。
しかしそれでも手を叩く者の顔は、心から安堵しているように見える。
無理からぬことだろう、エリアードの言葉によれば一族朗党皆殺し、という最悪の事態を免れたのだから。拍手などいくらでもする。
滑稽だった。
飼い主にしてみれば、牙の抜けたペットが多少噛みついてきたところで、痛くも痒くもないというのに。
「三文芝居にしても、随分と出来が悪かったな」
周りから送られていく賛辞に紛れて、奏多は嘆息する。
すると心ない拍手を惜しみなく送りながら、啓護はようやく口を開いた。奏多と同じく、何か皮肉の一つでも言うのかと思ったが
「奏多」
その呼びかけは、ただ独りごちただけではないかと思うほど小さなものだった。
感情が抑圧された重い声に、奏多に庇われたままの儚が震える。
「さっき言ったことを、もう一度言うよ。ーー僕は、あの国が大嫌いだよ。殺したいほどに」
今朝方に聞いた言葉と同じでありながら、ずっと濃く深い感情が、そこには圧縮されていた。
「……そうか」
空々しい拍手が塔に響くのを耳に感じながら、奏多は今朝と同じく、否定も肯定もすることはなかった。
大変遅くなりました。申し訳ありません。
なお今回は書き方を変えました。読みづらい、と言う方はご感想とともにいただければ幸いに思います。