それは、邂逅(1)
改稿するかもしれません。
今朝の作業着の報復なのか、明らかにうっかりではすまされないレベルに焦げ付いたトーストを胃に流し込んだところで、部屋のドアが蹴破られるような音が響いた。
「……またか」
「まただな」
それだけで、二人は訪問者が何者かを知る。
こんな荒々しい突撃朝ごはんを仕掛けてくるのは、一人しか心当たりがない。
「……おーう、二人とも。元気か」
「お前よりはな。つか、大丈夫なのか。日光に触れて。あと、いい加減インターホンという文化を覚えろ」
「いやぁ、今も結構ヤバめなんだよ、おじさん。あと、そんな文化は知りません」
重体患者が病院から抜け出したような、不健康に白い肌と無精ひげ。黒くなった目元は、昼夜パソコンに向かいあっているせいだ。
狩野礼也は、ズルズルと壁にもたれかかりながら二人に近づいてくる。その姿は、本人のグロッキーな状態と合わさって、かなりホラーじみている。
「ああ、マジでヤバイ。召される。奏多、一杯でいいから水をくれ。数ヶ月ぶりに階段を降りてここまで来たおじさんは死にそうです」
「よし、そのまま死ね」
「礼也さん、どうぞ」
とても二十四歳の男とは思えない手の震え方で啓護からコップを受けとると、喉の奥を鳴らしながら一気にあおる。
マンションの四階から三階まで、たった一本の階段を降りてきただけでこの様子だ。
激しい運動後のような息を吐く姿を見ていると、どうみても中年にしか見えないこの男がいまだに二十代であり、大戦時代には世界有数の頭脳の持ち主であったという事実が嘘に思えてきてしまう。
「あー、生きてるって素晴らしい」
生の喜びを噛み締める礼也に、苦笑しながら啓護は訪ねる。
「一体、何時間おきてたんですか」
「最後に仮眠をとってからえーと、大体三十二時間くらいか。うん、まあそこそこだ」
「なにをもってそこそこと断言できたのかは僕にはわからないですけど、死にますよ。そのうち」
「学究の徒はな、命捨てる覚悟でないと務まらないのよ」
どうせまた怪しげな機械の開発で無駄に金を食い潰していたんだろうと奏多は踏んでいたが、毎度毎度地面へと投げ飛ばされるのはたまらないので、そのことは黙っていた。
「…で? 俺たちの雇用主様がわざわざ来なさった理由は?」
奏多は心の内側で「用がないならさっさと帰れ」と念じながら問いかける。いつもなら決して見せない笑顔を添えて。
だがその念が態度からにじみ出ていたのか、啓護に肘で小突かれた。あまり失礼なことをするな、とそういうことだろう。
しかし、奏多にとってはこの男に敬おうなどという気は、さらさら起きない。
ーーこの男は、自分に『呪い』をかけた人間の一人なのだから。
憎むべき、忌むべき対象でしかないのだ。
二日酔いの人のそれのように頭をフラフラとさせながらも、なんとか礼也は答える。
「あ? ああ、理由ね。そうそう、それだよ。
ーー二人とも、今日の仕事、ユグドラシルの『納入』に変更だから」
さらりと、まるで子どもにおつかいを頼むように、かなり重要な用件を口にした。
そしてその言葉に、二人はそれぞれ同じで、異なる反応を示した。
奏多は心底面倒そうな、拒絶の色。
啓護は心底嫌そうな、拒絶の色。
色こそ似てはいるが、根底にあるそれぞれの感情は全く違う。
そのリアクションに気づいているのかどうなのか、礼也は話を続ける。
「ほら、今日は『納入日』だから、どこも人手が足りないらしい。つーわけで頼んだ。荷物はもう積んであるから。んじゃ」
言いたいことだけを矢継ぎ早に言い残して、上司は出ていこうとする。しかし、それを啓護の声が待ってください、と引き留めた。
「あの、それってどうしても行かなきゃ、駄目そうなんですか」
啓護は、そう訪ねた。
普段の彼であれば、このような仕事を婉曲に拒否することは言わない。むしろそうしてごねるのは奏多の方であり、啓護はそれを小突く側なのだ。
しかし、その言葉の意味を汲み取っていない者は、この場にはいない。
そして理解しているからこそ、奏多は何か言おうとする啓護を遮り、やや大きめの声で言った。
「オーケー、荷は積んであるんだな? 」
「ああ、頼んだ。ユグドの仕事が終わったら、今日はもう上がっていい」
「ほら、聞いての通りだ。とっとといくぞ。啓護」
「……ああ」
拒否することが出来ない流れを作った奏多は、肺に悪そうなその場の空気から逃れるために、足早に出口へと進む。
啓護はといえば、渋々を通り越して苦々しい顔をしながらついてくる。
「頑張ってこーーい」
不愉快なほど軽薄な礼也のその声に、奏多は舌を鳴らした。
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今朝から色々あったものの、時刻はまだ午前。しかし、この区域にはそうと思えないほど暗い。
昔とは比べものにならないほど高騰した地価の影響で、異様に背が高くなった建物が乱立するせいで、日光の半分以上が遮られてしまっている。
今は陽が真上に近くなっていっているおかげでまだ明るいほうではあるが、つい二、三時間ほど前には未明のような暗さであった。
だが真の暗さというのは、真の『闇』というのは、そんな物理的なものではない。
背の高いビルやマンションやらの影に潜み、うずくまる浮浪者。
その数は多いというほどではないが、彼らのまとう雰囲気というのが、なんというか、殺気に近い気がする。隙を見せれば最後、喰われてしまいそうな、そんな殺気。
四六時中、そんなもので満たされているここは、どこかスラムのような錯覚を覚える。
少なくとも、かつて法治国家ともてはやされていた国の有り様とは思えない。
「なあ、奏多」
そんなことを考えながらトラックの外を眺めていると、不意に啓護に声をかけられた。
「なんだ」
流れていく暗い景色から視線を外さず、奏多は返した。
啓護はしばらく言いにくそうにどもっていると、やがて言葉をつなぐ。
「……前から思ってたんだが、もしかして奏多はガルズに対して友好的だったりするのか?」
「いきなりなんだ、それ。意味がわからん」
居住空間を共有しはじめてから二年弱になるが、こんな質問は初めてだった。
「いや、奏多の言動とかを見てると、僕みたいにガルズを嫌ってる感じがしないんだよ。今朝だって、そんなに礼也さんの話を嫌がってなかったし」
「別に。お前のガルズ嫌いが異常なだけだ。仕事の変更も面倒だとは思うよ」
そう、この青年、江川啓護は大のアースガルズ嫌いなのだ。
今の世に、アースガルズを憎み、嫌う人間は星の数ほどいるが、彼の抱く感情はその中でも格別のものだ。
今朝の作業の変更も、彼にとっては受け入れがたく、屈辱的なことでもあった。
「けど、それは面倒なだけだろう。嫌うってこととはまた別の感情だ。…それに、儚ちゃんもいってたよ。奏多は私たちとは違うって」
「そりゃ気のせいってやつだ。お前ほどじゃないにしろ、俺だってあの国は嫌いだよ」
その言葉は、嘘ではない。
もちろん奏多もアースガルズのことは大嫌いだし、憎んでもいる。
だがそれ以上に、嫌いなものがあるだけなのだ。
「ーー僕や儚ちゃんは、あの国が大嫌いだよ。家族や友達を奪ったあの国が。殺したいほどに」
自分自身に確認するように、啓護はそう言った。
その『嫌い』は、奏多が口にするそれとは明確に違う。
周囲に合わせただけの、作られた感情とは。
奏多は言い聞かせるように、冷めた口調で言う。
「二年だ」
「は?」
いきなりの主語と述語が欠如したセリフに、啓護は思わず間抜けな声で聞き返した。
奏多は顎で前方をさす。そこには、地上に巨大な影を落とす塔がある。彼我の距離はまだあるはずだが、それでも天へと伸びるその鉄の塔は、あまりにも大きすぎる。
「巨大供給塔ユグドラシル。あのバカデカいのが世界中におったつのと、世界がめちゃくちゃになってから今の状態になるのにかかったのが、たったの二年。もちろん、地上の技術力じゃない。
ーーこんな差を見せつけられたら、俺は憎む気も起きなくなったよ」
人類史最短の大戦争がもたらしたのは、最高の技術的革新と、最悪の世界格差。
終戦後ともなると各国では自衛のためと称する兵器の開発が推し進められ、浮遊国家へのパフォーマンスにどこも躍起になっている。
兵器、医療、食品、エネルギー、果ては娯楽に至るまで。アースガルズにとって有益な何かを提供する国であることこそが、何にも勝るステータスであるがために、地上の全てが日々尻尾を振りながら生きている。
古今において呼び名が変わることのない発展途上国や今の日本がいい例で、それに乗り遅れれば世界の変化に取り残されていった。現在となっては、かつてアメリカなどの先進国と肩を並べる技術大国とまで言われていたこの極東の島国は、その影すら伺えない。
そんな世界の、自分の現状を、憂うでもなく悲嘆する様子でもなく奏多は言う。
「俺もお前も儚も、大戦時代を一応みてる。特にお前ら二人は前線でな。それから比べれば正しいかどうかは別として、今のこの世界はまぁまぁ平和でいいと思うがな。アースガルズ《あいつら》が統制してくれてるからつまらん小国や民族の小競り合いとかもなくて」
「……お前は、大人だな」
「達観ぶってるだけだよ。それに、俺もう今年で十九だぞ」
「全然そうは見えないけどな」
啓護は軽く苦笑してみせると、運転に気を戻した。
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「ーー行ってよし」
「どうも」
啓護は今朝に礼也から受け取っていた許可証を警備員に見せ、トラックをユグドラシル地下へと進ませていく。前にも後ろにも、数えられるだけで二十台近い車輌が列を成しているせいで、その進みは遅々としていた。
それでも何とか発見した一台分のスペースに啓護が車体をねじ込ませたところで、奏多は座席から離れる。
照明が間隔をあけずに設置されているため地下特有の薄暗さというのはなかったが、肌を舐めるこの冷気はやはり地面の深い下のそれだ。
奏多はひとつ身を震わせ、寒さを払うように仕事にとりかかった。
「思ってたよりも少なかったな」
運び出してから数十分、啓護は板についた仕種で汗をふきつつ呟く。一つ一つの荷は大きかったが、数は大したほどでもなかったため予想より早く午前の分が終わった。
「俺らの仕事なんてお手伝いみたいなもんだろ。それに、大事なものだったらよくわからんところに運ばせたりしないだろうしな」
「よくわからんところって……まあいい。早く上に運ぶぞ」
「はいはい」
二人はユグドラシル、というかアースガルズに関係する仕事は今回が初めてだ。
啓護のことを考慮すれば当然とも思えるが、それでも特に手間取ることなく作業を進めていく。
幸いにして、同じような運搬業者が周りにいるため、それに倣う。
人の流れにまかせて付いていき、エレベーターに乗り込む。中はかなり余裕があり、荷物を抱える者もいたが、それほど窮屈ということもなかった。
「儚ちゃんに会うのも久しぶりだな」
周囲に配慮した、だが若干の嬉しさをにじませた小声で啓護は話しかけてきた。
「なんだ、テンション上がってんのか。キモいな」
「ち、違う。三ヶ月ぶりの友達に会うのに、これは標準なテンションだ」
わかりやすい、とつい奏多は笑いそうになる。
「さっさと想いをぶつけちまえよ。あいつなら、フラれても気まずくなることはないだろ」
「…なんのことやら。第一、儚ちゃんはお前を……いや、やっぱりいいや。着いたぞ」
奏多は啓護のよくわからない態度に首をひねりながら、後ろの男たちに押し出されるようにエレベーターから出る。
そして二人は、目にした場所に思わず感嘆をもらした。
「広……」
「高……」
サッカーのフィールドが出来上がりそうな広さに、最上階十三階まで吹き抜けているらしい、首が痛くなりそうな高さ。地上一階であるここでは、職員や荷物をはこふ人間がせわしなく行き来しているが、それでもこの面積と高さは使いきれないだろう。
放っておけばいつまでも口を開けたままでいそうな二人だったが、第三者からの声により深刻なカルチャーショックからなんとかサルベージされる。
「そこの間抜け面のお二人さん。そんなとこに立ってたら轢かれるよ。」
二人が振り向くと、そこには見知った顔があった。
白衣にも似た制服を羽織る少女は、知己が自分を確認したところで手を振った。
「久しぶり、奏多、啓護くん。三ヶ月ぶりくらいだったかな」
「ああ、それくらいらしいな。てか儚、轢かれるってなんだよ」
「この一階では人の命よりも荷物が優先されるからね。下手したら骨折もあるよ」
「いつの築地だよ」
ユグドラシルの職員の証である制服を来た少女、藍沢儚は行き交う人の隙間を縫うように近づいてくる。
「もう、来るなら連絡くらいくれたっていいじゃない」
「今朝方、急に決まったんだよ。文句なら礼也に言ってくれ」
「あー、なるほどね。お疲れ様」
去年まで仕事を同じくしていた彼女は、元雇用主の性格からしてあり得るだろうと納得する。
それからは雑談にでも花を咲かせたいところだったが、先程から三人へと突き刺さる周囲からの「仕事しろ、小娘が!」という意思が乗せられた視線に耐えれれなくなったのか、啓護はまだ気付いていない様子の儚に言う。
「ときに儚ちゃん、仕事はいいの?」
「え? うーん、大丈夫……かな?」
その言葉で、視線の数と攻撃力が倍増する。どうやら、全然大丈夫ではないらしい。
今日は月に一度の『納入日』。日本中からこのユグドラシルへと、物資が集められる。兵器部品、食糧、果ては娯楽関係まで。
日本という国が強大な浮遊国家に尻尾を振りにここへ集結するのだ。忙しくないはずはないだろう。
さすがに周りの同僚から向けられる視線に気づいたのか、儚は誤魔化すように笑う。
「えっと、じゃあ私はそろそろ……と、そうだ、奏多」
「なんだ」
奏多は返事をするが、呼び掛けた本人は恥ずかしそうに大きめの制服の袖のなかで、なにやらもぞもぞとしているだけだ。
そしてついに決心したように、二、三度大きく息を吸ったり吐いたりすると、儚は奏多を睨み付ける。
「ほら時計を見てもう十一時を過ぎているのあと一時間もすればお昼になるよねいつもならここのお友達と一緒にご飯を食べるんだけどその子が忙しいらしくて私一人で食べようかなって思ってたんだけどそしたらちょうど旧知の仲の二人を見つけてああ彼らは二人寂しく男同士のランチタイムを過ごすんだろうなならこの私がその輪に入ってあげようじゃないかという聖母すら超越する優しさでいっぱいになったんだよねだから一緒にご飯食べない?!」
流れる滝のごとく一息でまくし立てられたが、本人は昼食の誘いをしているつもりらしい。
特に断る理由もなかったため、奏多はいいぞ、と短く答える。
すると、儚の表情が華やいだ。
「じゃ、じゃあ午前のお仕事が終わったら三階に来て。食堂があるから」
「りょーかい。啓護も別にいいよな」
「え? あ、うん。ていうか儚ちゃん、もういないけど…」
儚は「りょーかい」のあたりで既にスキップ気味に去っていた。それでも巧みに道行く人をよけているあたり、さすがは職員といったところだろう。
「そんなに腹が減ってたのか、儚のやつ」
「……がんばれ、儚ちゃん」
話にあまり関われなかったことを口にせず、盲目の乙女を労う優しさを、青年は持っていた。
かなり時間があいてしまいました。
申し訳ありません。
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