それは、まだ日常
「……んぁ?」
重く後を引くようなまどろみから、間抜けた声を上げて相馬奏多は覚醒した。
気だるそうに瞼をこすりながら時刻を確認すると、針はまだ6時を過ぎたばかりだ。勤労意欲が希薄な彼にとっては、限りなくレアな現象である。
「…寝起きは最悪、と」
早起きは気持ちのいいものだと以前に言われたことがあるが、それは今朝に見る夢によりけりだということを知った。
俗説の信憑性のなさを呪いながら、粗悪なベッドから奏多は身を起こす。
ーーー恐らく死ぬまで、いや死んでもこの体に染み付いているだろう硝煙と血の混ざった悪臭。
肌をうつ雨の冷たさ。
踏みつけた死体の感触。
これら全てが完全な『夢』であったなら、どれだけ良かっただろうか。
だがその光景は、つい二年前に起きた紛れもない現実であり、記憶であり、過去である。
これまでに何度も見た『夢』は、この身に刻んだ去りし日の追憶なのだ。
逃れる術はない。 己の罪なればこそ。
「もう少し爽やかな目覚めを促してくれるような夢は、俺のライブラリにはないのかね」
考えれば考えるほどに気が滅入る。
頭を切り替えるため、奏多はゴキリと首をならした。
「…とりあえず、着替えるか」
本来、こんな時間に起きてしまえば迷うことなく同僚のコールがかかるまで二度寝をかますのだが、この気分では安らかに寝付けるはずもない。
仕方なしに着替えようと床に放り出された作業着に手を伸ばしたところで、ソファで丸くなっていた毛布が動く。
「んん?……あれ、奏多…起きてたのか」
寝起き声でそう言うと、特に寝床に未練を残す様子もなく、同居人こと江川啓護はスッパリとソファから脱出する。奏多とは対照的に、寝起きであってもその動作に緩慢なところはない。
「悪いかよ。起きてたら」
「別に悪いってこたぁないけど。……珍しいな、お前が僕より早く起きるなんて」
「……まあ、たまにはな。というかそんなことよりもさっさとメシを作れ。引きちぎるぞ」
「わかったわかった。てかどこをだよ…」
朝から気分の悪い夢をみたせいか、それともそれを思い出したくないのか、奏多はやや強引に会話を切り上げる。
話を終えるときには、二人とも作業着に着替え終えていた。しかし、奏多のその着替え終えた姿を見て、啓護は眉をひそめる。
「…おい奏多。またお前洗濯しなかっただろう。あれほど見苦しいからやめろって言ったのに」
お母さんのようなことを言われて自分の服を見ると、我ながら酷いものだった。
折り目やシワがほとんどない、きっちりとした啓護のものに比べ、グシャグシャという形容が似つかわしい奏多の作業着。数日間、同居人の忠告を生返事で返していた結果だ。
だがその本人は悪びれることなく、むしろ誇るように言う。
「ああ、心配するな。不思議なことにな、そこらへんに放っておくと次の朝にはあらビックリ。ちゃんと綺麗に洗濯されてることがあるんだよ。きっと仕事で疲れた俺を労う心優しい小人さんたちの仕業だな。まったく憎らしくも愛らしい限りだ」
「人前で同僚がだらしない格好で服装で仕事をするのが心苦しい僕がやったんだ!ていうかやっぱり気付いててやってたのか!!」
「おお、やはりお前だったか。しかし、お前のその優しさが俺を堕落させていることにそろそろ気付け
」
要するに、改める気はないということだ。服装も、寄生に近い同居人への依存も。
啓護はその言いぐさに言葉を返そうとするが、諦めの色が伺える深く重い溜め息をつくだけに終わる。
「……はあ、もういい。礼也さんにどやされても、僕は知らん。ああ、知らんですとも」
飲み込んだぶんの怒りを、仕事に転化させることにしたようだった。
だが、ぶつぶつと言いながらも、仕方のない同僚の分の朝食まで準備する彼の姿は、やはり『お人好し』に他ならないのではないか。
自分のせいながら奏多はそう思ったのであった。
どうも。三話めでごさいます。
前回からなるべく間をあけないように努力したつもりです。努力どまりですが。
一応、ここから本編が始まりますが、本格的な物語の動きはまだ二、三話くらい先になります。展開遅くて申し訳ありません。
ご感想、引き続きお待ちしております。