第一章 もう一人の自分 - 1
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寝起きの気分は最悪だった。
そりゃ、腹に猫が三匹も乗っていたら不快でたまらないだろう。
僕、本宮影人は低い声でうなった。
「おお、猫たちよ。いい加減僕の腹の上で寝るのはやめてくれ」
上体を起こして、僕は猫を順々にベッド脇へ着地させた。
白、黒、三毛と揃う猫たちはいつも僕の腹の上で必ず一夜を過ごしていた。
ちなみに、白猫にはミルク、黒猫にはコーヒー、三毛猫にはカフェオレ、と名前がついている。このセンスのない命名をしたのはもちろん僕ではなく、僕の従姉にあたる春香によるものだ。僕は姉ちゃんと呼んでいる。
実は姉ちゃんは二○歳にして結構有名な科学者だったりする。しかも、かなりの実績を誇っているようで、お金には困ったことがない。
今住んでいるこの家だって姉ちゃんの所有物だ。僕はというと、実家より姉ちゃんの家からの方が学校に近いからという理由で居候させてもらっている。でも、家主である姉ちゃんは研究が忙しいらしく、ほぼ一人暮らし状態となっていた。
それはそれで僕にとってはいい環境だ。
「うぅぅ」
とは言っても、毎朝の猫たちの行動には辛いものがあった。
冬休みに入って二日目。お昼までゆっくりと眠れることはなく、腹の上に乗っかるという地味な攻撃により、僕は規則正しい生活を送っていた。
ベッドに腰掛けると早速、猫三匹が僕の足元に擦り寄ってきた。これは朝食の催促だ。まったくこういうことだけはしっかりしている猫たちである。
しょうがなく僕はキッチンの棚からキャットフードを用意してやる。すると、猫たちは大皿に群がり、僕など意も介していない様子だった。所詮、猫にとって僕はただの餌やりしてくれる人として認識されているのだろうか。それはそれで悲しいものである。
と、うなだれていると、携帯から軽快な着信音が響く。
すぐに、携帯を充電ケーブルから取り外し、ディスプレイを確認する。そこには姉ちゃんの名前が表示されていた。
「もしもし」
『あー、もしもし? 影人? 元気してた?』
朝だというのに姉ちゃんはやたらにハイテンションだ。少しは声を抑えて欲しい。頭にがんがんくる。
「十分元気だよ。猫の猛威には勝てそうにないけど」
『あはは。すかっり影人の腹が猫の住み処になってるね』
「まったく。笑い事なんかじゃないよ。初めは可愛いものだと思ってたけど、毎日だとさすがに参る」
『まあ、いいじゃない。それだけ好かれてるってことよ』
「そんことはないと思うんだけど……。って、そんな世間話をするために電話してきたんじゃないんでしょ」
『えー、いいじゃない。たまには弟と世間話の一つや二つもしてみたくなるのよ』
「僕は実弟じゃないし」
『なに言ってんの。私にとっては実の弟みたいなもんよ』
「はいはい。それより本題に入ろうよ。僕はもうちょっと寝たいんだ」
『もう。失礼ね』
どうせ姉ちゃんが僕に電話してくるときは、ろくなことがない。それでも逆らえば、家を追い出されそうなので、文句はなるべく言わないようにしている。ストレスで病気になったら絶対に姉ちゃんのせいだ。
『明日のクリスマスって影人暇よね? なら私の買い物に付き合ってくれない?』
ほらきた。
「買い物って?」
『そんなのいろいろよ』
「別にその用事は僕とじゃなくてもいいんじゃないの。彼氏とでも行けば」
『おっと。言ってくれるわね。そんな影人くんは可愛い彼女とでも約束があるのかな?』
「うっ」
『ほら、ないんでしょう? だったらいいじゃない』
「あー、もー、わかったよ。行けばいいんでしょ」
『よろしい。じゃ、場所と時間は後でメールするからよろしくね』
そういうと姉さんは通話を終了させた。
僕はひとまず、ベッドに腰を下ろして、一息。姉さんと会話をすると、なんだか疲れてしまう。
ちょうど、食事が済んだ猫たちがベッドに乗っかって毛づくろいを始めた。
「はあ……。お前たちは気楽でいいよな」
一斉に猫たちがニャーと鳴き出した。
それを合図に僕は朝食の支度を始めた。
一二月二五日。クリスマス当日。
僕は自宅から二駅離れた町までやってきていた。
姉さんからのメールによると、午後六時に駅前の噴水前集合とのことだ。
そして、現時刻は午後五時。
別に時間を間違えて待ち合わせ場所に来たわけではない。
ちゃんと理由があってのことだ。それは簡単に言うと、姉ちゃんへのプレゼントを買うためだった。これも姉ちゃんの機嫌を良くするためだ。僕にぬかりはない。
僕は賑わっている町を見て回りながら、アクセサリーショップを探した。なにぶん、ここら辺の土地勘は僕に備わっておらず、店一つを探すのも一苦労だった。
僕はやっとのことで見つけ出したアクセサリーショップに入店する。
いろいろ姉さんに似合いそうなものを探してみるが、なかなかしっくりとくるものはなかった。
そうやって僕がなにを買おうか決めかねていると、一人の女性店員が近づいてくる。
「なにかお探しですか?」
「あ、実はある人にプレゼントしたいんですけど、僕、こういうのには詳しくなくて」
「もしかして、彼女さんにプレゼントですか?」
女性店員がにっこりと笑う。ここで従姉にプレゼントとか言ってもどうせ信じてはもらえないんだろう。
「まあ、そんなところです」
「そうですか。では、こちらなんていかがでしょうか」
差し出されたのはネックレス。ハート型の装飾がついており、いかにも若い女の子が身に着けていそうな代物だった。
でも、これでいいか。そんなに時間もないわけだし。
「じゃ、それにします」
「かしこまりました。では、包んできますね」
「おねがいします」
しばらく待つと先ほどの女性店員が戻ってきた。
「では、こちらで間違いありませんね。がんばってください」
「はい、もちろんですよ」
「…………来ない」
あれから三○分。とうに待ち合わせ時間を過ぎているのに姉ちゃんは一向に姿を見せない。さっきから携帯に電話をしてるいが繋がらない。
「ったく。誘ってきたのは姉ちゃんの方じゃんか」
まあ、時間にちょっとルーズなところがあるのは知っていたけど、大幅に遅れるときは必ずメールなり電話なりしてくるはずなのに。今日はどうしたんだろう。
とりあえず、僕は近くにあったベンチに腰掛けた。
ぼんやり町を見ると、どの店もイルミネーションなどの派手な装飾で飾っている。
吐く息は白くで、ピン、と指を弾いたら音でも立てそうな寒さだった。
いつの間にか雪も降り始めた。
雪がイルミネーションの光で反射してなんだか幻想的。
「早く来ないかな、姉さん」
と、小さく呟いたとき、、
キャアアアアアアアアア——————————————————!!
遠くで悲鳴。それも尋常じゃないくらいに土地狂った声。
僕はなんだと、視線を向けた。けれど、暗くてよくは見えない。
近くにいた人たちも面白半分でそれを見に群がった。
僕もその輪に入ろうとした瞬間————背筋に悪寒が走った。
そして、すべてが氷に包まれた。
建物も、木々も、地も。さらには人も氷の結晶と化していた。
比喩的なものではなく実際に、だ。
僕はその光景を疑った。こんなことあるわけない。何度も目をこすっても、まばたきをしてもその状況は変わらない。
しかし、不思議と恐怖感は沸いてこなかった。
そんな感情を押し殺してしまうような、ありえないものを目にしてしまったから。
——少女だった。
右手には少女の身長をゆうに超えた剣が持たれていた。それは透き通っていて、辺りの光で何度も反射を繰り返す。
そう、氷の剣だった。
一振りすれば、すべての物質が凍りついた。
また一振りすれば、それは粉々に砕け散った。
「あ————」
無意識のうちにかすかな声が宙を舞う。
それに気づいた少女が、長い黒髪を揺らしてこちらに向きかえる。見下すような視線で僕をじっととらえていた。
気づくと、氷の剣が僕の首筋を伝った。
「お前は何者だ?」
その問いかけに僕は答えられない。否、声が出せない。氷の剣がまるで僕の首だけを凍らせ、発声を妨げているようだ。
しばらく、沈黙が続いた。
その間にも、僕の首はどんどん氷に侵食されつつある。
「ぁ————、ぁ————」
僕は必死で声を絞り出そうとするけど、かすれ乾いた声ばかりが出る。
「そうか。お前も答えてはくれないのだな」
その時、少女と僕の視線が交じり合う。
僕はなにを訴えようにも、声がでない。意識も薄れつつある。
必死で僕は少女に手を伸ばした。
あと、少し。あ、と……少し、で、届くのに———。
ぷつん、と意識が飛んだ。
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