9 期待
昼飯を終えた俺たちは、湖に沿って北上した。
北回りで西に進むためだ。
幸い、獣道が湖の周りにできていたので、とても楽に移動できる。
足元に注意する必要がないので、自然に湖に目が向いた。
大きく美しい。
青い水面に光が反射してキラキラ輝いている。
いくら見ていても飽きなることがない。
走りながら無言で眺めていると、
「義人お兄様はそんなにブラックシーがお気に召したのですか」
腕の中からフェリシアが聞いてくる。
「ああ、俺は山国育ちで、海や湖をあまり見たことがないからな」
「お兄様は山国育ちなのですか。考えてみれば、お兄様のことは、私は何も知らないのでした。ご自身のことをお話ししてくださいませんか」
フェリシアも目をキラキラさせている。
困ったな。
俺は平凡な高校生で、人に誇れるようなものは何もない。
見栄を張って、いろいろ誇張して話してやろうか。
絶対ばれないし。
…いや、妹に見栄を張ってもしょうがないか。
それに何かあった時に、過剰な期待を抱かせたらまずい。
フェリシアは狙われているのだ。
判断ミスは命にかかわるからな。
自分のスペックを正直に話そう。
「…俺は普通の高校生だ。高校というのは、まあ、大学で専門的に学ぶための準備をするところだな」
「大学にいかれるのですか。学問がお好きなのですね」
学問ってお前…
「好きな科目は歴史。嫌いな科目は化学。弓道部に所属している」
「歴史がお好きなのですか。お兄様が政治にお詳しいのは、歴史をよく学ばれたからですね。化学とは何ですか」
「物の本質を解明したり、新たな物を生み出したりする学問のことかな」
「錬金術のことですね。お兄様は錬金術は苦手なのですね」
…まあ錬金術は苦手だろう。別に間違ってはいない。
「キュウドウとは何ですか」
「弓と言ったほうがわかりやすいか」
俺が答えるとフェリシアは大きくうなずいた。
「弓ですか。わかります。わが国でも人間軍の四分の一は弓兵です。近年では歩兵の装甲が強化されたため、弓の貫通力をどうやって増大させるかが課題となっているとお父様はおっしゃっていました」
…ふむ、この世界では、弓はいまだに現役で、兵器として用いられているわけか。
「弓を学んでいるということは、実戦に備えているということですわね。なるほど、お兄様が戦闘経験がないとおっしゃっていたのは、実際の戦場に出たことがないという意味だったのですね。考えてみればまだ学生ですものね。実戦の経験がないのも当然。納得しました」
なんか変な勘違いされた。
「いや弓をやっているのはあくまでもスポーツとしてであって、実戦をするためではないから」
そう言うとフェリシアはまたしても大きくうなずく。
「スポーツというのは意味不明ですが、言いたいことはわかります。お兄様の足の速さと体の軽さ、格闘能力の高さを見れば一目瞭然。お兄様はあくまでも近接戦闘が本分なのですね。でも遠距離戦闘能力もないよりはあったほうがいい。そこで実戦ではほとんど使わない弓も学んでいるというわけですね。すばらしい向上心ですわ」
まずい。勘違いが暴走しているぞ。
しかし暴走を止める間もなく次の質問が発せられる。
「近接戦闘術は何を学ばれてたのですか。先ほど拝見したように、拳による打撃技でしょうか」
体育で柔道をさせられたと言うとまた勘違いしそうだが。
でも正直に話さないとな。
「…いや、先ほどの技は、ボクシングという格闘技を見よう見まねで真似したものだ。俺が体育で教えられたのは柔道。相手を投げ、抑える格闘技だ」
「見よう見まねで真似した技で、あれほど多くの牛を倒したのですか。驚きました。素晴らしいです」
いや素晴らしいのはこの世界の小さな重力だ。
俺がハイスペックになれるのは小さな重力のおかげなのだからな。
「ただどうなのでしょう。お兄様が教わったという、相手を投げ、抑える技というのは、相手より重くないと役に立たないように思えますが」
そんなことはない。
柔道は押さば引け、引かば押せというように、
相手の力を利用して技をかけるのが神髄だ。
体重差は必ずしも絶対ではない
でも俺は柔道家でもなんでもないから、
たしかに俺より重い奴なんて投げられないだろうな。
ん、この世界で俺より重い奴っているのか。
俺はこの世界では相当重い生き物なんじゃないか。
そう思って、フェリシアを地面に降ろして言ってみる。
「この世界で俺より重い奴はそうはいないぞ。なんなら俺を押してみろ」
いかん。こんな無意味なデモンストレーションをしてどうする。
でもなぜか止まらないぞ。
フェリシアは目をぱちくりとさせたが
「そうなのですか。では失礼して」
そう言って俺を押し始める。
うん、何も感じないな。
蚊が止まったようなものだ。
「…お、重い。なんという重さですの。まるで山を押しているようですわ。お兄様は本当に人間なのですか」
額に汗をにじませながらフェリシアが尋ねる。
「本当に人間だぞ。ただし異世界人だがな」
フェリシアはぺたんと座り込んでしまった。
「なるほど、お兄様がこれほど重いのでしたら、相手を投げ抑え込む技を学ばれるのは理にかなっていますね」
フェリシアは納得したようだ。
誤解を解かなければいけないのだが…
もうなんかめんどくさいからいいや。
放っておこう。
俺もたいていいい加減だよな。
「お父上は何をなさっていらっしゃるんですの」
「父は公務員、母は小さな畑を耕している。俺も畑仕事を手伝うことが多いかな」
「コウムインとは何ですか」
「公務員というのは国や地方自治体に勤める人のことだよ」
そう言うと、今度もフェリシアはうなずいた。
「なるほど、お父上は国に仕えていらしたのですね。文官ですか、武官ですか」
間違ってはいないがどうもニュアンスが違う気がするが…
「…文官だ」
「立派なお仕事ですわ。お兄様が官制に一家言持っていたのも、お父様のお働きを見ていたからなのでしょうね」
いや俺はテレビの前で寝ている父しか見たことはないけどな。
仕事の話を聞いたこともないし。
いつも青い顔をして胃痛に悩まされていたから大変な仕事なのだろうとは思うが、
どう大変なのかはよくわからないし。
「お母様もご立派です。わが国では文官の妻が働くことなどないですのに、畑を耕されているなんて」
うん、たしかに畑仕事をしている母は立派だと思うぞ。
ただ半分は趣味なんだよな。
それに堆肥を運んだり畝を作ったりマルチをかけたり収穫したり荷運びしたりと、力仕事と汚れ仕事は全部俺がやらされているのだが。
「お兄様も農作業をされるのですね。学問と武芸に励まれるだけでなく、勤労もしているとは。ご立派です」
いや単にバイト代ほしさで手伝っているだけなんだけどな。
「それでお兄様は、勉学と武術と勤労以外には、何をされていらっしゃいますの」
「暇なときか。そうだな、本を読んだりネットでゲームをしたりしているかな」
「どのような書物を読まれるのですか」
「最近読んでいるのは、天下を欲する者と義を貫く者と安寧を望む者が三つ巴となり、軍を率いて戦う話だな」
「聞いただけで胸が躍りますわ。ネットでゲームとはなんですの」
「ネットというのは、会ったこともない大勢の人と自由に交流するための道具だよ。ゲームというのは、知略を駆使して相手と戦う、仮想戦闘遊戯のことだな」
「なるほど、わかりました。お兄様は、暇を見つけては、将来、軍を率いるための準備もされていたわけですね」
いやお前、どう勘違いしたらそうなるのだ。
「待てシア、軍を率いるとか考えたこともないから」
「でも暇を見つけては、軍を率いて戦う書物を読み、大勢の人を相手に知略を駆使して仮想戦闘をしているのですよね」
「まあそうだけど」
「ではお兄様は心の奥底で軍を率いて戦うことを望まれているはずですわ」
そうなのかな。
日本で軍を率いて戦うとか言ったら、頭を疑われるだろうけど。
この異世界ではそういうこともありうるのだろうか。
俺は心の奥底では軍を率いて戦いたいと思っているのだろうか。
「お兄様は学生かもしれませんが、戦士としてのみならず将としての才も秘めているような気がします。友軍と合流できたら、元帥や各指揮官にお兄様の才を測っていただき、皆の賛同が得られたら一軍の将として働いてもらいたいと思います。その時にはお兄様、弱いシアを助けるため、お力をお貸しください」
なんか過剰な期待をされてしまった。
なぜだ。
全然大したことがない俺のスペックを正直に話しただけなのに。
どうしようかな。