8 統治
フェリシアの短刀を借り、二匹の鮭のうちの一匹からはらわたを出し水洗いする。
木の枝で串刺しにし、たき火にかける。
火加減をうまく調節しないと表面だけ焦げて中は生ということになりかねない。
注意をしながらゆっくり焼く。
同時に湖の水を大きな木の葉で作った容器に入れて、たき火の脇に置く。
「ふふふ、シアよ、このように湖水を汲んできて日と火にさらすのだ。どうなるかわかるか」
「どうなるんですか」
「王女様はものを知らないな。水分が蒸発して塩が残るんだよ。鮭にふりかけて食うとうまいぞ」
「なんだか胡散臭いですわ」
「まあ見ているがいい」
待つことしばし。
「・・すごい。本当に塩が残った」
「な、言った通りだろ、お、魚もそろそろ焼けてきたな」
「いい香りです」
「ほら、うまそうだぞ、食えシア」
鮭を上下二つ切りにして塩をかけ、下半身を渡してやる。
フェリシアは待ちきれない様子で受け取ると、王女とも思えぬはしたなさで一気にかぶりついた。
「熱くておいしいですわ」
俺も鮭を頬張りつつ答える。
「何せ獲りたてだからな。味付けは塩だけだが十分いける」
「不思議ですわ。王宮の食事のほうがずっと手が込んでいましたのに、焼いて塩をかけただけのお魚のほうがおいしく感じられるなんて」
「捕ったのは俺、焼いたのも俺。塩を作ってかけたのも俺。この鮭の塩焼きには、俺のシアへの愛が詰まっているのだ。王宮の料理なんぞより美味くて当然だ」
「…だんだんお兄様の性格がわかってきました。こういうときは、はいはい、と聞き流すべきなのでしょうね」
「妹よ。なんと悲しいことを言うのだ。兄の愛が信じられないのか」
「愛などという言葉をほいほい連発する人の言うことなど信じられるわけがありません」
「うーむ、よしこうしよう。兄がこっちの生の鮭に愛の魔法をかけてやる。そうしたら生でもおいしく食えるようになるぞ。そうなったら兄の愛を信じるがよい」
「私は生の魚肉など食べませんわ。それゆえおいしいかどうかなど判断できません」
「だから兄が生でも食べられるように魔法をかけてやるというのに」
そう言って俺はもう一匹の鮭を手に取り呪文を唱える。
「愛シア愛シア愛シアシア、シアシアシアシア愛してる」
「なんですのそれ」
「だから愛の魔法の呪文だ」
「つまらないです。全然笑えません」
つんとそっぽを向いたけれど、その頬はうっすら染まっている。
うん、かわいいぞわが妹よ。
こいつをからかうのは飽きないな。
それに身寄りを亡くしたこいつには、
愛してくれる者がこの世界にいるんだということを伝え続けることが絶対に必要だからな。
そんなことを思いながら、フェリシアの短刀で鮭を薄く切り分ける。
「・・・薄く切っただけじゃありませんか、これで料理終了なのですの」
「これに塩をかけて食べるんだよ。このようにな・・本当は醤油がほしいところだが・・うまい」
「大丈夫ですの」
「愛の魔法の力を疑うのか?ほら、シアも食ってみろ。それとも王女様は怖いかね」
「怖くなどありませんわ。なんですかこのくらい」
「といいつつ顔が引き攣っているぞ」
「目の錯覚です・・えい・・・なんだか不思議な食感ですわね。まったりしてとろけるようです」
「うまいだろ?」
「はい、本当に。不思議ですわ。なぜ生なのにこれほどおいしいんですの」
「ふふ、実は、獲りたての魚は生でも食べられるのだよ。刺身というんだ。俺の国の料理なんだ。まあ有害な細菌がついていることもあるから、塩やワサビなどを一緒に食べる必要があるけどな」
「そうなのですか。義人お兄様の国の料理…そういえば私、義人お兄様の国のことは何も知りませんでした。どんな国なのですの」
「どんなといっても…豊かな水と緑に恵まれた小さい国だよ。今は借金に苦しみ、軍は公式には存在することを許されず、他国の脅威に脅かされているけれど、皆で必死に頑張って何とか独立を維持している。うん、いい国だと思うぞ」
そして俺は日本のことを話してやった。
「ドラゴニアとは違いますね。ドラゴニアは巨大で、豊か、軍は精強で、他国の脅威など感じたことのない国でした。でも今や王は死に、王都は落ち、国土の大部分は敵に蹂躙されています」
「皮肉なものだな。弱い日本は独立を維持し強大なドラゴニアは滅びたわけか」
「ドラゴニアは国民である人間に背かれて滅びました。我らの統治は間違っていたのでしょうか」
「わからんよ。俺はシアからほんの僅かばかり話を聞いただけだからな」
「お父様は竜族と人間を決して差別したりしませんでした。それでも人間は不満に思っていたのでしょうか」
「…差別はしなくても能力に応じて区別はしたのだろ」
「それは当然です」
「竜騎兵ひとりは人間兵100人に匹敵するのだよな。これはすなわち竜族は、肉体面でも精神面でも人間よりはるかに優れているということでいいんだよな」
「はい」
「ならば能力主義では、どうあっても竜族に人間はかなわない。常に竜族が社会の上層部を占め、人間に君臨し続け、これが覆るとこはなかったわけだ。つまりドラゴニアは、実質的に竜族による世襲制と同じだったのだよ。人間が不満に思うのも当然だろうな」
「そんな…」
フェリシアはうつむきがちになり唇をかみしめる。
「軍も官も人間にも開かれていたと聞いたが、現実に高位の役職に人間は少なかったのではないか」
「それはそうですが…でもそれは能力主義の結果です。能力主義を取らなかったら無能な者が統治をすることになります。それは国にとって良くないことだと思いますが」
「統治に必要なのは能力だけではない。国民の納得が必要なのだ。ドラゴニアでは人間が国民の9割9分を超えるのだろう。人間が圧倒的に多数派じゃないか。ならば、人間の納得が得られなければ、統治などできるはずがない。どれほど有能な政府であっても王であってもそれは変わらん」
「…お父様は、その、娘の私が言うのもなんですが、人間も含めた国民のために昼夜を問わず働いてきました。それなのに人間は、お父様の統治に納得してくれなかったのでしょうか」
「事実がどうであるかが問題ではないんだ。どう見えるかが問題なんだよ。王も武官も文官も少数の竜族ばかりなら、たとえ彼らが有能で人間のために尽くそうと、人間には、竜族が自らの利益のみを図っているように見え、竜族をねたみ嫉むだろうさ」
「どう見えるかが問題…。そう、そんな風に見えたのですね。どうすれば人間の納得を得ることができたのでしょう」
俺は少し考えて口を開く。
「…国民を統治する者としてふさわしい者を国民自らに選ばせる、選挙制度でも導入すればよかったのかな。俺の国の制度だけれど。これなら人間の納得も得られただろう。また、武官や文官にも、能力が竜族に劣るといえども、人間を多く起用すべきだった。なにせ数が圧倒的なのだからな。要するに多数を占める人間に、ドラゴニア国民としての自覚を持たせ、ドラゴニアは自分たちが守るべきかけがえのない国家であると実感させるべきだったんだ」
「統治する者を、人間を含めた国民に選ばせるわけですか。そうなったら多数を占める人間の誰かが統治者となり、竜族の王は不要になりますね」
「そうでもない。国家を統治するには権力のみならず権威が必要だ。王は権威の象徴となればいい。また、平時はともかく有事には、有能な者による一種の独裁的な権力行使が必要になる。王は竜族で人間に勝る能力を持つのだから、王に有事の際の指揮命令権を与えることも考えられる。王の役割はなくならないさ」
「多くの人間を武官に起用すれば、竜族の武官は減り軍は弱体化したでしょう」
「そのかわり軍に対する人間の忠誠心が高まり、人間軍で裏切りは起こらなかっただろうな」
「多くの人間を文官に起用すれば、竜族の文官は減り行政は停滞したでしょう」
「そのかわり国に対する人間の忠誠心が高まり、王都の城門が開かれることはなかっただろうな」
フェリシアは目をつむって考えていたが、やがて目を開け俺を見た。
「…やはりお兄様は意地悪です。つらいことを指摘する…ドラゴニアが敗れたのは、お父様の統治が、竜族中心の伝統的な統治が間違っていたからなのですね」
「それはわからない。俺はドラゴニアについては本当に何も知らない。感じたことを言っただけだ」
「いいえ、これまで私が思ってもみなかったお話を聞かせていただきました。よく考えてみます。ドラゴニアに戻る前にこういうお話を聞けて良かった。お兄様、ありがとうございます」