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6/12

6 戦闘

翌朝。

わずかに降った雨も上がり、

三重太陽に照らされてそこかしこにできる虹に包まれながら、

俺はフェリシアを抱いて走っていた。

目指すは西。

ドラゴニアは大陸最西端なのだから、

とにかく西を目指せばついにはたどり着くそうだ。

分かりやすくて大変よろしい。

ただそのことを教えてくれた少女は…

「なあ、そろそろ機嫌を直せ」

「…別に機嫌が悪いというわけではありません」

俺の腕の中で何やら不機嫌だ。

さっきまではこうではなかった。

目を覚ました時は、

なにか不安そうにこちらをうかがう表情だったが、

すぐに満面の笑顔になって、

義人お兄様疲れがたまっていませんか、

と言いながら肩をもんでくれたり、

持っていた短刀で桃を剥いてくれもした。

しかしさあ出発だという段階になって

どういうわけかむくれだし、

抱きあげられるのを嫌がったのだ。

別に、フェリシアが歩くというならそれでもいい、

でも、俺が抱いて走らなければ

ドラゴニアに着くのはいつになるかわからないのでは、

と尋ねると、

眉根を寄せて考え込んだ後、

不承不承という感じで頷いたのだが。

この年代の少女は扱いがひどく難しいものだ。

まあ時間が過ぎることで機嫌が直るよう

期待するしかないだろう。

「そうか、さっき言ったように黒い花があったら教えてくれ」

「わかっています」

実は、俺のトレッキングシューズの靴底に着いた

ねばねばの粘着力がなくなってきたのだ。

これだけ走れば当たり前なのだが。

粘着力がなくなれば走りやすくなるかと思うが

この世界ではそうではない。

氷の上を走るような感じになり、

すべって走りづらくなるのだ。

実際先ほど靴を脱いで走ってみて確認できたことだ。

だから、黒い花をストックしておいて、

それを強く踏むことで

シューズの粘着力を回復しようというわけなのだ。

本当は、靴底に大地に食い込むほどの

滑り止めを付けたいのだが、

今はどうしようもない。

そうだ、レオンには、

防具だけでなく靴もいっしょに作ってもらおう。

走りながらそんなことを考えていると

「義人お兄様、あそこを見てください」

とフェリシアに声をかけられた。

花があったか、と思ってフェリシアの視線を追うと、

そこに一頭の牛がいる。

立ち止まって息を整えてから、

牛が警戒しないように静かに近づいてみる。

これは少し大きいだけの普通の牛だ。

先日の蜂みたいに異常な大きさというわけではない。

これなら何とかなるかな。

足を止めてフェリシアを降ろす。

「戦うのですか」

「ああ、草食獣と戦うのが俺の目的の一つだからな。昼飯は焼き肉だぞ」

そう言うと、フェリシアは顔を輝かせる。

この世界にきてから桃しか食べていないものな。

肉を食いたいのはよくわかる。

「頑張ってください、義人お兄様」

「ああ、兄の初陣を、よく見ておくがいい」


ゆっくりと牛に近づいていく。

俺にとって生まれて初めての戦いだ。

しっかりやらないとな。

ん、でも戦いってどうやればいいんだっけ。

一瞬頭が真っ白になり、パニクる俺。

落ち着け。

こういう時は、自分の経験を思い起こすのだ。

自分の経験…だから何もないじゃないか。

喧嘩もしたことがない。

格闘技も習ったことはない。

いやいや待て、格闘技なら、

高校の体育で柔道をやらされただろ。

これを今使わない手はない。

俺が習ったのは、前受け身、前回り受け身、

後ろ受け身、大内刈り、背負い投げ、袈裟固めだ。

前受け身、前回り受け身、後ろ受け身…却下だ。

受け身では牛は倒せない。自分がけがをしないように倒れるだけだ。

大内刈り、右足で相手の左足を内側から大きく刈って体重をかけ相手を仰向けに倒す技だ。

左足を刈って倒す…だめだ。

二本足の人間は足一本刈って体重かければ倒れるけれど、

牛の場合、足が四本ある。

左前足一本刈ってもまだ三本残っているから

仰向けになど倒れないじゃないか。

背負い投げ、相手の体の下に入って襟をつかみ背負うようにして投げる技だ。

体の下に入って投げる…無理だ。

牛の体の下に入るということは、

地面にうつぶせになるということだ。

簡単には入れないし、

入ったところで足を踏ん張れないから投げようがない。

第一牛は柔道着を着ていないから、

つかむところがないじゃないか。

袈裟固め、相手の脇に自分の脇腹を入れて相手の首を抱え込んで抑え込む技だ。

相手の首を抱え…不可能だ。

どうやってあんな太い首抱えるんだよ。

第一どこが首かわからん。

柔道使えねー。

対人戦では最強かもしれないけど牛相手には全く使えないぞ。


仕方がない。発想を変えよう。経験に頼るな。

そうだ、今の俺には強力なパンチ力がある。

このパンチ力を使うべきときだろう。

パンチと言えばボクシングだ。

ボクシングはやったことこそないが、

漫画で読んだりして、ある程度知っている。

男子高校生のたしなみ程度だが。

確か、左足を前に、右足を後ろにして立ち、

ひざを曲げ、体重をやや前にかける。

左手を顔の前に、右手を顎下に構える。

脇を締め、顎を引き、こぶしを軽く握り、

ひねり込むようにして打つのだったか。

ふむ、これなら俺にもできるな。

ファイテイングポーズをとってみる。

すると牛は、俺が戦おうとしているのに気付いたのだろう。

頭を下げ、角を向けて威嚇してくる。

おお、何度も足踏みを繰り返しているな。

土煙が上がり、視界を隠す。

…正直怖い。本当に俺勝てるのか。


牛が一声いなないたと思ったら猛然と突っ込んでくる。

ここは重力が小さい世界。

大丈夫。俺はやれるはず。やれるはず。やれるはず。

複雑なことをしようとしてもできない。

単純に左、右のワンツーでいこう。

10メートル、9メートル。

意思の力で体の震えを止める。

8メートル。7メートル。

シャドーでリーチを確認する。

拳速を確認する。

6メートル。5メートル。

アドレナリンのせいだろうか、

感覚が恐ろしく鋭敏になる。

牛が近づくのがまるでスローモーションのようだ。

4メートル。3メートル。

息が苦しい。心臓が爆発しそうだ。

2メートル。

牛の目をにらむ。俺はお前などに負けん。

1メートル。

世界が消える。もう牛以外何も見えない。

今。

左を放つ。速く、鋭く。

左を引き戻すと同時に右。

体重を移動させながら、

ひねりこむように右拳を牛の顔面中央に思い切り叩きこむ。

閃光のようだ。

自分で放った右拳を、ひいき目ではなくそう思った。

手ごたえは…ほとんど感じない。

でも牛は…低い軌跡を描き、

キラキラ光りながら空のかなたへ消えていった。


やったか。俺は勝ったのか。

勝ったのだ。


意気揚々とフェリシアのところに戻る俺。

「どうだ、兄の戦いぶりは。初陣にしてはまずまずだろう」

あまり得意げにならないように注意したが、

ほころぶ表情と言葉の弾み具合は隠せそうにない。

しかしフェリシアはジト目で俺を見やり、冷たい声で言う。

「…はい、初陣のご勝利、おめでとうございます。ところで義人お兄様、お肉はどこですか」

…忘れていた。


「まったくもう、こんなことなら私が戦うのでした」

肉を食いそびれ、失望したフェリシアは、俺の腕の中で文句を言い続けている。

これが俗にいう食い物の恨みというやつだろうか。

それにしても

「シアは戦えるのか」

「もちろんです。こう見えても私は火竜。火を放つことができるのです。最も戦うことに向いた竜種なのですよ」

「そうだったのか。もしかしてシアに戦ってもらえば、料理をせずとも牛の丸焼きを食べられたのか」

「その通りです。今度からおいしそうな獣が出てきたら、私が戦いますからね」

「ちょっと待て、それでは俺の訓練にならん」

「お肉の確保が先です。出てくるお肉を片端から殴り飛ばされたらたまりません」

ぐ…妹に言い負かされてどうする。

しかし殴り飛ばさずに戦う方法が思いつかん。

今度は蹴りで戦ってみるか…

いや蹴りでも獲物はどこかに飛んでいきそうだな。

それに肉は俺も食いたいし。

やはり今度獣に出会ったら、フェリシアに戦ってもらうとするか。


そう思っていると、なにやら周辺に土煙が。

かなりゆっくり走っているから、俺に並走する奴がいても不思議はない。

しかしこれは相当な数だぞ。

いったい何が走っているんだ。

立ち止まって目を凝らす。

わかった。牛だ。

さっきの牛と同じぐらいの体格の牛が、

おそらくは数百頭、俺たちの周りを走っている。

包囲されたな。

どの牛もこちらをうかがっている。

なんだ、さっきの牛のかたき討ちのつもりか。

ん、腕に伝わる振動に、視線を向けると、

フェリシアがぶるぶる震えている。

「…おいしそうな獣が出てきたが、戦うか」

つい聞いてみるが、フェリシアは涙目だ。

「無理です。何百頭いるんですか。義人お兄様はか弱い妹にこんなにたくさんの野獣と戦えと言うのですか。お兄様は意地悪です」

え、俺が悪いの?

意地悪って、お前が戦うと言ったくせに。

しかしまあしょうがない。

たしかにフェリシアに、

こんなにたくさんの牛と戦わせるわけにはいかん。

「ふむ、ならば俺が戦おう。といっても全部に付き合ってはいられない。包囲網を一点突破するぞ。突破できれば俺たちの勝ちだ。落とされないようにしっかりつかまっていろ」

そう言ってフェリシアから左手を離す。

右手だけでうまく抱けるように姿勢を整えた。

左手を開けたのは、速射性は左ジャブが一番だし、

さっき戦った感覚から打撃力も左ジャブで十分だと思ったからだ。


「いくぞ」

正面に向け走り出す。

重要なのは速さ。

一気に加速する。

牛が驚くのがわかる。

背をかがめ、左拳で顎とフェリシアをガード、

そのまま重心を前に移し肘を伸ばして左を打つ。

すぐに引き戻しまた打つ。

打つ打つ打つ。

左左左左左。

パンパンパンパン。パンパンパンパン。

乾いた音が響く。

正面の牛を殴り飛ばし続ける。

空いたスペースに飛び込みまた打つ。

永久機関のごとく打つ打つ打つ打つ。

鮮血が飛び散り、苦痛のうめき声があがる。

一方、左右からは牛の突撃を受ける。

これはブロックできない。

鋭利な角に肘やわき腹が刺され続ける。

一頭一頭の衝撃はわずかだが数が多い。

痛く、つらい。

熱く、焼ける。

しかし気にしてはいられない。

正面を向いて走る走る走る。

打つ打つ打つ。

走る走る走る。

打つ打つ打つ。

突破だ。


時間にしてみたらほんの数秒だろう。

しかしえらく長く感じた。

「どうだ、見たか」

覚えず吠える。

後ろを確認すると、牛はばらばらに逃げ出し始めている。

もう襲い掛かってくることはあるまい。

「お、お兄様、お怪我は」

「大丈夫、あってもかすり傷だろう。シアこそけがはないか」

「大丈夫です。竜族は体も頑丈なのですよ」

まだ顔は引き攣っているものの、フェリシアに笑顔が戻っている。

よかった。

怪我はないようだ。


少し進み、なだらかな上り坂の頂を超えると、眼下に真っ青な湖が広がっていた。




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