2 涙
俺は今、見渡す限りの花畑の真ん中に座っている。隣では少女が寝息を立てている。
これからどうするか、行動方針を決めないといけない。1人で行動するか、この子と一緒に行動するか。
あのお母さんの話を信じるならば、この子は竜王と王妃の娘、つまり王女だ。
しかも敗色濃厚な国の王女。
命を狙われているらしい。
ということは一緒に行動すれば、俺も命を狙われるわけか。
無理、無理、喧嘩すらしたことがない俺に、命をかけたガチバトルとかできるはずがない。
では、この子をここで見捨てて一人で行動するか。
生き残ることだけを考えたらそのほうが良さそうだな。命を狙われることはなくなりそうだし。
俺にはこの子を面倒見る義理なんてないし。
こんな異界に追いやられたのも、この子のお母さんのせいだし。
なんだか思い出したら腹が立ってきたぞ。今ここでこの子見捨ててやろうか。
・・・いや、しかし、もちろん助けますよ、と言ってしまったな。
お母さんの行為も、子供を助けるためなのだから、仕方なかったのかとも思えてしまう。
それにこんな幼い子を見捨てるとか、やはり後味悪い。映画の主人公なら、絶対この子助けるよね。
・・・しかし俺はそんなにできる子ではない。
ホントどうしようか。
そんなふうに下手の考え休むに似たりをしていると、
ぶぶぶぶ、ぶぶぶぶ、と上空から不可思議な重低音が響いてきた。視線を向けると蜂がいる。
なんだ、蜂か。まあ花畑だし、蜂がいるのも当然・・・・・・ん 近づいてくるのか だんだんデカくなるぞ
ってデケーよ!
なんで蜂が身長170センチの俺と同じくらいにデカいんだよ!さすが異界。
やばい、眼が爛々と光っているじゃないか。
刺したくって、刺したくって、うずうずしているって感じだ。
蜂って小さくても刺されるとすげー痛いよな。このデカさなら刺されれば即死は確実だ。
迷っている暇はない。速攻逃げる。
俺は、とりあえず女の子を抱き上げ(嘘のように軽い)、一目散に逃げ出した。
・・これからどうするか?行動方針?そんなことは逃げ切ってから考えればいいさ。
一般的に言って、空を飛ぶ生き物は速い。
同じくらいの大きさなら、地を這う生き物が空を飛ぶ生き物に、速さで勝つことは難しい。
ということは、俺が巨大蜂から逃げるということは難しいということか。
と、逃げ始めたときは思っていたが。
なんだ、速い、速いぞ、すさまじい速さだ。
いつの間にか俺は、新幹線なんかめじゃないほどの速さで疾走している。
一度地を蹴ると体感で1キロくらい進むんだけど。
なにこれ、眠っている間に改造手術でも受けたのか?加速装置でも付けられたのか?
これなら逃げ切れるかもしれない。
飛ぶように流れる景色。
頬を切る風が心地よい。
体が軽い。羽が生えたようだ。
走ることが恐ろしく楽しい。
すさまじくいい気分だ。
笑いがはじけて止まらなくなる。あはははは、あはははは、あーはははははははっ
・・・・ふと見ると、抱きかかえた少女が目を覚ましている。
銀髪の髪。雪のように白い肌。優美な鼻梁。桃色の頬。まるでフランス人形だ。
でっかい青い目で俺を見つめている。
・・・ちょっと涙ぐんでいるようだ。体が震えているな。怯えているのか?
・・・・なにかまずい気がすごくするぞ。どういうわけだ?
「なぜ私はあなたに抱かれているのですか」尋ねる少女。
「怖い蜂の化け物から逃げるためだよ」答える俺。
「その化け物はどこにいるのですか」尋ねる少女。
「俺たちの後ろにいるだろう」答える俺。
後ろを見やり「いないようですが」尋ねる少女。
俺も後ろを振り返る。たしかに巨大蜂はいない。
「・・・・・」答えられない俺。
立ち止まって少女を降ろす。まあ巨大蜂からは逃げ切ったようだ。よくやった俺。
しかし次の危機が迫っている気が・・・・だらだらと冷たい汗が背中を流れ落ちる。
「あなたは誰ですか」
「柏崎義人」
「地位は」
「・・・・県立A高校2年生?」
「身分は」
「・・・・A市市民?」
「なぜ語尾が上がるのですか」
「地位とか身分とか考えたことがないからな・・」
「なぜ先ほどは哄笑していたのですか?」
「・・・・いや、なにか楽しくなってしまって、つい・・・・・」
「ここはどこですか」
「・・・・どこだろう?」
「私をどうするつもりなのですか」
「・・・・どうしよう?」
そして最も答えづらい問いが発せられる。
「・・・・お母様はどこですか」
この子のお母さんがどうなったのか、本当のところは俺にもわからない。
でも彼女は、驚自分の命が長くないと言っていた。
死ぬときに渡すという竜魂を俺にくれた。
この子を抱きしめキスしお別れをしていた。
そして、自分を残して、俺とこの子をこの世界に転移させた。
とすれば、まず間違いなく、彼女は死んでいる。
そうとしか考えられない。
では、そのことを、今、この子に伝えるべきだろうか。
伝えたくはない。
伝えればこの子は、悲しむだろう。泣くだろう。まだ本当に子供なのだ。
しかし尋ねられた以上、黙っていることなどできない。
伝えられるのは俺しかいないし、もし俺と別れ別れになってしまえば、この子がお母さんのことを知るすべはなくなってしまうからだ。
覚悟を決め、お母さんの言葉を思い起こしながら口を開く。
「君のお母さんは、竜殺しの剣に竜命を貫かれながらも君を連れ異界、俺の世界のことだ、に転移した。俺の世界で君に静かに暮らしてほしかったようだ。しかし何か不都合があったらしく、君が俺の世界では暮らせないことが分かった。そこで俺に、君のことを助けるように頼んで竜魂を渡し、最後の力で君と俺をこの世界に再転移させたんだ。残念だがもう・・・亡くなられているだろう」
「やはり、そうだったのですか」うつむき、言葉を絞り出す「お母様・・・」
「お母さんの最後の言葉を伝えるぞ。『もう抱いてあげられない。先に逝くお母さんを許してね。あなたが産まれてくれてお母さんもお父さんも幸せだったわ。ありがとう。シア。愛しているわ』以上だ」
「・・・・・」声が震え、肩が震える。涙がとめどなくあふれ落ち、足下に咲く花々を濡らしていく。
大きな声で泣き叫ぶこともせずに、静かに震え続けるこの少女を、俺は思わず抱きしめていた。
こういう時は、誰かに抱きしめられて人肌の暖かさを感じながら泣くほうが良いのだ。
そう思ったからだ。
そのまま一言もしゃべらずに、しゃべれずに、俺はこの子を抱きしめ続けた。
ぱちぱち。
闇の中で炎が躍る。寒さはないものの、夜の闇は物騒だと思い、たき火をすることにした。
少女、フェリシアは、泣き疲れて眠っている。
一定時間ごとに薪をくべながら、フェリシアと言葉を交わしてしまったなあ、と思う。
やはり言葉を交わすとダメだ。情が移る。もはや俺には、この子を見捨てることはできそうにない。
信頼できる大人を探して預けるということも考えられるが、フェリシアが望むのであれば、俺はフェリシアとともに生きよう。
どうやら俺は超人的な走力を得たらしいからな。危険があればフェリシアを抱いて脱兎のごとく逃げればいいさ。
なにせフェリシアはあり得ないほど軽いからな。抱いて逃げるのになんの困難もない。
大丈夫。どんな危険があろうとも、逃げて逃げて逃げ切ってやる。
そう決心した。
論理的な思考に基づき行動する人ならば、俺を馬鹿と笑うだろう。
確かに俺は馬鹿のようだ。
でも決心して少しだけ気分がよくなった。
馬鹿な人間のほうが気分よく生きられるらしい。新たな発見をしたようだ。
考え事をしながら炎を見ていると、やがて瞼が重くなる。
俺は睡魔に若干の抵抗を試みた後、眠りの誘惑に身をゆだねた。