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12 虎

「ほう、虎か。大きいな」

「こちらをじっと見つめていますわ」

 たしかにこちらを見つめているな。元の世界だったら虎に見つめられたらパニックになっていただろうが、この世界の俺はスペックが上がったせいか恐怖心を感じない。これは冷静に行動できるという意味ではいいことだ。ただ恐怖心は回避行動の原動力でもあるので、こののち身体能力が落ちた時にも強者に対して恐怖心を感じないままだと、攻撃を回避するのが困難になり極めて危険だ。普段から自覚しておくべきだろう。まあそれはともかく、虎をどうするべきかなのだが、

「虎など無視だ無視。俺たちは早くドラゴニアに着かねばならない。虎になどかかわっている暇はない」

 と俺は言って前を向き走り出そうとした。なにしろ数百、ひょっとしたら千を超える巨大蜂と戦ったのだ。戦闘経験は十分に積むことができたはずで、いまさら虎一頭と戦う意味はないからな。虎は肉食獣だから食うこともできないし。しかし、その時フェリシアが

「あ、虎が羽を出しました」

 と警告を発した。

「乱視かシア。虎には羽などないだろう」

「でもほら、すごい勢いで飛んできますわ」

 なに、空飛ぶ虎だと?いくら異界でもそれはないだろうと思って振り返ったが、フェリシアの言葉通り羽をはやした虎が滑るように滑空してきた。しかも速い。かなりの距離があったのに一瞬で間合いを詰めた。そして俺たちの前方上空で停止したまま宙を漂う。

「う、信じられん」

 小さめの顔に輝く瞳、猫のような口ひげ。長く鋭く白い牙が特徴的だ。体は引き締まっていて均衡が取れている。背から生えた二枚の羽は、薄い黒色をしていて青い空に映え美しい。体の周囲に金色のかすみがただよう。まるで全身から清浄な霊気があふれ出ているようだ。なによりも、もふもふの体毛が気持ちよさそうだ。撫でてみたい。いやこれはペットに対して抱く感想だな。

「驚きました。これは神獣ですわ。知能が高く、霊格が高く、言葉を交わせる獣です」

 神獣か。名前からして凄そうだ。単なる猛獣ではないということか。いったい何をするつもりなのかはわからないが、慎重に対応せねば…

「やあ、そこ行くお嬢さん。何か強烈なオーラを感じたのでやってきたよ。初めて見る子だけど、かわいいねえ。今暇かい」

 思わず全身の力が抜ける。

「…知能が高く、霊格が高い?どこがだ」

 俺はフェリシアを見やった。さぞジト目になっていることだろう。

「いえその…」

 フェリシアも答えようがないらしい。目と口を大きく開いてハニワのように固まっている。一方虎は、俺たちの困惑など無視してフェリシアを口説き続ける。

「この辺りは俺の領分なの。いやこの辺りつーか、湖より西は大体俺の領分なんだけどね。美味い肉を食えるところをたくさん知っているぜ。俺のとっておきの狩場だ。来なよお嬢さん」

 あきれた俺は我知らず声を上げる。

「どう見ても残念なナンパやろうだよなあ。ていうか虎って竜族をナンパするのか。竜虎相打つというくらいだから、仲悪いものだと思っていたが」

 そこでハッとする。いかん、ついフェリシアが竜族であることを言ってしまった。

「やっぱりお嬢さんは竜族か。でもね、俺は気にしないよ。俺はそんな古臭い伝統になどしばられない。俺は自由に生きるのさ」

 ふうむ、この虎、種族による偏見はないようだな。竜族を敵視しているようでもない。フェリシアが竜族だと言う理由だけで攻撃されることはなさそうだ。その点は良かったが、それにしても

「青年の主張をする虎か。シュールだな」

「俺は虎だが青年だからね。青年の主張をするのは当然なのさ」

「なんか好感のもてる若者みたいなところがムカつくんだよ。黒と黄のシマシマノくせに」

「虎を見かけで判断するのはやめないか」

「虎を見かけで判断せずに何で判断するんだ」

「内面だ」

「お前は内面がナンパやろうだろうが」

 そう、兄の目の前で妹をナンパするなど許せるはずがないのだ。たとえ虎でも例外ではない。俺は殺意のこもった目で虎を睨む。しかし

「俺は美の崇拝者にして讃美者。美しい人がいれば褒め称える。それが俺の義務なのさ」

 俺の視線などものともせずに、ふんぞり返る虎。

「まあ、美しい人だなんて」

 フェリシアが両手を頬に寄せていやいやをする。うれしそうだな、オイ。

「シアも虎に口説かれて頬染めてるんじゃない」

「お前さん、野暮なことを言うんじゃないよ。愛があれば虎も竜も関係ないのさ」

「愛などという言葉をホイホイ使いやがって。虎は言葉が軽すぎなんだよ」

「お兄様がそれを言いますか」

 グサッ。なんか投げたブーメランが戻ってきて刺さった音がした。しかし妹よ、お前は俺の味方ではないのか。

「うう、たしかに俺が言うのはおかしいかもしれんが…」

「お兄様よりこの虎さんのほうが口説きのセンスがありますよ。まずほめる。次においしいものを食べに行こうと誘う。さらにほめる。そのほめ方もしつこさがなくあくまで軽やかです。完璧ですわ」

 まずい。フェリシアの虎に対する好感度が上がっている。これは危険だ。

「待て、シア、お前は騙されているのだ」

「いいかげんにしなよ。このお嬢さんも俺に好意があるの。お前さんは割って入るんじゃないよ。大体お前さんは誰なのさ」


「このナンパ虎が偉そうに。俺はシアの兄だ」

「へえ。竜族のお嬢さんの兄かよ。お前さんはただの人間にしか見えないのだけどね。…ん、いや違うか。お前さん…なんだ」

 虎が目を細める。雰囲気が変わったか。それに初めて俺に興味が向いたようだ。ぞくり。背筋に寒気が走る。虎の姿が大きく見える。こいつ、蜂などとは違うぞ。いかん、こんなことで気圧されされるな俺。目に力を入れて虎を睨んで言う。

「なんだと言われてもな。俺は人間だよ。ただし異世界の人間だ」

「ほう、異世界か。よくわからないけど普通の人間ではなさそうだね。この世界の存在としてはあり得ないほどに重すぎる」

「わかるのか」

「俺は集中して見つめると物の重さがわかるんだよ」

「自慢するようなことか」

「余所は知らんがこの大平原では、重さは強さにつながるからね。重いだけでは無意味だけど、重くそして速いとなれば、それは強いということなの。すなわち俺は他者の強さがわかるわけ。これはちょっとした能力なんだぜ」

 なるほど、便利な能力かもしれない。女の子には嫌がられるだろうが。

「お前さんは重い。そして走るところを見ていたからわかるがお前さんは速い。すなわちお前さんは強いってこと」

「だからなんだよ」

「俺と勝負しろ。普通、弱い人間に対してはこんなことは言わないのだけど、お前さんとはやってみたい。この辺りで俺を楽しませるやつはもはやいなくなってしまったからね。俺が勝ったらシアちゃんをもらうよ」

 勝負ときたか。この虎、まるで少年漫画のノリだ。どうしようか。無視して西へ走り出してもいいけれど、この虎追ってくるだろう。こいつかなり速く飛べるんだよな。平地ならともかく山越えをするとなると、そこで追いつかれるはずだ。となると山で戦うことになる。山で戦うのはまずい。足場が不安定だからだ。それくらいなら今ここで戦うほうがいい。まあ何とかなるだろう。この虎はかなりの強敵だろうが、一応理性的だから、命のやり取りにはならないだろうし。フェリシアに乱暴狼藉しそうな感じもしないから、フェリシアの守りに気を使う必要もないし。だから俺はこう答える。

「シアの意思を無視して賭けの景品にすることなどできん。が、俺が負けて、シアがお前について行きたいとい言うならば俺は止めん。それでどうだ」

「それでいい」

「お兄様、何を馬鹿なことを」

 フェリシアが血相を変えて詰め寄ってくる。

「心配するな、シア。俺は負けん」

 そう言ってフェリシアを落ち着かせてから

「そうは言ってもただで戦うのはばかげている。俺たちにも何かメリットがなければ勝負などする意味がない。そこでだ、虎よ」

 と、俺は虎に呼びかける。

「俺が勝ったならば、お前には俺の配下になってもらうぞ。ずっとというわけにもいかないだろうから、期限1年ということでどうだ。1年の間、俺たちのために働くのだ。その間、シアを口説くのは禁止だからな。いいか」



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