1 転移
3月に入っても、北の街にはところどころに雪が残っている。
俺、柿崎義人は、眠い目をこすりつつ、チャリのペダルをこぎ続けた。
高校のホームルームまであと10分、何とか間に合うか、と思いながら角を曲がる。
すると、道路の真ん中に、女性が2人倒れている。
2人とも、黒皮の、奇妙で、それでいて高級そうなコートを着ている。
おいおい、こんなところで寝ていたら車にひかれちまうぜ。
とりあえずチャリを停めて近づいてみる。
一人は20代後半か、落ち着いた感じのお姉さん。もう一人は中学生くらいか。
ともに銀髪の美人さんだ。外人さんかな。顔つきが似ているところからすると姉妹だろうか。
どうやら厄介ごとらしい。遅刻だな。ため息が漏れる。まあ仕方がないか。
お姉さんの肩に手をかけ、ゆすりながら声をかけてみる。
「どうしました。大丈夫ですか。ここは道の真ん中です。危ないですよ」
その呼びかけに、お姉さんが意識を取り戻した。
「・・うう」
しかし顔色が悪いな。まるで血の気がない。
「お、重い・・」
重い?何のことだ?疑問に思ったが、後回しだ。
「大丈夫ですか」もう一度尋ねる。
「具合がよくないようでしたら救急車を呼びますよ。とにかくここは危ない。道の端に行きましょう」
「・・そう、異界にたどり着いたのね。しかしこの重さは・・竜族の私が身動きすらできないとは」
竜族?本当に何のことだろう?電波なお姉さんなのだろうか。
まあそんなことは後だ。まずはお姉さんを抱え上げる。ん、軽い、すさまじく軽いぞ。
一瞬唖然とするが、それでも気を取りなおして道路脇まで運ぶ。
次に女の子を運ぶが、この子もあり得ないほど軽い。
たとえダイエットをしているとしてもこれはあまりに変だ。なにか俺の知らない病気なのだろうか。
二人を道の端に体育座りさせておいて携帯を取り出す。
「待っていてください。今救急車を呼びますから」
そう言って119番にかけようとするとお姉さんが口を開いた。
「私はドラゴニア王国の王妃ファーラ。竜族です。この子は私の子でフェリシアといいます。・・・どうやらあなたは善い方のようですね。あなたには申し訳ないのですが、一生のお願いです。どうかこの子を助けてください」
また竜族出たよ。しかも王妃かよ。それにこの子は子供なのかよ。妹にしか見えないぞ。
何歳でこの子産んだのさ。
心の中で突っ込みを入れつつ答える。
「もちろん助けますよ」早く救急車を呼ばないとな。
お母さんは、その答えにほっとした表情を見せると、再び口を開き、俺にとっては意味不明な言葉を吐き出した。
「ありがとうございます。実は、私はもう長くはありません。竜殺しの剣で竜命を貫かれてしまいました。その後この世界に転移したので力はほとんど残っていません。この子がこの異界で静かに暮らせればと思ったのですが、重すぎて、無理なようです。この子を元の世界に戻すしかありませんが、敵の手に落ちれば殺されることは必定。お願いです。この子を守ってください。地位も名誉もなくていい、ただこの子に幸せな一生をおくらせてあげてほしいのです。身勝手でひどいお願いだということは重々承知しています。でもあなたにお願いする以外、この子を救う道はないのです。せめてものお詫びのしるしに私の竜魂を差し上げます。竜王族の魂で、竜王族が死ぬ際に分け与えるものです。フェリシアにはすでに父王の竜魂が与えられたので、私の竜魂はあなたに差し上げます。強く願うことで理想の自分になれます。使えるのは一回だけなので、明確で強固な意志で願ってください。理想の自分になれるでしょう。こんなことで許されるとも思いませんが、子を思う母のエゴ、通させていただきます。ごめんなさい。あなたに幸いがありますように」
溢れ出すマグマのごとく紡ぎだされる言葉の奔流に、唖然と固まる俺をよそに、お母さんはなんとか上体を動かし、横に座る女の子、フェリシアだったか、にキスをする。
「もう抱いてあげられない。先に逝くお母さんを許してね。あなたが産まれてくれてお母さんもお父さんも幸せだったわ。ありがとう。シア。愛しているわ」
何このシリアスな場面?
お母さんはフェリシアに頬ずりしもう一度キスをする。
そしてフェリシアの姿を目に焼き付けるかのように見つめた後、俺に視線を移す。
強い意志をこめた目だ。
「これが竜魂です」
お母さんの左胸のあたりから、まばゆく輝く光の球があらわれ、それは一瞬宙をさまよって、俺の左胸に吸い込まれた。
「強く、激しく、心の奥底から、理想の自分を想ってください。想いが強ければ強いほど力も強くなります。信じてください、必ず理想の自分になれます。機会は一度きりですからね、いいですね」
いいも悪いもないよ、俺に何を言えと。
「では私に残された最後の力で、あなたとフェリシアを転移させます。心を無にしてください。いきますよ」
お母さんが呪文を唱えると、俺とフェリシアの足元に銀色の文様が現れる。
円の中に整然と並ぶ無数の星。魔法陣だろうか。
すると強い力で魔法陣の中に引きこまれ始める俺とフェリシア。
「まじかよ、ちょっと待ってくれよ」
やばい、このときになって初めて俺は事態の異常さを実感する。
しかしもはや後のまつりのようだ。
沈みゆく体、下がる目線。
「いやだ、いやだ、なんなのこれ、助けてくれよ」
「心を無にして」
最後にそんな声が聞こえ、やがて意識が遠くなった。
うー よく寝た。それにしても、妙な夢だったな。美人が出てくるのは歓迎するけど、電波な人は簡便してほしい。
そう思いながら体を起こし周囲を見て驚く。
なぜか周り一面が花畑になっていた。赤青黒白の花々が咲き誇り、甘い香りが立ち込めている。
はるかに見えるは地平線。どの方角にも山の影さえ見えない。
ん、地平線?地平線なんて初めて見るぞ。何せ山国育ちだからなあ、俺は。
妙に暖かいし。ていうか暑い。初夏と言ってもいいほどだな。今は3月のはずだろ。
・・まあそんなことはどうでもいい。
問題は、俺のすぐ隣に、花々に体半分沈ませて黒いコートの女の子が横たわっていることだ。
見覚えがありすぎる。あの子だ。
「ということは、夢じゃなかったということか」
頬をつねる。普通に痛い。これは現実だ。いや待て、落ち着け俺、こんなときには青い空でも見上げて・・
・・・太陽が3つあった。
間違いない。ここは地球じゃない。異界だ。
俺、元の世界に帰れるのだろうか。