委員長の通信簿 3
「失礼しました」
そう言いながら職員室の扉を閉めた。
窓の外を見てみると、グラウンドは夕日で赤く染まっていた。
野球部やサッカー部がドロドロな格好で、道具を片付けている。時計を見てみると、短い針と長い針が立て一直線に並んでいた。つまり、午後6時ジャスト。いつもならバイト先でのんびりと本を読んでいる時間帯だ。
今日は、バイトが休みで特にやることが無かったからいいけど。
終礼が終わって、さぁ帰ろうとしたら担任の先生に呼び止められ、そのまま職員室。
そこで待ち受けていたのは、午前中の授業を受け持っている先生たち4人。予想通り、午前中寝て過ごしたことに対する説教が俺を待っていた。
『高校生としての自覚が足りない』とか、『これだからゆとり世代は』とか、『たるんでるぞ!』だとか、『成績がいいからって調子に乗るな』だとか、言いたい放題言われた後、反省用の課題が大量に出され、それが終わるまで帰られないって言う地獄を味わったところだ。
テストの予習と思えばなんともないけど、2時間半くらいぶっ続けで課題をやっていたからかなり疲れた。
重たい足を引き釣りながら、教室へ向かう。
いつもは、いろんな喋り声が聞こえてきて賑やかな廊下も、今は誰も居ない。
部活動をやっている奴らも荷物は部室へ持って行ってるはずだから、教室に用事がある奴なんてまず居ない。よって、今の時間、廊下に居る人間なんて居残りさせられた俺みたいな奴か、見回りの先生くらいだ。
このまま学校に居てもやることが無いし、さっさと帰ろう。そう思うと、俺は歩く足を速めて教室へ向かった。
教室の扉を開いた俺は固まっていた。
誰かの告白シーンを見てしまったわけでもないし、なにか魔術的な儀式が行われていたわけでもない。
ただ、そこには予想していない人物が窓際の席に座っていた。
今井沙希
うちのクラスの委員長だ。
成績優秀で運動神経も良い。肩口で切りそろえられた髪や、赤いメガネの向こうにあるやや釣り眼気味な瞳が印象的な美人さんだ。
ただ、結構口が悪い。
悪意に満ちた悪口ではなく、ただ言い方がきついだけなんだけど、目の印象と言葉遣いで結構怖い印象を受けてしまう。
始めは俺も怖い人だと思っていたけど、慣れてしまえばどうってことなく、気さくで話しかけやすい良い人だ。完全に言葉遣いで損をしてしまっているけど。
今井は扉を開ける音でこっちに気付いたようで、窓の向こうを見ていた顔をこちらへ向けた。
「こんな時間まで学校に居るなんて、よっぽど学校が好きなんだね。机で寝てしまうくらい学校が好きだなんて思わなかった。まぁ、世の中広いからそういう変な趣味をもってる変態さんも居るかもしれないし、アタシは気にしないよ」
「別に学校が好きでこんな時間まで居るわけじゃないし、そんな変態でも無い!っていうか、今井こそどうしてこんな時間に学校に居んの?」
俺の言葉を聞くと、今井はとてもつまらなそうに窓の外に視線を移した。
なんというか、ものすごく憂鬱そうって言う言葉が似合う感じ。
「知らない男子から告白されてた。それはそれは熱くて暑い告白をしてくれたわけ」
「その割にはおもしろくなさそうだけど?」
「まぁね。知らない奴だし、興味もないからソッコーで断ってあげたんだけど、しつこく食い下がられてものすごくうざかった。なんかさ『付き合ってる内に好きになるかもしれないから』とか言っちゃって、笑えて来るよね。こっちの気持ちなんて完璧無視で、自分の都合ばっかり押し通そうとしてさ。挙句の果てに、逆切れして帰って行ったよ」
「そいつも残念な奴だな。まぁ、それだけ好きだったってことじゃないの?『絶対諦めたない!』みたいな?」
「あ、それも言われた。諦めたくなくても、諦めても結果は同じなのにね」
そこで、今井は一つ大きな溜息をついた。そして、窓の外から俺のほうへと視線を移した。
「ねぇ、どうして告白ってするのかな?」
「さぁ?俺は告白とかしたことないからわかんない。けど、自分の思いを伝えたいからじゃないのか?」
「そっか。自分の思いを伝えたい……ね。けど、そんなことして失敗したらその思いも壊れちゃうじゃん。それだったら、やっぱり自分の中にとどめておけばいつまでも壊れずに済むとアタシは思うんだ」
そう話す今井の表情は、ある種の諦めの色が浮かんでいた。
告白して失敗するくらいなら、その思いを自分の中だけにとどめて相手には伝えないほうが良いって今井は言う。
「今井は誰かに伝えたい思いってもんがあったりするのか?」
「さぁね。もしあったとしても、アタシは自分の中だけにとどめるけどね」
そう言って笑う今井。だけど、その笑顔はなんだか見ていてとても切なくなる、そんな笑顔だった。
どうして、そんな顔をして笑うのか俺にはわからない。さっき今井が言っていたことも、理解は出来るけど納得は出来ない。告白もしたことないけど、どういう気持ちで思いを伝えるかを想像することは出来る。だから、思った事を今井に伝えようと思った。
「伝えたらもしかしたら、付き合えるかもしれないのに伝えないって言うのはすこしもったいない気がするけどな」
「付き合えるかもしれない、だけど付き合えないかもしれない。むしろ、付き合えない可能性のほうが高い。それだったら、わざわざ危ない橋を渡る必要なんて無いんじゃないかな?」
「多分だけど、告白する奴って言うのは、付き合いたいから思いを伝えるんじゃなくて、今の関係じゃ嫌だから、何か変化が欲しくて告白するのかもしれないと思うんだ。まぁ、今思いついただけなんだけど」
「そういう考え方もあるね……う〜ん。まぁ、アタシには縁の無い話だけどね」
さっきから気になることが一つだけある。
これは、多分言う必要の無いことだけど、この際だ。一応聞いておこう。
「あのさ、さっきから気になってたんだけど」
「ん?なに?」
「そこ、北原の席だよな?」
そう口にした途端
教室内の空気が凍った。
こっちを見たまま固まっている今井。
俺もなんだか身動きが取れない。説教を食らっているときに身動きが取れないアレのような感覚だ。
別に、悪いことなんてしてないけど金縛りにあったみたいに口一つ動かすことが出来ない。
そして、固まっている今井は見る見るうちに顔を真っ赤に染めていた。
林檎のように真っ赤になったところで、突然叫びだした。
「ま、間違えただけよ!別に、北原がどういう風景をここから見てるとかそんなの全然考えてないし!たまたま腰を下ろした席が北原の席だっただけで、北原がどういうことを考えてるか少しは分かるかな?なんて思ってここに座ったわけじゃない!ほんとにたまたまだし!自分の席と間違っただけだし!」
まくし立てるだけまくし立てると、息を切らしながらさらに言い訳を続けようとする今井が目の前にいた。
というか、どれだけ言い訳を並べようとしても言ってることがチグハグだし、なんに関しても北原の名前が出てくるし、わざとやってるんじゃないかってくらい動揺して事実を暴露し続けていた。
パニックって怖いね。
心の底からそう思った放課後の教室でした。
◆
今井が落ち着いたのは約10分後、赤く染まっていた教室は夜の闇に追い立てられすこしだけ青く染められようとしている。
今俺は、今井と一緒に下校中だ。
女子と一緒に下校する。それも、幼馴染じゃなくて本当にただのクラスメートと一緒だ!なんて高校生活を充実してるんだろう!……なんて浮かれることは出来なかった。
明らかに俺じゃなくて、北原に好意を向けているのにどうしてはしゃぐことが出来ようか。いや、俺には無理だ。
だが、はしゃぐことは出来なくても気持ちは結構浮かれていたりするもんだ。健全な高校2年、女子と一緒に下校するなんてかなりレアイベントだ!例え自分に好意を向けられていなくても、充分に楽しいイベントだったりするはず。
「はぁ〜」
するはずなんだけど……今は全然気持ちが浮かれない。
女子と下校……楽しいイベントはずなのに、肝心の女子が溜息ばかりついて会話が成り立たないからだ。
「ずっと溜息ついてるけど、俺は絶対に北原の席に座って北原のこと誰にも言わないってば」
「それは分かってるんだけど、なんというか、あんなところを見せてしまった自分が恥ずかしいというか、今日に限って居残りしていた白鷺が腹立たしいというか、むかつくというか」
「いやいや!俺は確かに先生に呼び出されて居残りしていたけども、今井にそのことで非難されるいわれが無い!」
「それも分かってるんだけどね。なんていうか、とりあえず八つ当たりしておかないと気がすまないって言うかね。まぁ、そんな感じなのよ」
隣を歩く今井は、一言で言うと憂鬱そのものだった。
ちなみに、どうして一緒に帰っているかと言うと、帰る方向が同じだからだ。
気まずくなるのが分かってるのに、一緒に帰りたがる奴なんて居ないだろ?
「ねぇ、佐奈と白鷺って幼馴染なんだよね?」
こっちから話しかける以外はずっと溜息しか口から出さなかった今井から話題が振られた。
「そうだ。幼稚園の頃からずっと一緒だ。しかも、クラスもずっと一緒だし、所謂腐れ縁っていう奴だ」
「マジで?そんなずっと一緒なんだ。まぁ、見てたら分かるけどかなり仲良いもんね。ズバリ、その仲の良さの秘訣は?」
「ん?秘訣?そうだな〜、言いたいことは溜め込まないでその場で言ってスッキリすることかな?変なことで我慢して相手に合わすとか、そんなのおかしいし。まぁ、佐奈の性格を考えたら絶対に思ったことがそのまま口に出てるだろうけど」
「ん〜。そっか、そっか。ありがと、あんまり役に立ちそうに無いけど、とりあえず覚えとくよ」
そう言いながら、こっちを向いて微笑む今井は結構可愛く見えた。
だが、そっと毒を吐くその性格のせいか、その笑顔を素直に受け取れない。全く、もったいないよなせっかく可愛いのに。
「今井も思ったこと溜め込まないですぐ言うタイプだろ?」
「そう思う?」
「おう、今まさにそう思った」
「じゃあ、そうなんじゃない?けど、佐奈みたいに本心駄々漏れなんてことは無いと思うけど。隠すことはちゃんと隠してるつもりだしね」
「北原のこととか?」
ピタっと今井の動きが止まる。ヤバイ、ちょっと地雷踏んだかも。
「……うん。北原……拓真に関しては全然素直になれない。どうしても、どうがんばっても素直になんてなれなかった。だってさ、怖いじゃん。何にも思ってないって言われるのがさ」
悲しそうに笑う今井に掛ける言葉が見つからない。
俺にはわからないくらい、北原のことを考えてる。そんな片鱗を見た気がした。興味本位で口を出してはいけない領域。そんなのを見せ付けられた気がした。
どれだけの思いを今まで貯め続けてきたのかとか、どれだけ北原のことを思っているのかとか、色々なことが頭に浮かぶんだけど、どうやってもうまく言葉に出来ない。
「ごめんね。白鷺には関係ないことだった。それに、こんなの白鷺に言っても意味ないし。まぁ、すこしだけ白鷺と佐奈の関係のことも参考にさせてもらうつもりだから、今日話したことは無駄じゃないと思うけどね。じゃあ、アタシここ左だから……バイバイ」
交差点を左に曲がって歩き出した今井を後ろから眺めることしか、俺には出来なかった。
今井が見えなくなるまで見送った後、俺も自分の家へ向かい歩き出した。
歩きながら考える。
いろんな想いが自分の中で渦巻いているのは分かるけど、それはどんな感情なのか、どんな思いなのか。
自分のことなのに分からない。今井の思ってることの一部を見て同情したのは確かだ。
だけど、それだけじゃない。どう表現したらいいか分からないけど、今井の力になりたいそう考えていた。