プロローグ
超不定期更新ですが、気長に付き合っていただけたら嬉しい限りです。
私は、静かに部屋から廊下へ出た。
玄関にたどり着くには、リビングの前を通らないといけない。
いつもなら何も気にすることなんてないんだけど、今はそうもいかない。
足音を立てないようにそろりそろりと足を進める。
忍者みたいに抜き足、差し足、忍び足。
リビングの前を通過して、最大の難関を突破して一息ついた時、背後からドンと扉が開く音がした。
「こんな時間に何処へ出かけるつもりだ!」
耳を劈く大きな声。
顔を真っ赤にして怒鳴るのは私のお父さん。
リビングのドアを乱暴に開けて、私の元まで大股で歩いて来ている。
だけど、そんなの気にする私でもない。
いつもと何も変わらない手順で靴を履きながら、いつもと何も変わらない口調で答える。
「別に、ちょっと散歩に出かけるだけよ」
「こんな夜中にどうして散歩に出かけるんだ!!」
お父さんに右手が私に伸びてくる。
だけど、私に届くことは無く空を切る。
「今は、お父さんと話をしたくないから」
そう告げて私は、家を飛び出していた。
お父さんが夜勤の時は散歩に出ることは無い。
だけど、それ以外の日はお父さんが帰って来る前に散歩に出ることにしてる。
いつもはお父さんが帰ってくる前に家を出て、お父さんが寝る頃に家に戻るんだけど、今日は思った以上に帰りが早くていつもどおりのタイミングで外に出ることが出来なかった。
妹たちに心配されるから、ああいう感じに怒鳴られるのを今まで避けていたのに……
私が家から飛び出したからといって、お父さんが外まで追いかけてくることは無い。
だって、私がいつも『散歩』と言って外に出た時は、いつもの公園に居る事を知っているから。
家から徒歩5分の距離にある公園。
走れば1分もかからず到着することが出来るし、家の窓からは公園が丸見えですぐに様子を確認することも出来る。
っていうか、その公園にいるって分かってるんだったら、私が外に出ようとしているのを見つけるたびに怒鳴るのは辞めて欲しいと思うんだけどね……
お母さん曰く、夜中に娘を外出させるのが心配なのだそうだ。
まぁ、心配してくれるのは普通に嬉しい。
だけど、今は『お父さんと話をしたくない』っていう娘の気持ちも考えて欲しいと思う。
こんなの自分勝手だってことは、良く分かってるつもり。
だけどね、お父さんと『話をしたくない』って思ってる私の気持ちに気がついているのに干渉してくるのはやめて欲しい。
だって、話をしても私の気持ちを汲み取ってくれないし、自分の意見を押し付けるだけで、私の意見すら聞いてくれない。
私の人生なのに、私の思ったこと、やりたいことをやらせてもらえないなんておかしいと思わない?
私は、お父さんの『お人形』じゃないのに……
気がついたらいつもの公園のいつもの場所へ来ていた。
ここまで歩いてきたんだけど、その間の記憶が曖昧だ。
まぁ、意識してここまで歩いてきたわけじゃないから仕方ないんだけど、無意識に足が運んでしまうくらいに、この『散歩』は私の体に染み付いてしまっているみたいだ。
「はぁ~」
無意識に溜息が出る。
公園の奥にある街が見渡せる場所、別名『空の庭』
どこかのお偉いさんがつけた名前らしいけど、街が見渡せる場所に横長のベンチが置いてあるだけ。
横長のベンチは二つ置いてあって、街に向かって右側のベンチに腰を下ろす。
『空の庭』名前はカッコいいのに、ただ、景色のいい場所なだけ。
そんな名前負け全開の場所が、私の定位置だ。
名前なんてどうでも良いし、私としては、この素敵な景色を見れたらそれで良いと思う。
見下ろす街の人々の生活の光で溢れている夜景を見ながら考える。
お父さんと話したくないって思ってる。
だけど、別にお父さんが嫌いなわけじゃない。
お父さんの言いなりになんてなりたくないって思ってる。
だけど、別にお父さんが全部悪いわけじゃない。
じゃあ、どうしてこんなのことをしてるのか?
それは、自分でも分からない。
ただ、何もしないまま自分の気持ちを無視して自分の人生が決められるのが嫌なんだ。
その一言に尽きると思う。
自分のやりたい事と周りから望まれていることに違いが出てくるのは仕方が無いと思う。
だけど、私にはどうしてもこれだけは譲りたくないことがある。
だって、私は夢を叶えたいから。
他の人から見たら、とても小さな夢かもしれない。
だけど、私にしたらとても大事な夢なんだ……
そんなことを頭の中で考えながら、ふと見上げた空には星が無数に輝いていた。
綺麗に輝く星たちは、とても近くに見えているけど、本当は途方も無いほど離れている。
どれだけ近くに見えても、手を伸ばせた届きそうに思えても、どうしても届かない。
近いのに遠い、人の思いに似ているそれはとても悲しく思えた。
◆
街はすっかりと夜の色に染まっている。
家々からは暖かい光が漏れていて、とても暖かく見える。
だけど、今俺が居るのは、夜の静寂に覆われた夜の道路。
太陽が輝いてる時は人通りの多い商店街だけど、今は全て店がシャッターを閉めていて人の気配がまるで無い。
家を出てから人に会ったのは、途中で立ち寄ったのコンビニの店員だけだ。
そこ以外は、どんなに目を凝らしてみても人の影さえ映らない。
まぁ、夜なんだから影が見えないのは当たり前なんだけれども。
ただ、こんなにも人の気配が無いと、俺しか居ない異世界に紛れ込んだみたいに思えてくる。
……もし、本当に異世界に紛れ込んだなら、今の生活みたいに退屈を覚えることも無いんだろうけど、実際にそんなことありえることも無く、いつもの退屈な日常の延長線上に立っている。
現在の時刻は午後11時半を少し回ったところ。
こんな時間に外を出歩く人なんてほとんどいないし、例に漏れること無く俺も普段はこんな時間に外を出歩いたりはしない。
今日はたまたま、外に散歩に出たい気分になっただけだ。
……って言っても、特別何か理由があって散歩に出たわけじゃなくて、本当に気まぐれなんだけれど。
自分の部屋から見上げた月がとても綺麗だったから、もっと良く見ようと思って街の高台にある公園へ向かっている途中。
右手に下げているコンビニの袋が歩くのにあわせて、ガサガサと音を立てる。
中に入っているのは缶コーヒーとおにぎり一つ。
別に、公園に長居するつもりは無いんだけど、途中でお腹が空いたり、喉が渇いたりしたら嫌だから買ってみた。
おにぎりとコーヒーが合うかどうかは疑問だけど。
商店街を抜けて、最後の信号を越えると後は公園までは一本道だ。
ゆるく長い坂道をのんびりと登っていく。
『香澄町公園』ここが俺の目的地だ。
ブランコにシーソー、滑り台に砂場でジャングルジム。
あとは、ドッチボールのコートが3つくらい書けそうな広場があるだけ。
この公園には『空の庭』って名前の街を見渡せる場所があって、そこにはベンチが置かれてある。
俺は、そのベンチに座って、月を見るつもりだ。
坂道を登っていくと、ほんのりと明かりが灯っていた。
公園内に設置された外灯の明かり。
外灯同士の間隔はそれなりに離れているんだけど、公園を暖かい光で覆っているから薄暗い雰囲気は無い。
例えるなら、祭の日のちょうちんのような、部屋の明かりのような明るさは無いんだけれど不思議と気味が悪くないって言う感じだ。
夜の8時とか9時ごろなら絶好のデートスポットで、恋人たちがいちゃいちゃしてるらしいんだけど、今はそんな人影は見えない……っていうよりも、今は俺以外にこの公園に人がいないんじゃないか?
まぁ、さすがに11時半を回った今の時間帯には人が居ることなんて無から当たり前だけど。
サクサクサクと足音を立てながら公園の中を進む。
『空の庭』は外灯の光があまり届かない場所にある。
だけど、今日みたいに晴れている日なら月明かりがベンチの周り照らしていて、暗いっていう感じは受けない。
昔、姉貴と来たときと何も変わってない。
そんなことを思いながら、ベンチに座り空を見上げる。
そこには、部屋の窓から見た月よりも、もっと大きくて綺麗な月が輝いていた。
「綺麗だ」
自然とそんな言葉が口からこぼれた。
俺の言葉が、夜の静寂に響いて反響する。
この夜の中に溶けて消えていくはずの言葉。
誰にも受け止められることなく消えていくはずだった言葉。
だけど、俺の言葉は消えることなく誰かに届いていた。
「今日の月はまんまるだね。雲もかかってなくてとても良く見える。ほんとに綺麗だね」
声は俺が座ったベンチの隣から聞こえた。
声がした方を見ると、月の光に照らされて、とても幻想的な雰囲気をまとった女性が座っていた。
さっきここへ来たときは気がつかなかったけど、先客が居たいみたいだ。
見た感じ俺と同い年かちょっと上くらい。年上だったとして大して差は無いと思う。
特別美人というわけでも、とびっきり可愛いわけでも無いんだけど、とても親しみやすそうでとても優しそうな顔立ちをしていた。
有り体に言えば、綺麗でしかも可愛らしい感じの人。
さっきとちょっと矛盾してるかもしれないけど、そんな感じだ。
同じクラスに居たら、男子からものすごい人気が出そうな感じと言えば分かりやすいかな?
そんな人が、隣に座っていた。
こんな月が綺麗な夜だったからかもしれない。
もしかしたら、この場の雰囲気に酔っていたのかもしれない。
『知らない人』だから、少しは警戒していたけれど、それ以上に俺は気分が高揚していて普段の思考とはすこし違っていた。
この時の俺には『話しかけない』なんていう選択肢がなかった。
ただ在ったのは、どういう言葉をかけようか?そのことだけで頭がいっぱいだった。
冷静に考えれば、これはナンパになるんだろうけど、冷静じゃない頭ではそこまで考えが回らなかった。
それに、普段なら、見ず知らずの人になんて話しかけたりしない。
無視するか、立ち去るかのどっちかの選択しか無い。
冷静じゃない俺は、気がついたら口を開いていた。
「こんばんは」
口から出た言葉は、普通に挨拶の言葉だった。
すると、彼女は当たり前のように口を開いた。
「こんばんは」
彼女も、ただの挨拶の言葉を口にする。
たった、5文字の短い言葉。
だけど、俺は話しかけることだけで頭がいっぱいで、返事が帰ってくるとは思っていなかった。
返事が返ってきた。それだけど、なんか嬉しくなってしまう。
「こんな夜中に、どうしてこんな場所へ来たの?」
続けて、彼女が口を開く。
「月が綺麗だったから……かな?」
思ったことをそのまま口にする。
それを聞いた彼女はくすくすと笑いながら口を開く。
「素敵な理由だね。今日のお月様はとても綺麗だし、夜中にわざわざこんな場所に来ちゃう気持ちも分かる気がする」
「そういうあんたは、どうしてここに?」
俺も、彼女に同じことを問いかける。
「ん?私?私はね……嫌なことが逃げてきたの」
そういうと、彼女は街を見下ろした。
というよりは、ただ街がある方を見ているだけで、その目には何も映っていないような気がする。ただ、空ろにそちらを向いているって言う感じだ。
「逃げてきた……って嫌なことでもあったの?」
俺の言葉に反応して、こちらを向く。
その顔に映していたのは、先ほどまでの空ろな瞳じゃなくて少し困ったような苦笑いだった。
「初対面の君に言うべきことじゃない……かな?う~ん、じゃあ、さっきの逃げてきたって言うのは無し!私はこの夜景を見に来たの。だって、綺麗でしょ?」
そう言われて、夜景に視線を移す。
ここに着いてからは、月と彼女しか見ていいなくて夜景を全く見て居なったから気がつかなかったけど、目の前にはとても綺麗な夜景が広がっていた。
「……ほんと、綺麗だ」
さっきと同じように、同じような言葉が自然と口からこぼれる。
「でしょ。ここ、私のお気に入りの場所なの。とても良い場所と思わない?」
「確かに。自分が住んでる街が、こんなに綺麗に見えるなんて思わなかったよ」
彼女は、街に視線を向けて言葉を続けた。
「普通に住んでると、こういうのって全然見えてこないよね。けど、ここから見える風景にはね、見えないものもいっぱいあるんだよ?」
彼女は、ベンチから立ち上がり柵のほうへと歩いていく。
柵にもたれながら、こちらへ振り向いた。
「たとえば、君。君は、この景色から抜け出してきたんだよ?だけど、私にはそれが見えなかった。街の中を歩いてきたって言うのにね。おかしな話だと思わない?景色の中のピースが一つ抜けてこんな場所に居るのに、景色を見てる人が気がつかないなんて」
「言われてみれば不思議だな。景色の一部だったのに、それが動いてることに気付かないなんて……って、そりゃそうだろ?思わず納得しかけたけど、見えてる縮尺が違うんだから、俺みたいな人間が一人がすこし移動したところで、景色が変わるわけ無いじゃん。建物が動いたなら、分かるだろうけど」
「あははは、君は夢が無いなぁ~。ほら、そんなおもしろくもなんとも無い現実なんて置いておいてさ、もっと楽しく考えてみようよ。例えば、君はこの綺麗な夜景の1ピース。それが抜け落ちちゃったんだから、君を連れ戻さなくちゃいけないとか。そしたら、君は立派な逃走者。君は追っ手から逃げてここに来た!みたいな物語があったりとかさ。そんなのだったらおもしろくない?」
「おもしろくない?って言われてもなぁ……。そういわれても、事実、追っ手なんか居ないし、まして、逃げてきたわけでもないんだけど。まぁ、あんたの言うとおりに、もし、俺が追ってに追われてたんなら、こんな所でのんびり月を見上げたり、街を見下ろしたり、そして、あんたと話をしたりとかしてないぞ?」
「だから、例え話だよ。もし、そうだったら面白いなって、ちょっと想像してみただけ」
そういうと、彼女はにこりと笑った。
確かに、彼女の言うとおりに俺が追っ手に追われた逃亡者だったなら、今の退屈な生活もうらやましく思ったりするんだろうか?
だけど、今の俺は、その退屈な毎日が、なにも変わっていかない毎日が嫌で仕方が無い。
だって、そうだろ?刺激の無い日々なんて、おもしろくもなんとも無い。
ただ、毎日が過ぎていくだけなんてさ。退屈だと思わないか?
生きてるっていう実感がない。ただ、生かされてるだけ。
そんな生活がもう嫌で嫌で仕方が無いって思ってる。
「もし、そんな風になったらそれはそれで楽しそうだと思うな」
だから、俺は、目の前の彼女が言った例え話がすこしおもしろく感じた。
というよりも、そういう風に考えれる彼女がうらやましく感じる。
「でしょ?だけど、追っかけられるのってすんごく疲れると思うよ?」
「別に、追っかけられたいって言う意味で言ったんじゃないよ。ただ、そういう風に変化のある毎日はさぞ楽しいんだろうってね」
彼女は、すこしだけ瞳の色を変えた。
さっきまでのキラキラとした楽しそうな色じゃなくて、もっと別の色に。
だけど、俺にはそのが何を表しているのかが分からなかった。
そして、すこしだけ何かを考えた後、ちょっと遠慮をしながら口を恐る恐る開いた。
「君は、今の生活に不満なの?」
ズドンと、胸に矢が刺さった気分になる。
今の言葉だけで、俺が退屈を感じてるって分かったみたいだ。
誰かに俺が退屈してるって気がついてほしいって言う気持ちもあった。
そして、気がついたならその『退屈』どうにかして欲しいって思ってた。
だから、俺が知らず知らずのうちに彼女なら、気付いてくれるかもしれないと思って、そういうのを匂わすことを言ってしまったのかもしれない。
まだ、会って1時間すら経ってない、ほんの少し話しただけの相手にそう思ってしまってたんなら、自分でもおかしいと思うけど。
それに、『毎日が退屈で仕方が無いです』なんて、言ってもどうしようもないことは分かってる。
けど、さっきの彼女の発言を聞いて、もしかしたら彼女なら俺の生活を楽しく出来るかもしれないなんて思ったのかもしれない。
彼女と会ったのは今日が初めてだし、次に会うことなんて無いかもしれないのに、俺は彼女に期待してしまってるんだろうか。
次があっても無くても、今は関係ない。
ただ、思ったことを、感じたことを伝えたいって思った。
「物凄く退屈だ」
これを聞いても、どうしようもないのにどうしても言いたかった。
たぶん、困るか、ただの肯定の返事が帰って来るんだろうけども、彼女はどういう答えを返してくれるのか、もしかしたらこっちが考えてるのとは違う答えが返ってくるのかもしれない。
そんなことで、胸をワクワクさせながら俺は答えを待った。
「そう、君は退屈してるんだ。けど、退屈なら自分でおもしろいことをすればいいんじゃないの?」
だけど彼女は、俺の予想の斜め上を行く解答をくれた。
「待ってるだけじゃ、なんにも起こらないよ?待つんじゃなくて、自分で何かしなくちゃ何も変わらない」
そこで、彼女は一つ、大きく深呼吸をして、口を開いた。
「私もね。『嫌なこと』から逃げてるって。でも、それは逃げてるだけじゃない。この行動は、『嫌なこと』へ対抗手段だから。私は、これでも戦ってるの。『嫌なこと』を受け入れてしまえばとても簡単だよ。私が我慢するだけでいいんだから、でもそれじゃ嫌だから、行動を起こしてそれに対抗するんだよ。自分で何かやらなくちゃ変わらないし、『嫌なこと』に負けることになっちゃうし」
それは、自分に言い聞かせるかのように、俺に言い聞かせるかのように、とても静かに、でも、力強くて、澄んだ声で何の迷いも無く俺の鼓膜を振るわせた。
彼女の瞳は、とても力強くて、その言葉に、色々な思いを乗せているようにも見えた。
「自分で行動を起こす……か。今までしたこと無かった」
「やっぱりね、自分から変わらないと何も変わらない。それに、君は私が言わなくてもそのことは気がついてたはずだよ?」
彼女は、俺の瞳をまっすぐを見つめたままそう言った。
「どうだろ?俺はそんなの思いもしなかったけど」
「分かってないなぁ。君が今ここに居ることがその証明だよ。お月様が綺麗だからここまで来たんでしょ?それって、そうしようと思ってしたことでしょ?ほら、自分で行動してるじゃん」
「……確かに言われてみれば、そう取れなくも無いね」
「うわ~、なんか素直じゃないね。なんか君、ひねくれてる。あと、君から私に話しかけたでしょ?それってさ、変化が欲しかったからじゃないの?お互いがお互いに独り言を言っただけで、あの言葉だけじゃ会話になってなかった。だけど、君は会話をしてきたでしょ?」
俺の心の真を的確についてくる彼女の言葉に、俺は口を開けなかった。
なんというか、自分でも分かってない自分を分かられてしまっているっていう事態が、まずありえないと思う。
「確かに、変化が欲しいと思ってる。けど、あんたに話しかけたのがその思いが出たからなんて俺には思えないよ。それに、話しかけたのはほんの気まぐれ、今日ここへ来たのとおんなじだ。そこにそんな意味があるなんて思えない」
「なんと言うか、頑固でひねくれものだね。ちなみに言っておくけど、私の言ってる言葉に深い意味なんてないよ。ただ、思った事を言ってるだけ。それに、君がこうであったら良いなって思ったから言ってるの。言ったでしょ?当たり前な日常なんてつまらない。だから、私はおもしろくなるように考えるってね」
そういうと、彼女はさっき座っていたベンチに座りなおした。
「君がね。私と同じことを考えていたら面白いなって、思っちゃったのよ。私は、どうしようもない毎日が退屈で、窮屈で苦しいの。そこから逃げ出したい、新しい変化が欲しい。だから、私は自分から動くことにしてるの。学校でもそう。家でもそう」
「もし、俺が同じことを考えてたらどうするんだ?」
純粋に感じた疑問。
ただ、どうしたいのか聞きたい。そんな想いが胸をよぎった。
「そうね。とりあえず、友達になる……かな?ううん、違うな。友達じゃなくて、仲間になりたい……かな?何かしたいなんて全然考えてないけど、同じことを感じてる人がいるんだって安心したいって思ってるかも……」
「そっか、安心……ね。正直に言うと、さっきあんたが言ってたこと、俺は何も考えてないって思ってたのに、もしかしたら、気まぐれの行動に意味があるかも……なんて思ったらすごくおもしろいかも」
俺の言葉を聞いた彼女は微笑んでいた。
「まぁね、私が、そうであれば面白いって思ってることだから」
「あのさ、あんたの」
名前はなんていうんだ?そう言おうとした、俺の言葉は途切れた。
途切れたって言うより、彼女が俺の言葉に言葉を重ねてきたんだ。
「『あんた』じゃないよ。なんか、そんな他人行儀な呼び方は嫌だな。そうだねぇ、私のことは『キサラ』って呼んでくれるかな?」
「キサラ……ね。それって、本名?」
「本名か、本名じゃないかなんて、関係ないでしょ?『キサラ』それが、君が私を呼ぶ名前。それでいいじゃん。私は、君のこと『ツキミ』って呼ぶし」
「ちょっと待て、どうしてそんなヘンテコな名前なんだよ!」
「だって、月を見に来たんでしょ?だから、そこからとって『ツキミ』。君は、今日始めて自分の足で歩いた。君の物語は、今日ここから始まるんだ。そんな、記念すべき日に私は誕生日プレゼントとして『名前』をプレゼントするの。なんだか、素敵じゃない?」
そう言って、満面の笑みを浮かべる『キサラ』なんだか眩しくて、うらやましく感じた。
そして、今日生まれたなんて意味不明な言葉だったけど、それはストンと心の奥に落ちていった。
まるで、それが当り前のように。
背後から、ゴーンっと鐘の音が響いた。
「あれ?もう12時か。そろそろ帰らないと、ほんとうに怒られちゃう。それじゃあね、ツキミ。」
そういうと、こちらに振り返ることも無く、キサラは出口へと向かって行って、夜の闇に消えていった。
残った俺は、街を見下ろしながら、買って来たコーヒーを飲んだ。
30分にも満たない時間だった。
だけど、不思議と昔からの仲が良かったかのような、不思議な感じ。
お互いが、似たもの同士だっていうおかしな連帯感だけだったけど、それでも、俺のこれからの行動を帰るのには充分すぎるくらいの出来事だった。
「自分から行動を起こせ……ね」
ぐいっと残りのコーヒーを飲み干す。
言うの簡単だ。
だけど、実際に行動を起こすとなると、それは多分難しいことなんだと思う。
けど、今は、それさえもやってしまえそうな気になってくる。
次に、キサラにあったときは、もっと楽しい話をしよう。
次に逢える保証なんて無いのに、俺はそんなことを考えていた。
これが、俺とキサラのファーストコンタクト。
どうしようもないくらい、夢見がちで楽しいことを追い求めるキサラと、どうしようもないくらい、変化に焦がれてた俺の物語。