見習い僧侶がお使いに行かされた件について
~お使い~
春先のことだった。
山奥の小さな修道院で、
見習い僧侶のリオは、
師匠から紙袋を渡された。
「隣町の司祭様に薬草を届けてきなさい」
「えぇ……ひとりでですか?」
「ロバでも連れていくか?」
「歩きます」
リオは気が弱かった。
僧侶見習いのくせに祈りも下手で、
説法になると噛む。
しかも最近、
妙な噂まで立っていた。
『あの子、ときどき神懸かる』
本人としては心外だった。
だって覚えていないのだ。
気づいたら、
周囲が泣いてたり、
拝まれてたりする。
むしろ怖いのは自分の方だった。
山道に入って二時間。
リオは完全に後悔していた。
「熊出るって言ってたじゃん……」
そのとき。
藪が揺れた。
現れたのは熊ではない。
灰色狼だった。
しかも三匹。
大きい。
「ぅ」
リオは固まった。
狼たちは低く唸りながら近づいてくる。
逃げれば追われる。
わかってる。
でも脚が動かない。
「やだ……」
一匹が飛びかかった。
その瞬間。
ふわん
と、
空気が白く揺れた。
次にリオが気づいたとき。
狼たちは、
きっちり横一列に並び、
伏せをしていた。
耳まで倒している。
完全服従だった。
「……へ?」
真ん中の一番大きい狼など、
ちらりとも目を合わせない。
怯えている。
リオが一歩動くと、
三匹まとめて腹を地面に擦りつけた。
「なにこれ」
「怖っ」
町へ着いた頃には、
噂は先回りしていた。
『山の主を屈服させた僧侶』
「違います違います!」
「たぶん勘違いです!」
誰も信じなかった。
薬草を届け、
帰ろうとした夕方。
今度は路地裏で男たちに囲まれた。
「修道院の子か?」
「財布くらい持ってんだろ」
リオは青ざめた。
「あの……」
「静かにしてりゃ痛くしねぇよ」
肩を掴まれる。
限界だった。
「むり……」
ふわん
気づくと。
男たちは全員、
石畳に両膝をついていた。
静まり返っている。
一人は泣いていた。
「俺は……父親みたいになりたくなかっただけなんだ……」
別の男は、
虚空を見つめながら呟く。
「誰かを脅せば強くなれた気がした……」
リーダー格は完全に崩れていた。
「なんで俺……弟の仕送りまで盗ったんだ……」
リオは半泣きになった。
「知らない知らない知らない!」
男たちは怯えた。
「お、お許しを……!」
「もう二度と弱い者から奪いません……!」
「だからあの目で見ないでください……!」
「どの目!?」
修道院へ戻る頃には、
リオはぐったりしていた。
師匠は畑に水をやりながら言った。
「無事だったか」
「ぜんぜん無事じゃないです!」
「狼を従え、盗賊を改心させたそうだな」
「してません!」
「ほう」
師匠は少し笑った。
「今回は“裁き”だったか」
「今回って何ですか」
「前は“救済”だった」
「分類あるんですか!?」
師匠は桶を置いた。
「まあ安心しろ」
「なにをです」
「あれはお前ではない」
「余計怖いですけど!?」
〜市場と魚屋と終末の説教〜
数日後。
リオは再び荷物を持たされていた。
「なんでまた私なんですか」
「前回うまくいったからだ」
「どこが!?」
師匠は真顔だった。
「魚を買ってこい」
「平和な内容だ……」
リオは心底ほっとした。
狼も盗賊もいない。
今日は魚を買うだけ。
簡単なお使いである。
町の市場は活気に満ちていた。
魚屋の親父が怒鳴っている。
「だからこの値段じゃ赤字だって言ってんだろ!」
向かいでは八百屋が怒鳴り返す。
「そっちが買い占めるからだろうが!」
完全に喧嘩だった。
周囲も険悪。
客も引いている。
リオはそっと横を通ろうとした。
だが。
「あ?」
魚屋の親父が振り向いた。
「修道院の坊主じゃねぇか」
嫌な予感がした。
「ちょうどいい!」
「どっちが正しいか言ってみろ!」
「えっ」
八百屋も乗ってくる。
「そうだ! 神に仕えるなら公平だろ!」
「いや私まだ見習いで……」
逃げ道がない。
市場中が見ている。
リオの胃が死んだ。
「えっと、その……」
両方怖い。
親父たち近い。
声でかい。
無理。
「ぅ」
視界が白くなる。
ふわん
静寂。
市場から音が消えた。
リオはゆっくり顔を上げた。
魚屋と八百屋が、
地面に正座していた。
なぜか周囲の客まで座ってる。
犬まで伏せてる。
「……あ」
魚屋の親父が、
ぼろぼろ泣いていた。
「俺は……怖かったんだ……」
八百屋も嗚咽している。
「冬を越せねぇのが……」
市場の空気は完全に葬式だった。
誰も顔を上げない。
魚屋が泣き崩れる。
「っ……!」
「お前は敵が欲しかっただけだ」
「誰かのせいにすれば、自分の弱さを見なくて済むからだ」
八百屋が額を地面に擦りつける。
「やめ……やめてくれ……」
「苦しいのはお前だけではない」
「世界がお前を傷つけた日に、お前もまた世界を傷つける側へ立った」
市場の誰かがすすり泣いた。
子供まで泣いてる。
犬もなんかしょんぼりしてる。
数分後。
リオは荷台の横で目を覚ました。
市場全体が静かだった。
親父たちは、
互いに抱き合って泣いていた。
「すまなかったぁ……!」
「こっちこそぉ……!」
客たちまで泣いている。
知らない老婆がリオの手を握った。
「ありがたや……」
「えっ」
魚屋の親父が立ち上がる。
目が真っ赤だった。
「先生」
「先生じゃないです」
「俺……魚、少し安くします」
「影響デカいな!?」
八百屋も頷く。
「俺もだ……」
「市場の経済を僕に背負わせないで!?」
帰り道。
リオは魚を抱えて死んだ目をしていた。
「なんなんだよもう……」
すると後ろから、
市場の子供たちがついてくる。
「聖者さまだ!」
「お説教して!」
「いやだ!」
「今日も誰か泣かせて!」
「語弊がすごい!」
リオは半泣きで山道を走った。
その背後で、
町の鐘が鳴っていた。
なぜか追悼式みたいな重さで。
〜たぶん世界を救った〜
リオは逃げていた。
現実から。
市場の一件以来、
町の人々が妙に優しい。
パン屋はおまけをくれるし、
子供は拝むし、
魚屋は会うたび泣く。
もう嫌だった。
だから今日は、
なるべく人のいない山道を選んだ。
それが失敗だった。
山を越えた頃。
空が陰った。
影が落ちる。
嫌な予感がして見上げた瞬間。
いた。
ドラゴン。
でかい。
終わった。
翼を広げるだけで木々が揺れる。
黒い鱗。
金色の目。
完全に神話のやつだった。
リオは硬直した。
「えっ」
「いや無理無理無理」
ドラゴンが降下する。
熱風。
轟音。
死ぬ。
その瞬間。
ふわん
次に目を開けた時。
リオは、
ドラゴンの背中に座っていた。
「…………は?」
しかも飛んでる。
眼下には山脈。
風が痛い。
さらに。
周囲を大量の騎士が取り囲んでいた。
空飛ぶ騎士団だった。
「聖女様ぁぁぁ!!」
「我らはついに奇跡を目にした!!」
全員泣いてる。
何人か空中で土下座してる。
どういう技術だ。
ドラゴンまで妙におとなしい。
というか、
背筋を伸ばしている。
「えっ」
「えっ?」
騎士団長らしき男が兜を外した。
涙でぐしゃぐしゃだった。
「古竜すら御身の前に膝を屈した……!」
ドラゴンが低く唸る。
すると騎士団、
一斉に静かになった。
まるで上司が来た部下みたいに。
リオだけが置いていかれている。
そのまま、
なぜか巨大な城へ連れて行かれた。
黒い塔。
空が赤い。
どう見てもラスボスの城だった。
「帰りたい……」
騎士たちは異様に緊張している。
「ついに対面の時か……」
「世界の命運が……」
「僕いま帰れば間に合いません?」
誰も聞いていない。
巨大な扉が開く。
奥には玉座。
そこに座っていたのは、
白い髪の男だった。
美しい。
でも目が死ぬほど怖い。
世界を滅ぼしかねない圧力。
騎士たちが震える。
「あれが……魔王……」
リオの魂が抜けかけた。
無理。
絶対無理。
勝てる空気ゼロ。
魔王が立ち上がる。
静かに口を開く。
「……来たか」
リオ、
限界。
「ぁ」
ふわん
静寂。
次にリオが意識を戻した時。
魔王は土下座していた。
額が床にめり込んでる。
「申し訳ありませんでした」
騎士団全員、
号泣。
ドラゴンまで伏せてる。
リオは真顔になった。
「なにが?」
魔王は顔を上げない。
肩が震えている。
「私は……世界に絶望した気になっていただけだった……」
「はぁ」
「だが本当に苦しんでいる者から目を逸らし、自分だけを悲劇の主人公にしていた……」
騎士たち、
さらに泣く。
「救われた……」
「救済だ……」
「だから何が?」
魔王は続ける。
「“孤独を誇る者は、まだ他者を見下している”」
「“理解されぬ苦しみを特別視した時、お前は痛みを偶像に変えた”」
「“世界を憎むことで、自分が裁かれる側である事実から逃げるな”」
リオは頭を抱えた。
「絶対私じゃない!」
その後。
魔王軍は解散した。
ドラゴンは山へ帰った。
騎士団は、
リオを救世の聖女として崇め始めた。
本人の意思と関係なく。
修道院へ戻ったリオは、
机に突っ伏していた。
「もうお使い行きたくない……」
師匠は新聞を読んでいる。
一面には大きく書かれていた。
《聖女、魔王を導き世界救済》
「なんでだよ……」
師匠は茶をすすった。
「まあよかったじゃないか」
「どこがです」
「世界が救われた」
リオは死んだ目で言った。
「僕は魚買いに行きたいだけなんですけど」
師匠は少し考えた。
「では次は卵を頼もう」
「嫌な予感しかしない」




